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坂本龍馬も愛した「土佐の味」

しばらく史跡等の紹介が続きましたので、ここで少しブレイクタイムです。あちこち歩きまわってますと、さすがにお腹もすいてきますしね。

高知市内のある和食のお店で、「龍馬弁当」というのをメニューで出していると情報誌で知り、事前に予約しました。(2人前から予約可 1人前1890円)
なんでも、坂本龍馬も食したであろう当時の食事を、高知県のある専門家の方が考証し、レシピを考えたそうです。

こちらが、「なごやま」(高知市上町1-6-21 電話 088-872-1541 日曜休)さんというお店です。

なごやま

席へ案内され、待つこと5分くらい・・・。
お料理が出てきました。こんな感じです↓

龍馬弁当

かつおの荒汁



 土佐名物のカツオの塩焼き、ちちこ(心臓)の味噌炊き、根菜の煮物、ちくわ、じゃこ、季節の刺身などが彩りよく配されています。
 下の写真は、かつおの荒汁(赤味噌仕立て)とお口なおしの小豆です。
 季節のお刺身ですが、冬はサバが供され、それにダイダイのしぼり汁をかけて頂くのが土佐流だそうです。
 

「なごやま」さんは元々江戸時代は魚屋さんだったそうで、龍馬の実家・坂本家のすぐ近所にあったので、龍馬もおそらくなごやまさんのご先祖から買ったお魚を食べたであろう、ということです。

 これだけでもかなりのボリュームだったんですが、ビールでほろ酔い加減となり、いい気になって別のお料理を追加してしまいました。(^_^;)

カツオのたたき 高知へ来たら、やはり外せませんね。 
かつおのたたき

「四万十コロッケ」 中身はおからのコロッケです。緑の野菜を添えて、四万十川をイメージしているとのこと。
四万十コロッケ


 どのお料理も美味しく、丁寧だったと思います。おかげ様ですっかり食べすぎてしまいました。気分はすっかり幕末です。
 ご夫婦でこじんまりやっているお店らしく、奥さんも愛想よくて好印象でした。
 敷居も高くなく、庶民的なお店ですので、この日も地元の方たちが次々と入店していました。

※お店の情報は変更になることがあります。必ず、各自でご確認ください。

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テーマ : 国内、史跡・名勝巡り
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坂本龍馬の甥っこさん

 大河ドラマ「龍馬伝」でもおわかりのように、坂本龍馬という人は本当に実家の家族に恵まれたんだなあと思います。
 もちろん、惜しみない金銭的な援助もさることながら、姉・乙女をはじめ坂本家の人々が、龍馬の志や生き方を理解し、心から応援してくれたのは彼にとって大きな支えだったように思います。

 今日放映の「龍馬伝」の中で、やっと龍馬の伴侶となるお龍さんが登場してきましたが、残念なことに、龍馬と彼女の間には実子が出来ませんでした。
 龍馬の死後、坂本家のその後はどうなったのでしょうか。
 
 さて、高知市立自由民権記念館(高知市桟橋通4-14-3)というところで、
「龍馬の遺志を継ぐ者 第二弾 坂本直寛の生涯という企画展が開催中です。詳細はコチラ

自由民権記念館

 龍馬には千鶴さんという長姉がいましたが、この千鶴さんが高松順蔵という人に嫁いで、二人の息子さんを産みました。坂本直、直寛の兄弟です。
 今回の展示の主人公はこの兄弟の弟さんの方です。

 龍馬が死んだ時、甥の直寛は数えで15歳でした。叔父である龍馬とのやり取りはどの程度あったのかはわかりませんが、おそらく龍馬の記憶はある程度あったことでしょう。
 彼は長じて、龍馬の長兄である権平の養子に入るのですが、明治維新後、土佐の立志社に入り、自由民権運動に情熱を注ぐことになります。この頃、直寛はペンネームとして「才谷梅次郎」という名前を使用していたのですが、叔父・龍馬の変名「才谷梅太郎」をもじっていることは言うまでもありません。ちょっと微笑ましいエピソードですね。

 しかし、直寛たち土佐の自由民権運動の有志達は政府から睨まれ、ある事がきっかけで逮捕されてしまい、次第に政治的にも挫折していきます。

 民権運動のさなか、直寛はクリスチャンになっていたのですが、彼はキリスト教の教えを心の支えとして生きていくことを決意していました。
 また、私生活では最初の奥さん(龍馬の姪・春猪の娘さん)は事故死し、二番目の奥さんも病気で早死にするなど、悲哀も味わいました。
 こうして彼は、キリスト教の布教および北海道の開拓に活路を見出します。
 生まれ育った故郷・土佐を家族と共に離れ、はるばる北海道へと移住するのです。
 晩年は、キリスト教の伝道に熱心に取り組んだということです。そして、明治44年(1911年)享年59歳で札幌にて他界しました。
 
 展示のタイトルは「龍馬の遺志を継ぐ者」となっていましたが、この甥っこさんの人生は、龍馬のような派手さはなく、高い理想、志は持ちながらも、コツコツと地道に生きていった人という印象が強いです。
 そして、叔父・龍馬のコネなどに頼ることなく、自分の力で道を切り開いていきました。自主独立の精神があったのでしょう。

 また、生前叔父の龍馬は、北海道の開拓も視野に入れていた、といいますが、直寛が長じて北海道に移住したのも叔父である龍馬の影響が多少なりともあったのでしょうね。

 そして、江戸東京博物館の「龍馬伝」展の項でも触れましたが、北海道に龍馬の遺物があったのは、坂本家が故郷を離れ、移住したという事情によるものだったわけですね。
 その後の坂本家について大変勉強になりました。
 なお、坂本龍馬関係の著作で知られる土居晴夫さんという方がいらっしゃるのですが(龍馬に詳しい方はご存知かも)、土居さんはこの直寛のお孫さんだということです。私は未見ですが、土居さんは祖父・直寛に関する著書もお出しになっているようです。

 そのほか、同記念館では常設展として高知の自由民権運動の軌跡の詳細が展示されていました。
 そういえば、若き日の坂本直寛と共に活躍した片岡健吉をはじめ、植木枝盛ですとか、中江兆民といった日本史の教科書に出てくる有名人もみんな高知の方でしたね。土佐は本当に多くの人材を輩出しています。


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高知県立歴史民俗資料館(長宗我部氏展示)

高知歴史民俗資料館2


 企画展「武市半平太の手紙」展を見た高知県立歴史民俗資料館ですが、この資料館が建設された場所にはかつて戦国大名・長宗我部氏の居城である「岡豊(おこう)城」がありました。
 私が同資料館へ行った前日、現地では「長宗我部フェス」というイベントをやっていまして、県内外から長宗我部元親のファンの人などが800名も集結し、なかなか盛況だったようです。同じ飛行機にも、おそらく長宗我部フェスへの参加者と思われる若者が数人乗っていました。
 私も少々心惹かれたのですが、やはり現在は100名城のほうが何よりも優先しているので今回の参加は諦めました。
 昨今、戦国ブームですが、この廃絶してしまった長宗我部氏を慕うファンが全国的にいるというのも驚きです。長宗我部氏というと、ややローカルな大名のような印象がありましたが、やっぱり、戦国ゲームなどの影響なのでしょうか?一度は四国を制覇した英雄ですから、やはり壮大な歴史ロマンを感じさせる何かがあるのでしょう。

 同資料館でも、常設展の中に「長宗我部氏」コーナーがありまして、この日も激しい雨にもかかわらず、若い人たちが来館し、熱心に展示物へ見入っていました。

   高知歴史民俗資料館3

 館内は撮影禁止ですが、この長宗我部コーナーの陣幕の中だけは撮影OKということで撮ってきました。
 長宗我部氏の興亡に関する史料が特集展示され、なかなか興味深かったです。
 自分用のお土産に、売店で「もとちか君」という長宗我部元親のご当地キャラのマスコットを買いました。 

 今回は大雨のため、残念ながら岡豊城跡は見られませんでしたが、また機会があれば寄ってみたいと思います。

※追記
 同館には、高知県の古代~現代を扱う常設展が別にあるのですが、そこに先月江戸東京博物館で見た「坂本龍馬」のガラス湿板の写真の原本が戻ってきてました!
 ここで見られるのなら、あの時行列した意味がなかったですね。。。(汗)

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武市半平太の手紙

 高知二日目、残念なことに前日の夜から大雨でした。桂浜の坂本龍馬の銅像も見たかったのですが、なにせすごい降りでしたので、今回は断念いたしました(涙)
 次の機会はぜひ行きたいと思います!

 その代わり、南国市にある高知県立歴史民俗資料館で開催中の
「土佐勤皇等盟主 武市半平太の手紙・・・拝啓おとみ殿・・・
を見てきました。
高知歴史民俗資料館1


 武市半平太といえば、放映中の大河ドラマ「龍馬伝」では俳優の大森南朋さんが男気あふれる半平太を演じられています。
 この日の夜放映していたドラマ(第21回「故郷の友よ」)では、ちょうど半平太のもとへ山内容堂が下した捕縛の手が及んで、しょっ引かれていく場面がありました。これが、奥さんのおとみさん(女優の奥貫薫さん)との永遠の別れの日だったのです。

 さて、展示内容ですが、半平太の遺品や、半平太が妻・おとみへ宛てた手紙などが中心で、彼の太く短い生涯を振り返るというものでした。
 半平太が獄中からおとみへ宛てた手紙には、囚われの身となった彼自身の怒り、嘆き、そういった心情の吐露だけに留まらず、政治状況に対する彼自身の考えが率直にまとめられています。つまり、奥さんへの手紙という形を借りて、自らの意見、主張を遺そうと思い、つづったのでしょう。まるで論文を読んでいるかのような、固い調子の文面です。
 そして、ひとり主なき家を守るおとみへの心こまやかな気遣いの言葉も、ところどころに記されています。
 幽閉されていた3年あまりの間に、奥さんへ実に200通もの手紙を出したのでした。

 私自身、武市半平太についてはそれほど詳しく知らなかったんですが、今回の展示されていた手紙の中にもある部下の岡田以蔵に対しての評が、激しい憎悪で満ちていたのには驚かされました。
「この阿呆めが」という風に、普段は知的でクールであったであろう半平太からは想像できないような罵りの言葉が記されていたのです。
 まあ、自業自得とは言え、逮捕されて拷問にかけられた以蔵があれほどやすやすと洗いざらい自供するとは、半平太も思いもよらなかったんでしょう。

 結局、詮議にかけられた上、半平太も切腹を申し付けられるのですが、その折、介錯に立ち会ったのが奥さんの弟さんと、半平太の義理の甥っこさんでした。展示の説明にあったのですが、半平太の甥っこさんは、叔父の半平太の切腹の一部始終を目の当たりにしたため、そのトラウマのせいか、生涯にわたり顔面神経痛に悩まされたという話にはなんとも切ない気持ちになりました。(現代なら、PTSDですよね)

 半平太のあまりにも急進的なその思想が、山内容堂のカンに障って、やがて崩壊させられていったわけですが、自国の殿様が容堂という、ひとくせもふたくせもある人物だったのが、半平太にとって不幸だったかもしれません。容堂という人は、自分がイニシアチブを取りたがる人でしたから、半平太や土佐勤皇党についてはかねてから苦々しく思っていたらしいです。
 たとえば、これが長州の毛利敬親のごとき「そうせい公」みたいな凡庸な殿様だったなら、もう少し半平太も自由に活動し、明治維新を迎えられたかもしれませんね。
 

 それから未亡人となったおとみさんですが、半平太の死後は困窮し、マッチ作りの内職をするなどで生計を立てて暮らし、苦労の多い人生だったそうです。しかし、亡き夫の遺言を守り、他家から養子を迎えて、武市の家を守りつづけました。健気な女性だったのですね。昔の女性は心根がしっかりしています。
 晩年、半平太の名誉回復が明治政府によってされ、かつての土佐勤皇党のメンバーで、政治家になっていた田中光顕(1843~1939)などから庇護を受けた後、大正6年(1917年)享年88歳で天寿を全うしたそうです。
 
 半平太がおとみへ宛てた手紙は、養子で武市家に入った人の子孫の方が大切に保管していて、後に資料館のほうへ寄贈したということです。無念にも散った武市の志を、子孫の方も大事に守り続けたということでしょう。
 また、半平太と坂本龍馬ですが、よく遠縁などと言われていますが、おとみさんの叔母さんが龍馬の父方の従兄弟に嫁いでいるという関係だったんですね。
 そういう細かい事実も明示してあり、わかりやすく勉強になる展示だったと思います。

 同展示は6月20日まで開催中です。
 
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高知城(四)【天守】

 本丸御殿からのつづき

 前述したように、本丸御殿と天守とは連結しています。
 天守へ移動しますと、一階には高知城にまつわる展示がなされています。

高知城天守2

 それから、急な階段を登っていき・・・。

    (途中省略)

 最上階へつきました。ここも狭いところに人がイッパイです。この前行った丸亀城のように、天守を独り占めすることはかないません。

 高知城天守1

 とりあえず、廻縁に出て写真を撮りました。


二の丸方面  先ほど通ってきた詰門や廊下門が眼下に見えます。
高知城二の丸

三の丸方面 
高知城三の丸

 二の丸、三の丸とも、上方から外郭がよくわかりますね。
 しかし、あまりに人が多いので、5分もおらず退散しました。

 帰りは黒鉄門の方から搦め手のほうへ歩きました。

高知城黒鉄門

 この黒鉄門は、発掘調査が行われて、天保年間に移築改修されたらしいことがわかったそうです。
 以上で高知城については終わりです。現存天守だけに、見ごたえのあるお城だったと思います。
 この高知城で、100名城スタンプラリーは89城目を数えました。
 現存天守は12のうち、11まで制覇しました。(残りは福井県の丸岡城)

 この先は、大河ドラマ「龍馬伝」関連など、高知のその他史跡等をご紹介します。

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高知城(三)【本丸御殿】

つづき

高知城本丸御殿の玄関を入ると、数年前の大河ドラマ「巧妙が辻」の名残がありました。右の写真(サムネイル)の打掛は、山内一豊の妻を演じた仲間由紀恵さんがドラマの中で着用したものだそうですが、もうかなり色あせていました。

高知城本丸御殿1 高知城本丸御殿2

 先へ進んでいくと、透かし彫りの欄間がありました。江戸時代当時の建物だからこそ、このようにはっきりした形状がわかりますが、これが復元の建物ですと、こういう細かい部分はどうだったのか、絵図等の史料が残っていなければ考証は難しいものです。

高知城本丸御殿3

 下の写真は、二ノ間から上段ノ間を見た写真です。ここが対面所になっていたようで、床の間に掲げられている掛け軸には山内容堂作の漢詩が記されていました。
 しかし、特別な儀式を除けば、この本丸御殿はほとんど使用されなかったということです。

 高知城本丸御殿4
高知城本丸御殿5

 上段ノ間の左側に「帳台構え」がありますが、その裏はどうなっているかといいますと・・・。

 高知城本丸御殿6

 ご覧のように、武者溜まりになっています。藩主を警護する武士がここに控えているんですね。このように、裏手から武者溜まりを見学出来るのは珍しいです。たとえば、二条城などでは書院の裏手までは一般の見学者は立ち入り不可で、見せてもらえませんので。
 ただ、ほとんどの見学客はこの武者溜まりまでは気がつかずに、天守のほうへさっさと進んでいってしまってましたけどもね。

 
 本丸御殿は天守と連結しているので、この後はいよいよ天守へと進みます。
 
                                   つづく

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高知城(二)

つづき

 本丸と二の丸をつなぐ空堀に構築された「詰門」です。江戸時代は「橋廊下」と呼ばれており、一階は塩蔵、二階は詰所として使われていました。

高知城詰門

 詰門の右側の階段を上っていくと、二の丸へ到着します。ここは昔、藩主が暮らす御殿があったようですが、現存する建物はありません。広場にはハトが一杯いて、エサをやっている人もいました。

高知城二の丸

 二の丸のはじから見た天守です。四重六階の望楼型天守です。
 千鳥破風、唐破風を配し、最上階の廻縁や高欄などは古式な美しさのうかがえる外観となっています。
 山内一豊はこの天守を築くとき、元の居城である掛川城のそれを模して建造したということです。
 なお、天守は享保12年(1727年)の大火で他の建物と共に焼失し、20年後の延享4年(1747年)に築城当時の様式で再建されました。

高知城天守遠望

 売店がありましたので、ここでアイスクリン(ゆず味)を買っちゃいました。

      アイスクリン


なにしろ、この日は蒸し暑くて、冷たいモノについ手が伸びてしまいます。アイスクリンは初めて食べましたが、シャーベットに似ていますね。

     高知城詰門2

 ちょっと休憩したあと、詰門をくぐり抜け、本丸へと進みます。

高知城本丸御殿前

 本丸も観光客で一杯です!とりあえず、受付で100名城のスタンプを借りて押印し、入場料を払って本丸御殿の中へ入ってみることにしました。

                            つづく
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高知城(89/100)

 高知城は現存12天守のひとつで、遠州掛川から移封してきた山内一豊によって、慶長6年(1601年)より築城が開始されました。

山内一豊銅像

 山内氏は土佐一国24万石を与えられた「国持大名」ですので、さすがにお城にも堂々たる風格があります。
 明治維新、戦災を乗り越えて現代に残された貴重なお城です。
 なお、タイトルの通し番号は、私個人の日本100名城スタンプラリー訪城順です。今回で89城目となります。

 さっそく登城開始です。

高知城追手門2

 高知城の表門である追手門です。この門は享和元年(1801年)に再建されたものだということです。

 門をくぐると、正面のほうに銅像が見えてきます。

板垣退助銅像(高知城内)

 板垣退助の銅像です。板垣については、先日ご紹介しました。(詳細はコチラ
 どこかの若い女性が、板垣と同じポーズ(右手を上にあげて)で記念撮影をしていました。

 板垣退助像の左脇の階段を上っていきます。

高知城階段

 すると、すぐ左側に「石樋」が見えます。

高知城石樋

 高知は多雨の地域ですので、このように大きめの樋を作り、石垣を傷めないよう排水に配慮されています。


 そのまままっすぐ進むと、右手に山内千代の像があります。
山内千代の像

 数年前の大河ドラマ「巧妙が辻」ですっかりおなじみですね。詳しい説明は不要でしょう。山内一豊を支えた賢夫人です。

 気がつけば、眼前に高知城の天守が見えてきました。もう少しで本丸です。

 高知城天守閣1


                             つづく

※2012年、再々訪しています。関連記事「高知城(再々訪)」もご覧ください。



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47都道府県全県踏破! ∩(・ω・)∩

高知城追手門

 先週末、高知県へ行ってきました。予告しておりましたとおり、おかげ様で高知県をもって
47都道府県全県踏破
しました。∩(・ω・)∩ばんじゃーい!
 47都道府県、列車や車で通過のみという県はなく、すべて一定期間の滞在や宿泊をしております。そのほとんどが歴史の旅でしたが・・・。
 自家用車なしで、正直よくここまで来れたなと思います。家族の者の理解や励ましにも感謝です。
 

 日本全国を旅してみて思ったことは、それまで本やテレビ等を見た限りでの先入観のようなものが廃され、各地に人々の暮らしがあり、その中で歴史が息づいていることを実感できたことです。
 史跡めぐりの過程で、美しい風景を眺め心洗われたり、見知らぬ人たちの親切心に心温まる思いもし、いろいろと良い思い出ができました。わが国、日本の良さをつくづく感じさせられました。

 これをひとつの通過点として、また一期一会を大切にし、進んでいきたいと思います。

 さて、今回行った高知ですが、やはり大河ドラマ「龍馬伝」の影響でやたら観光客が多かったです。坂本龍馬一色で盛り上がっている感じです。
 2日間という短い間の滞在でしたので、多くの箇所を回ることはできませんでしたが、高知は龍馬以外でも実に色々な人物を輩出した土地柄だということがわかりました。
 旅行記については、写真等の整理もありますので、もう少々お待ちください。
 
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椎茸めし

 飫肥へ行ったあくる日、JR宮崎駅の駅弁屋さんにて、「椎茸めし」という駅弁を購入してみました。
 私の旅はいつも、時間の都合上急ぎ足になってしまうので、お昼ごはんを駅弁にして無駄な時間を省略することが多いです。

しいたけめし

 この日、早朝に売店へ行ったところ、この時間帯は「幕の内弁当」か「椎茸めし」しか置いてないとのこと。
 本当は「日向鶏弁当」とかいう名前のお弁当に心ひかれていたのですが、置いていないので、内心少々がっかりでしたが「椎茸めし」の方を購入してみました。

 「椎茸めし」という名前から、椎茸が入ったおこわみたいなのを想像していたのですが・・・。

しいたけめし2

 予想に反して、これがおかずもしっかり入っておりボリューム満天で、しかも味つけも美味しかったです。
 そういえば、宮崎は椎茸の名産地なんだそうですね。帰ってきて調べたら、けっこう有名な駅弁だったようですので、試してみて正解でした。

 宮崎の旅ですが、飫肥の他に3,4箇所の史跡を回りましたが、続きはまた別の機会に改めたいと思います。
 次回は、いよいよ坂本龍馬のふるさと、高知へ近日旅立ちます。日本列島全県踏破がかかってますので、がんばります!

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伊東氏累代の墓

 伊東氏の墓


 最後に、飫肥藩主伊東氏累代の墓です。先述のとおり、ここには元々「報恩寺」という伊東家の菩提寺がありましたが、廃仏毀釈にあい、今ではお寺はありません。お墓のみが残っております。
 実にたくさんの墓石が残っていたのですが、案内板もないため、誰が誰のお墓だかちっともわかりません (><)。 教育委員会の方、できれば主要人物だけでも説明をお願いします。
 
 その一群の墓地の傍らに、このような墓石が。

伊東マンショ母の墓

 左側の大きいほうの墓石が、どうやら、遣欧少年使節で有名な伊東マンショのお母さん「町の上」のお墓といわれているそうです。これも何の説明もなく、一種の「勘」で撮影してきたらビンゴでした。隣の小さい墓はお子さん?か誰かでしょうか。

 なお、伊東氏のお墓は東京品川にある東禅寺にもあります。


 以上、飫肥城下の史跡についてざっと見てきました。
 お城自体は地味でしたけれども、地元の人々の町おこしにかける努力のほどがうかがえる、手作りのあたたかさに満ちた町だったのが印象的でした。

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tag : 有名人の墓(あ行)

小村寿太郎の墓

 城下町を取り巻く酒谷川を西にわたった所に、五百撰(いおし)神社という少々寂れた神社があり、その裏手には墓地が広がっています。
 この神社の敷地は、元々「報恩寺」という伊東氏の菩提寺があり、明治になって廃仏毀釈となり寺がなくなってしまい、お墓だけが残されたようです。

小村寿太郎の墓

小村寿太郎の墓


小村寿太郎(1855~1911)は明治期に活躍した外交官ですが、ここ飫肥藩の下級藩士の家に生まれました。

小村寿太郎生家(生誕地とは別の場所に移築されています)
小村寿太郎生家

 学生時代のつたない知識をたどれば、陸奥宗光の治外法権の撤廃、小村寿太郎の関税自主権の回復、という風にセットで記憶したのが思い出されます。

 寿太郎が幼少時、父親が事件に巻き込まれ、破産してしまい、家屋敷も人手に渡さざるをえないという逆境の中で彼は勉学に励み、藩校「振徳堂」では優秀な成績を修めていたそうです。

振徳堂


 明治維新後上京し、大学南校(東大の前身)で学んだ後、ハーバード大へ留学し、帰国後は司法省、その後外務省に入省します。
 薩摩や長州といった藩閥外の、小藩の出身だけに苦労したようですが、やがて陸奥宗光に引き上げられたことで外交官として出世し、後に外務大臣に就任します。
 日露戦争後のポーツマス講和会議に日本全権として出席し、ロシア側の全権ウィッテと交渉し、ポーツマス条約を調印するに至りますが、この時の講和条件が国民から激しく非難を浴び、彼は体調を崩してしまった程打ちのめされたそうです。(彼にしてみれば、必死に何とか自国に有利な条件を引き出そうと努力したのに、それを国民から理解されなかったのですから、気の毒ですね)

 明治41年(1908年)、第二次桂内閣の外務大臣に就任し、不平等条約の改正に取り組みます。ついに、明治44年(1911年)に日米通商航海条約を調印し、悲願であった関税自主権の回復を果たしましたが、同じ年の11月に結核のために神奈川葉山の別邸で亡くなりました。
 小村のエピソードとしては、大変小柄な人だったようで、身長が145センチ程度しかなかったそうです。また、奥さんが大変悪妻で、小村の今わの際に奥さんの姿はなかったそうです。政治上は大変活躍した偉人の一人ですが、家庭的には恵まれなかったんですね。

 小村の墓の周囲には小村家のご先祖の墓がありました。
 なお、彼のお墓は東京の青山霊園にもあり、以前お参りしたことがありますが、東京の方が本墓だと思います。
 また、NHKで放映予定の歴史ドラマ「坂の上の雲」にも今後、小村は登場すると思います。

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飫肥城下を歩く(二)

 (つづき)

 大通り沿いにある商店街に出まして、「食べあるき・町あるきMAP」の引換券を使うことにしました。


★天ぷらのこだま屋

   おび天

 小さなお店の店内でお茶などもいただけました。

★スーパーとむら

   とむら焼き

 地元のスーパーのおそうざい売り場で。いわゆるフライドチキンのような物です。

★卵の厚やき こだま

   卵の厚やき

 厚やき卵というのは飫肥の殿様が食べた伝統の味らしいのですが、和風のだしが入ったプリンみたいなものです。
 お店で食べて美味しかったので、別途でお土産に買って宿で食べました。


★ギャラリーこだま

   彩だんご

 串だんごを一本余分にサービスしていただきました。


 これで、MAPの引換券はすべて使い果たしてしまいました。すっかり、お腹イッパイでした。
 今回はすべて食べ物ばかりでしたが(笑)、このほか加盟店であれば、地元の特産品を売るお土産屋さんなどでも利用可能です。今回行ったいずれのお店さんでも、親切に対応していただけました。
 上記のうち、三軒が「こだま」さんというお名前なのですが、特にご親戚ではないとのこと。

 最後に小村寿太郎と伊東氏の墓について書きます。
                           つづく

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飫肥城下を歩く(一)

   飫肥城大手道

 さっそく、飫肥城大手門を出て、飫肥の町を歩いてみることにしましょう。
 先日ご紹介した、「食べあるき・町あるきMAP」も忘れずに。
      飫肥食べあるき町あるきMAP


1豫章館と庭園

一番上の写真のむかって左側にあります。

豫章館

 MAPを受付で提示して入ります。明治維新後、旧飫肥藩主の伊東家が移り住んだ屋敷だったということです。庭に大きなクスノキがあった事から、豫章館と名づけられました。
 この日、建物内で地元のご婦人たちが会合を開いていたようで、お邪魔にならぬようざっと見学して終わりにしました。

2小村記念館

 この豫章館と大手道を隔てて向い側に「小村記念館」があります。(一番上の写真の向って右側)
 飫肥の出身であった、明治期の外交官・小村寿太郎の資料館と集会所が併設されています。MAPを提示すれば入れます。うっかり、外観の写真を撮りそびれてしまいました。小村については、後述します。

3旧山本猪平邸

 旧山本猪平家
 
 MAPを提示して、入ります。飫肥の裕福な商人の家です。もともと、この地所は小村寿太郎の父親の屋敷があったところで、寿太郎もここで生まれました。山本家の右隣に石碑があります。
小村寿太郎生家跡地

 しかし、寿太郎の父親がとある事件に巻き込まれ、破産してしまい、家土地を手放さざるをえず、土地の南半分を買い取ったのが山本猪平でした。
 この家は、小村寿太郎が飫肥へ帰ってきたときのために建てたという家伝があるそうです。
 受付で、小村を記念したお菓子「寿太郎巻き」を販売しています。

       寿太郎巻き

 寿太郎巻きはMAPについている引換券も利用できますが、私は他所で引換券を使い果たしてしまったため、実費で購入し、自宅用のお土産にしました。


4商家資料館

 商家資料館


 明治3年(1866年)に地元の山林地主の方が飫肥杉を使用して建てた土蔵造りの家です。江戸時代の商人が使用していた道具類が展示されています。
 ここでは、MAPの引換券で「姫アイス」をいただきました。

      姫アイス

                       つづく

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A☆六文銭

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日本100名城完全制覇と有名人の墓めぐり(掃苔)
日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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