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駿府城

駿府城巽櫓

 今回、イベント参加のため静岡の駿府公園=駿府城跡へ行ったわけですが、ついでですので、駿府城について簡単に記しておきます。上の写真は復元された巽櫓および東御門で今回撮影したものですが、以下の写真は特に断りがない限り、2008年9月撮影のものです。
 桶狭間合戦で織田信長によって滅ぼされた今川義元の居館があったといわれる場所に、天正13年に徳川家康が城を築いたのが駿府城のはじまりです。しかし、この最初の城の詳細についてはわかっていません。その後、豊臣秀吉の小田原攻め(天正18年)により、家康は関八州に転封されたため、代わりに中村一氏が入封しました。なお、関ヶ原合戦以後は家康の異母弟である内藤信成が城主となっています。
 将軍職を息子の秀忠に譲った家康が、自らの隠居所として選んだのが駿府城でした。慶長12年(1607年)より西国大名に命じて城を大改修し、三重の堀を巡らし、五重七階の天守を築かせました。
 家康は何故駿府城を隠居所としたかという理由を江戸・増上寺の僧侶に問われて、次のように語ったということです。

一 自分が幼少の折に過ごした場所であり、故郷に近い印象
二 冬に暖かいこと
三 米が美味しいこと
四 西の安倍川、さらにその西南に大井川、北東に富士山や箱根山のある要害であること
五 諸大名が江戸と領地を往来する際、必ず駿府に立ち寄ることが出来る


なるほど・・・。一言でいえば、駿府は年寄りにとって過ごしやすいってとこですかね。しかし、彼の本音は大坂城にいた豊臣秀頼や豊臣方の大名に睨みをきかすことだったらしいですが。

 さて駿府城の本丸・二の丸の跡地である駿府公園の方を見てみましょう。

大手御門虎口 枡形がよく残っています。
DSCF6886.jpg

復元された二の丸東御門 入場するには200円支払います。
駿府城二の丸東御門

発掘調査で復元された本丸堀
駿府城本丸堀

同じく発掘された二の丸水路 (※今回撮影)
駿府城二の丸水路

徳川家康の銅像 趣味だった鷹狩りの扮装をしています。
徳川家康

家康お手植えのミカン 木の周りに柵が設けられていた。
家康お手植えのミカン

東御門内の展示室にあった五重七階の天守の模型。残念ながら、寛永12年(1635年)火事によって焼けてしまい、その後は再建されませんでした。
駿府城天守閣模型

二の丸跡地から発掘された青銅製の鯱
DSCF6777.jpg

なお駿府公園の南側にある静岡県庁分館のビルの上階に展望室があって、お城の外観を見ることができます。展望室の隣に、たしかレストランがあり、主に県庁に勤めている公務員の方たちが利用していますが、3年前に行った時は私も城を眺めながらランチを頂くことが出来ました。(今もあるのかな・・・?)
DSCF6849.jpg


それと、たしか12,3年前ぐらいでしたか、駿府城の天守を復元するという話があったんですよね。しかし、ちらっと聞いた話では、その復元話はどうやらボツになってしまったらしい。火事で焼失した天守の詳細が判明せず、はっきりしないものに多額の予算はかけられないと判断されたようです。その代わり、天守台の復元はやぶさかではないらしい。とはいえ、私も県民ではないので詳細がわからぬので、ご存知の方、是非ご教示くださいませ。

このお城は維新後、明治29(1896)年になって陸軍の歩兵34連隊が入ってきて、天守台の石垣は破壊され、本丸堀も埋められてしまったんですよね。ですから東御門を入ると、本当にただの広場というか、公園です。
ですが、地元の方たちの憩いの場所となっていることは確かです。
3年前に駿府公園の周囲だけでなく、三の丸堀の周辺も歩いてみたのですが、かなりの規模の外郭で歩き疲れてしまったことを付記しておきます。


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「静岡戦國祭」に行ってきました (^^)♪

駿府城


 ブログは筑前黒田家の途中ですが、ここで昨日静岡で開催された歴史系イベントの報告です。こういうキャッチーな話題はあまり時間が経ってから書いても新鮮味が薄れてしまいますので、今記しておこうと思います。(黒田家の方は後日アップします)

 第一回静岡戦國祭 (←クリックで公式サイトに飛びます)
 事前にネットの告知で知ったのですが、「静岡戦国プロジェクト実行委員会」の皆さんが、昨今の戦国ブームにちなんで、静岡県内のゆかりの地をPRするために企画されたのだそうです。一言でいえば、「観光誘致」活動ですかね。
 歴史ファンの中で、こういう戦国系イベントが大好きな人というのはけっこういらっしゃるのですが、実は私自身はあまりこの手のイベントは好きじゃないんですよね。というより、みんなでワイワイ騒ぐのが昔から大の苦手なのです。一緒にイベントへ同行出来るような友人もいませんし、一人で行ってもかえって孤独感を感じてしまうからです。それよりも、ピンで静かな山城で石垣でも見ていたほうが気が休まるのです(苦笑)。
 しかし、今回は興味を引かれるところがありましたので、意を決して出かけてみることにしました。

 早朝新幹線に乗り、静岡へ。午前9時頃静岡駅へ到着し、駿府公園の方へ歩きました。上の写真のとおり、良いお天気です。
 実は駿府公園=駿府城には過去に2回は来ています。100名城に選ばれているからです。スタンプの方は三年前にゲットしています。
 また、静岡県へは観光で数度訪れています。やはり気候が暖かいのはいいですね。若い頃は伊豆の方の温泉へよく行きました。あとお茶が好きなので、お土産に買って帰ったりしています。

 公園内の広場に開設された特設会場へ行くと、すでに人々の姿が。報道陣の姿もちらほらと。
  静岡戦國祭1

  ステージ上には来賓の方々がスタンバイ中。どこかでお見かけしたような顔も・・・(後ほど紹介します)
  静岡戦國祭3

  9時半くらいからイベント開始です。他県より応援にかけつけた甲冑隊の皆さん。どの方も気合十分で、マジで決まってます。こういう方たちって、レプリカとはいえ重い甲冑を抱えて各地へ参陣していらっしゃるそうですが、けっこう大変なのでは?と思います。
  静岡戦國祭2

  この日は晴れていたのですが、やはり北風が冷たくて、体が冷えてきました。辺りを見回すと、屋台がいろいろと出ています。ステージを離れて、ついつい屋台の方へ。
  DSCF0337_20110124214218.jpg

 まず、やきそば屋さんで売っていた温かい豚汁を。体が暖まります。
DSCF0334_20110124214158.jpg

 屋台が混雑する前に早めの昼食を取ろうと、富士宮やきそばと浜松餃子もゲット。美味しくいただきました。(^^)
DSCF0335.jpg DSCF0336.jpg

 本部受付のほうで今回のイベントの記念グッズを販売していたので、一応記念に買っておきました。(限定品だそうです)手ぬぐいとストラップです。
  DSCF0376.jpg

 イベントはまだまだ続きます。



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上城戸・下城戸跡 安養寺跡など 一乗谷城(六)

 そろそろ一乗谷もエンディングです。

 上城戸跡 朝倉氏遺跡の南側にある城下への出入り口です。現在は土塁の一部と濠跡が確認できます。
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 下城戸跡 朝倉氏遺跡の北側にある城下への出入り口です。福井方面(一乗谷駅方面)から来れば、県道18号線沿いにあり、大きな石碑が目印となってすぐわかると思います。
下城戸跡1

 裏側には巨石を用いた喰違虎口がありました。重さ45トン!もの巨石を積み上げて造られたんだとか。
DSCF5174.jpg


 朝倉景鏡(かげあきら)館跡  
 朝倉氏館より約700mくらい北側にあります。朝倉景鏡は義景の従兄弟で、最後に義景を裏切り、死へ追いやった人物です。主の首を織田信長に捧げ恭順し助かりましたが、後に一向一揆に攻められ、あえない最期を遂げました。
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 安養寺・義昭御所跡 
 上城戸の外側 国道18号を南(鯖江方面)へ下った東新町にあります。永禄10年に足利義昭が下向してきた際、ここにあった安養寺の敷地内に御所が築かれ、そこへ義昭が入りました。
 ハッキリとした表示板もなく、細い電信柱?に小さく「安養寺・御所跡」のプレートがあっただけで、車で来るとつい通りすぎてしまいます。近くにあった「一乗ふるさと交流館」の駐車場に車を停め、200mくらい南方へ歩きました。
 安養寺は朝倉孝景(敏景)が文明年間に創建した格式の高い寺で、天文年間には京から下向してきた公家の清原宣賢が「大学」「中庸」の講義を行ったとされる処です。
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 下の写真は寺の跡ですが、すぐ北隣の土地に御所が築かれたそうです。(御所跡の小さな石碑があったらしいが、よくわからなかった)
 DSCF5129.jpg

 以上で一乗谷城については終わりです。一乗谷にはこの他にも山城跡や寺院跡、石仏などがあり、全部見てまわったら丸一日は必要で見所満載です。「つわもの共が夢の跡」という言葉にふさわしい史跡です。
 実は、福井県の旅はまだまだ続きがありまして、読み続けていただいている方、恐れ入りますがもうしばらくご辛抱ください・・・。


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朝倉氏館と庭園を見る 一乗谷城(三)

 多忙によりブログ更新が遅れております。ちょくちょく覗きに来てくださっている方、申し訳ございません。気長にご覧いただければ幸いです。
 
 さて、一乗谷城の続きです。「復元町並み」を見学後、朝倉氏館跡の方へ行きました。ごく一般的な見学コースです。
 背後には城山がありますが、今回は時間の都合もありそちらはパスしています。(お城猛者はぜひどうぞ ただし蛇などが出たり、少々荒れている箇所もあると伺いました)
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 日本史やお城関係の本に必ず掲載されているのがここ「唐門」です。かつて、朝倉氏館があった当時、この場所にもう少し立派な平入形式の唐門が建っていたそうです。
 朝倉氏滅亡後、この地に朝倉義景の菩提を弔うため、彼の法名から名づけられた「松雲院」という寺がこの地に建立されましたが、唐門は豊臣秀吉が寄進したと伝えられています。(しかし、現在の唐門は江戸時代中期頃の再建だということです)
 朝倉氏館・唐門

 唐門から中へ入ると、整備された朝倉氏館の建物等の礎石群があります。(写真は上方から撮影)
 ここは発掘調査の結果、常御殿を中心に主殿や離れ座敷、台所、蔵、湯殿等16もの建物跡と庭園、花壇などの付属施設が発見されています。(花壇ですが日本最古の物なのだそう)

 土塁や濠をふくめた敷地面積は10,628㎡、土塁内部の平面6,425㎡もの広さを誇り、京の都にあった室町幕府の管領邸に匹敵する規模だそうです。
 現在の館跡は5代・朝倉義景の時期のもので、この頃(永禄年間)将軍・足利義昭の御成があったため、増築された建物もあったといいます。
 
  DSCF5038.jpg

 館の東南斜面を背景に造られた庭園。国の特別名勝に指定されています。池に水を落とすために、つづら折れの石組水路が造られています。
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 庭園の裏手の斜面を登っていき、館跡の北側の高台にある南陽寺庭園。(特別名勝)朝倉義景が永禄11年(1568)の春、足利義昭を招き歌会を催した寺です。庭園といっても小さな枯れ池と滝石組があるぐらい。寺跡の敷地は広々とした広場になっています。
  DSCF5048.jpg

 館の南側高台にある湯殿跡庭園(特別名勝)。朝倉氏館の中では最古の回遊式池泉庭園。庭園としては立派で価値があるそうですが、素人目には大きな石がごろごろ置かれているといった印象・・・(^ω^;)
 なお、この場所にどういう用途の建物があったのか記録もなく、発掘調査でも判然としなかったということです。
  湯殿跡庭園

 湯殿跡庭園から中の御殿跡の間に空堀のようなものがありました。石垣は当時のものかも…。
  DSCF5066.jpg

 中の御殿跡。こちらは朝倉義景の母・広徳院の居館があった場所だそうです。朝倉氏滅亡後、長く畑として使用されていたため、遺跡の保存状態はあまり良くなかったらしく、ただの広場といった感じです。
  DSCF5064.jpg

 諏訪館庭園。こちらは朝倉義景が側室・小少将のために造成させた庭園です。(特別名勝)。朝倉館の4庭園の中で最大の規模を誇ります。近年導水路の整備がなされ、四段組みの小滝に清水が流れ落ちて、往時をしのぶことができます。
 この日は9月下旬でも暑かったので、清水に手を差し入れたり、佇んでいる人たちが多くて、なかなかどいてくれず、20分くらい待ってやっと撮影できました。
 朝倉義景も自分の気に入りの女のためとあって、格段力を入れて造らせたのでしょう。素人目に見ても、なかなか趣のある庭園となっています。400年後の私たちが見ても、風情が感じられますね。今頃は紅葉が楽しめるかもしれません。
  諏訪館庭園

                   つづく



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戦国時代へタイムスリップ! 一乗谷城(二)

 つづき
 
 戦国時代、この辺りは「一乗」と呼ばれていたそうです。しかし、永正9年(1512年)頃より京の都から下向してきた公家や僧侶などの間で「一乗谷」という新名称で呼ばれるようになったんだそうです。 

 さて、「復元町並み」ですが、南側から見た風景です。ここののぞき穴から見た風景は・・・?
   DSCF4975.jpg

 一気に戦国時代へタイムスリップしたような感じです。12年前来た時には、この町並みを見ただけであたかも自分が戦国時代の住人になったような気分がし、感激したものでした(笑)
   一乗谷・朝倉氏遺跡

 観光客がちらほら出入りしていたので逐一写真は撮りませんでしたが、この南側の辺りは商家などの町屋が立ち並んでいました。

 さらにまっすぐ進んでいくと、武家屋敷の復元があります。実際にあった中級武士の館の北半分のみが復元されています。主殿や蔵、井戸、便所や茶室などもありました。
   DSCF4985.jpg

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 武家屋敷を見学中、なんと私たちは戦国武士に遭遇してしまいました! (@o@)
    DSCF4999p.jpg

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12年ぶりの一乗谷城 (一) (92/100)

一乗谷城

 福井行きの続きです。急な多忙により更新が遅れております。必ず書き終えますので(笑)、気長にお読みいただければと存じます。

 福井城を見た翌日は、レンタカーを借りて、100名城スタンプラリーのため一乗谷・朝倉氏遺跡へやってきました。
 一乗谷城は戦国大名・朝倉氏が一乗谷川沿いの自然の要害を拠点とし、城下町も越前の中心地として繁栄したものの、天正元年(1573年)の織田信長による朝倉攻めによって焼討ちに遭い、すべてが灰燼に帰してしまいました。そして、実に400年もの間、「埋もれた古城」となっていたものです。

 実はこの場所には12年前(1998年)に一度来ております。1995年に遺跡のメインである「復元町並み」が完成しましたので、私が来たのはちょうど復元後三年目でした。しかし、当時はまだ全国的にあまり知られていなかったのか、現地にはほとんど観光客がいなくて、城跡を独り占めといった感じだったのを覚えています。
 それから何かと忙しくて、再訪したい気持ちは多々あったのですが、なかなか北陸方面に来る機会がなく、今回やっと12年ぶりに再訪できて嬉しかったです。
 当時、まだ私も若く、しかもお城ビギナーだったので、「復元町並み」を見ただけで満足して帰ってきてしまいました(笑)。

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 最近、携帯電話のソフトバンクのCMのロケ地としてお城や歴史にさほど興味のない人々にも認知度が上がってしまったようで、この日も雨模様が続いてやっと晴れた週末だったこともあり観光客はけっこう多かったです。

 遺跡の手前に、「福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館」があります。ここでは、ジオラマですとか、発掘史料が展示されていますので、城跡の概要を知るためにも立ち寄って、知識を仕入れてから先へ進みましょう。
   DSCF4958.jpg

 一乗谷・朝倉氏遺跡は南北1.7kmにわたる細長い城下町です。
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 「復元町並み」の出入り口は南北それぞれ一箇所ずつあります。今回は南側ゲートから入場します。

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 受付で入場券を買い求め、100名城のスタンプをお借りして押印。92城目制覇です!ヽ(^ω^)ノ

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                    つづく

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名古屋城障壁画を守った乃木倉庫

 今まで見てきたとおり、名古屋開府400年関連のイベントで色々と楽しませてもらったのですが、まだ書き足さねばならないことがありました。

 西北隅櫓のすぐ側に、レンガ造り・漆喰塗りの倉庫みたいな建物がぽつんとあります。これを「乃木倉庫」といいます。
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 この乃木倉庫ですが、普段は非公開の建物なんですが、今期は期間限定(11月23日まで)で内部が公開されています。
 明治の初期、名古屋城内に陸軍の名古屋鎮台が置かれたのですが、その時に弾薬庫として建てられたものということです。「乃木倉庫」の名前の由来は、どうも名古屋鎮台に在任していた乃木希典(当時、陸軍少佐 後の陸軍大将)にちなんでつけられたものらしい、ということです。
 昭和20年3月、太平洋戦争の戦況が厳しくなり、いよいよ本土決戦かという時期に、もしもの事があっては…ということで、心ある人たちが名古屋城の天守閣や本丸御殿の襖絵・天井画などをこの乃木倉庫と西南隅櫓へ避難させました。(当時、名古屋城は国宝だった)
 そして、同年5月、B29による空襲により天守閣や本丸御殿は焼失してしまいましたが、乃木倉庫は幸いなことに焼け残ったのです。(しかし、庇の部分には不発弾が当たったそうで、そこだけは失われた)中に保管してあった障壁画などもほとんどが無事でした。
 こうして、戦火を免れた障壁画等のうち、1047面が重要文化財に指定されています。

 で、その内部ですが、入ってみるとこんな感じです。

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名古屋城お堀遊覧で、ちょっぴりお殿様気分!?

 本日、2つ目のメインイベントは、「名古屋城 お堀めぐり」です。このために、先ほど二の丸の受付で並んで座席を予約したのでした。就航は1日14便 1便あたり9名までしか乗舟出来ません。
 集合時刻が近づき、受付へ行くと、なんとあのおしゃべりオバサンが娘・孫と一緒にいました!嫌な予感が的中してしまいました。(-_-;)待合所で相変わらず大声で娘や孫としゃべっています。いやはや…)略

 気を取り直して、係員の指示に従ってお堀の波止場へと向かいます。
 今年の6月、NHKの歴史番組「歴史秘話ヒストリア」で、幕末の尾張藩主・徳川慶勝について取り上げられたことは以前お話したかと思いますが、その慶勝が名古屋城の写真を多数撮影しており、ちょうどこの場所で撮影された写真が残されていました。(↓写真参照)
 この「埋御門」と呼ばれる場所ですが、なんとお殿様のマル秘・緊急脱出口だったのです。有事の際、二の丸に住んでいたお殿様がこの場所から用意された小舟に乗り、お堀を渡って城外に出ることを想定していたそうです。
 しかし、当時マル秘の厳重区域であったにもかかわらず、どうして徳川慶勝はこの場所を撮影したのでしょうか…???

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 波止場では小舟がスタンバイ中。順番に乗り込みます。
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 9名の乗客が乗り込み、いざ出発です。船頭さんが二人(ベテランの男性と若い女性)、ガイドさん一人が一緒です。
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 私たちが乗った舟はゆっくりとお堀の中を進んでいきます。
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 ベテランのガイドさんが、今回の遊覧の見所を解説。とくに、石垣には注目してほしいとのこと。
DSCF6674.jpg

 遊覧では、普段は遠目でしか見られない二の丸付近の石垣を間近で見ることができます。石垣の石には様々な刻印が打ってあり、普請を担当した大名の目印になっています。
 DSCF6741.jpg

 その後、小舟はお堀の外側の方へ移動していきます。第一のビューポイント、天守閣が眺められます。
 (その下には先に出かけた小舟が浮かんでいます)
DSCF6688.jpg

 そして、舟は次のビューポイントへ…(続きをクリックしてください)

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A☆六文銭

Author:A☆六文銭
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日本100名城完全制覇と有名人の墓めぐり(掃苔)
日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

★当ブログ内の文章、写真等はすべて無断転載禁止です。宜しくお願いします。
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