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旧磯野家住宅(通称「銅御殿」 国重要文化財)

 毎秋、東京都では10月末から111月初めの約1週間、「東京文化財ウィーク」と題して、都内にある文化財の特別公開を実施しています。今年は10月27日から11月4日まで開催していました。

 都内文京区にある旧磯野家住宅。地下鉄丸ノ内線「茗荷谷」駅より歩いて2分くらいのところにあります。
 明治時代、千葉県の「山林王」と呼ばれた実業家・磯野敬によって建てられた近代和風住宅です。現在、国重要文化財に指定されています。
 
 「東京文化財ウィーク」の催しの一環として、今回通常非公開の建物内部に限定20名のみ入れる見学会が実施されるということで、ハガキで応募したところ、見事に当選しました。ちょうど、主人の両親が二人とも入院していた時期でバタバタしており、ハガキを出したことすら忘れていたのですが、せっかくの機会ですので見学しにいってきました。(10月30日)
旧磯野家住宅10



 旧磯野家住宅は「湯立坂」沿い(左の道)にあります。文京区は本当に坂道が多いです。
 湯立坂
 
 玄関で受付をすませ、当選者20名が集まったところで見学会スタートです。
 旧磯野家住宅は、関東大震災後新潟の「石油王」中野貫一が譲りうけ、戦後はホテルニューオオタニ創業者一族である大谷哲平が入手し、現在は財団法人大谷美術館が所有していますので、同美術館の学芸員の方が説明してくださいます。 
 旧磯野家住宅4

 まず、この立派な四脚門です。
 扉は楠の一枚板が使われています。太柱は尾州檜が使用されています。
旧磯野家住宅1

 均一の丸太が垂木のように整然と並べられた屋根裏。軒先が緩い曲線を描いているのが特徴。
旧磯野家住宅5


 門の脇のくぐり戸から中へ入ります。
 門から主屋へのアプローチは地面に丸い石が敷き詰められています。これは「磯」をイメージしているとのこと。
 旧磯野家住宅6


 住宅の施主であった磯野敬は当時若干21歳の大工棟梁・北見米造に託し、とにかく金に糸目をつけず、全国から最良の資材を取り寄せたといわれます。
 下の写真は佐渡から取り寄せた赤石。
 旧磯野家住宅7

 こちらはたしか伊豆から運ばせたという石です。これら庭先の巨石にも施主のこだわりが感じられます。
 旧磯野家住宅11

 
 
 銅板葺の屋根、外壁にも銅板をはりめぐらせた三階建ての主屋。完成当初はピカピカ光っていたそうで、このことから、近所では別名「銅御殿」と呼ばれていました。現在は経年変化で落ち着いた色合いを醸し出しています。
 背後にマンションが見えますが、ちょっとこのことを覚えておいてください(後述します)。
 旧磯野家住宅2


 玄関部分をアップで。
 旧磯野家住宅3

 玄関の庇裏ですが、社寺建築の影響を感じます。
 旧磯野家住宅8


 この後、建物の内部に入らせていただきました。建物内部は撮影不可ということで写真はありません。
 父親から建物を相続した大谷利勝氏(大谷美術館館長・日大名誉教授)が出てこられて、見学者は一階の書院に面した畳廊下にて説明を受けました。大谷氏はホテルニューオオタニ創業者のお孫さんにあたります。

 建物の施主・磯野敬のコンセプトは「寺院風で、地震と火災に強い建物を」だったということで、壁は左官職人が11回!も塗り重ねたとかで、関東大震災の時もヒビひとつ入らなかったそうです。
 また、内部を非公開にしているのは、居室に敷かれている畳が通常の2倍の厚みがあり、現在これだけの畳を作れる職人がいないということで畳替えが不可能のため、文化庁の指導でやむをえず人の立ち入りを制限している、ということでした。
 写真で紹介できないのが残念ですが、大谷氏は家の柱には木曽の御用林(皇室所有の)の一山丸ごと買い付けた檜が、床の間には御蔵島のクワが、窓ガラスにはベルギーから取り寄せた板ガラスが使用されるなど、家の隅々に至るまで贅をこらして築かれたということを熱く語られました。
 

 2階、3階は大谷氏のお嬢様が案内してくださいました。お嬢様はこの家で生まれて育ったのですが、大変貴重な建物とはいえ、夏はとても暑く、冬はとても寒い(火事を防ぐためストーブ等が使えなかったとか)のが玉にキズだったとユーモアを交えてお話されました。
 3階の部屋は昔、父親の利勝氏が勉強部屋にしていたそうですが、当時はここから富士山が眺められたそうです。写真で紹介できませんが、居室のあかりとり窓も当時としてはユニークな洒落たデザインでした。
 お嬢様は最後に、数年前に亡くなられたお母様(利勝夫人)の思い出話をされました。
 お母様は若い頃、 上野の東京文化財研究所にお勤めだったせいもあり、文化財に対する理解は人一倍おありで、ご主人と共にこの家を守っていこうという強いお気持ちがあったそうです。
 しかし、これだけの屋敷に嫁いできたので、家の中の掃除等は女性の役目だから、磨きあげるのに毎日大変だったのではないか・・・と。
 亡きお母様を偲ぶ言葉に、私は一生懸命廊下の雑巾がけをしている女性の姿が脳裏に浮かび、思わずホロリとさせられました。
 お嬢様は祖父から父へ受け継がれたこの家を、将来も大切に守っていく決意をされているようでした。
 

 なお、大谷美術館では毎年春と秋に数回公開日を設けており、事前に申し込めば外観のみ見学可能です。
 (今回のように建物の内部見学は文化庁の指導により、原則年に1回のみだそうです)
 帰りがけに参加者の方にうかがったところ、過去に2~3度内部見学会の抽選に外れたという方がおられたので、私はラッキーだったみたいです(笑)。

 
 問い合わせ先 (財)大谷美術館 Tel 03-3910-8440


    ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★

 旧磯野家住宅に隣接する土地に、N不動産が先年14階建てのマンションを建設しようとしたため、周囲の景観が損なわれる等の理由から近隣住民らが設計変更を要求して訴訟を起こしたという一件がありました。私なども報道でこの件を知りました。しかし、東京地裁で訴えは却下され、結局マンションは建ってしまいました。
 (左側のマンションが問題のプ○○ド小石川。旧磯野家住宅の裏側にあります)
 湯立坂2

 湯立坂沿いには下の写真のような抗議の立て看板が。
 旧磯野家住宅9

 現場を見てみて思ったのは、N不動産もせいぜい4,5階建ての低層マンションにするとか、もう少し配慮してくれればよかったのに・・・ということです。
 これから人口が減少し、住宅が余剰になる時代に、どこでもかしこでも高層マンションを建てればいいというものでもないように思います。
 もともと、このマンションの敷地は大谷家が所有しており、先代が他界されてから相続で土地を分割し、そのうちの一人がこの土地を売却してしまったと伺いました。
 我が国では不動産に多額の相続税がかかることもあり、せっかく貴重な建物を所有していても結局取り壊さざるをえないというケースが多いそうで、色々考えさせられしまいます。
 
 ところで、うちの実家の母は娘時代、この近所の学校に通っていたのですが、後で聞いてみたら建物の存在自体まるで知らなかった、と言われてしまいました(汗) 当時は一般にはあまり知られていなかったんでしょうね。
 
 

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岡崎市「旧本多忠次邸」 (後)

 つづき

 階段で二階へ上がります。ベッドが置かれた寝室。
本多邸14


 あつらえた家具にはすべて、下の写真のような「お印」が付けられています。
  本多邸11


 寝室に続き、主人が使用した書斎。6つの窓があり採光はバツグンです。1階にあったサンルームのちょうど上になります。机、椅子とも当時のもの。
本多邸10


 昭和初期頃流行した「アール・デコ」様式のお茶室。写真には写っていませんが、手前の入り口付近に水道の蛇口が備えつけられており、ここでお茶を入れることができます。
本多邸17


 2階の面積の約半分を占める3間続きの和室(一番奥が客間)モダンな印象の強い館にあって、やはり日本人ならではの趣向。
本多邸16


 2階にも浴室がありました。
本多邸13

  海の中を魚が泳ぐステンドグラス。洒落たデザインです。
 本多邸12


  廊下には消火栓が設置されており、防災についても考慮されています。
  本多邸15


 館の主人、故本多忠次氏。氏は建築関係の資料を集め、西洋風の家を所有するお宅へ実際足を運んでデッサンする等研究を重ね、この家を設計されました。
 先日終了した企画展「徳川四天王本多忠勝と子孫たち」(岡崎市美術博物館)の中で、設計図や氏が参考にした建築資料が紹介されていました。
   本多忠次氏


 それにしても昭和初期に建築されたとは思えないほど工夫の凝らされた館であり、逐一感心しながら見学しました。
 照明や家具、ステンドグラスもほぼ当時誂えたものですので、細かい箇所にも注目です。

 歴史的にも建築的にも価値のある同邸ですので、本来なら小金井にある「江戸東京たてもの園」あたりで保存してくれればよかったのに・・・とも思いましたが、おそらく予算的に厳しかったのでしょう。しかし、愛知県岡崎市の尽力で取り壊しを免れ、こうして復元保存されたことは大変喜ばしいことでした。
 同邸は先月公開が始まったばかりだそうですが、土日祝は一日200人以上が見学に訪れ、なかなか盛況だとか。
 ボランティアガイドさんが数人常駐され、詳しい説明を伺うこともできます。
 今回、あるボランティアの方に「この後、岡崎市美術博物館へ行きます」と何気なく言ったら、その方もちょうど用事があって同館へ行くというので、車で送ってくださいました。親切なご対応に感謝申し上げます。



 参考サイト 旧本多忠次邸(岡崎市ホームページ内)
 

  愛知県岡崎市欠町字足延40-1  ℡0564-23-5015 
 
より大きな地図で 岡崎市「旧本多忠次邸」 を表示




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旧師団長官舎

 当ブログのテーマからはややそれてしまいますが、私は旅に出ると、近代の建築物を訪ねて歩くことがよくあります。
 これからご紹介する建物もそのうちの一つです。

 旧師団長官舎 (上越市大町2丁目)
旧師団長官舎11


 明治43年(1910年)、陸軍第13師団長・長岡外史の邸宅として築かれた木造の洋館です。その後、旅団長官舎として使用されたり幾多の変遷を経て、昭和20年(1945年)の終戦後は一時米軍に接収され、自衛隊が高田に駐屯してからは平成3年(1990年)まで幹部官舎として使用されていました。
 元々は上越市南城町3丁目にありましたが、建物の保存のため平成5年(1993年)に現在地へ移築・復原したものです。
旧師団長官舎5


 長岡外史(1858~1933年)の胸像。実はこの方、オーストリア人のレルヒ少佐を招き、軍に初めてスキーを導入したことで有名です。これが日本におけるスキーの発祥とされています。
 それにしても、立派な髭です。。。(「プロペラ髭」と呼ぶらしい)
 高田には明治43年より2年半ほど滞在していました。
 この建物には長岡の意向が色濃く反映しているそうです。

  旧師団長官舎10


 それではさっそく中へ入ってみることにしましょう。

 1F食堂
旧師団長官舎6


 傍らに、「秋山好古」について書かれたパネルがありました。秋山は第13師団の第四代師団長(大正2年1913~大正4年1915)を務めていました。説明パネルはドラマ『坂の上の雲』放映時に設置されたと思われます。
 
旧師団長官舎7


 1F婦人応接室 師団長の奥さんが使用されたものでしょうか。ピンクを基調とした、やさしい印象の部屋です。
旧師団長官舎8


 1F書斎  シックな感じの部屋で、クラシカルな調度品がマッチしています。窓際の机は実際長岡が使用していたものだそうです。
旧師団長官舎1



 1F半温室 いわゆる「サンルーム」ですね。自然光がたっぷり差してきて、ここで読書などをしてくつろいだことでしょう。
旧師団長官舎9


1F男子応接室  応接間は男性用・女性用と別々なのが興味深いですね(笑)
旧師団長官舎14



 1F廊下。それでは次は2階へ。
旧師団長官舎13


 2F階段部 右方の三日月&星印が洒落ています。
旧師団長官舎2


 ステンドグラス窓 当時の物のようです。
  旧師団長官舎12



 2F座敷  2階部は1階の洋風な造りとはガラリと印象が変わって、すべてが和室になっており、プライベートな生活の場となっています。
旧師団長官舎4

 2F子供室 子供室は2部屋ありました。これも和室です。
旧師団長官舎3


 ※新しいPCを導入しましたが、どうもまだ慣れなくて、この記事を作成するのに5時間くらいかかってしまいました(泣)
  しばらく飛び飛びの更新になりそうですが、ご了承ください。

 
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Author:A☆六文銭
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日本100名城完全制覇と有名人の墓めぐり(掃苔)
日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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