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紀子様高祖父、「箱館戦争」を戦う (小菅智淵の墓)

 秋篠宮妃紀子様と会津藩士・池上家 のつづき


 先日、秋篠宮妃紀子様のご先祖様は会津藩士だったことを書きましたが、ついでですので、もうお一方のご先祖様を紹介します。
    紀子様2


 紀子様の曽祖父で、第6代大阪市長を務めた池上四郎の岳父(妻の父親)に、「小菅智淵」という方がいらっしゃいます。
 つまり、紀子様からみると小菅智淵は高祖父にあたります。

 小菅智淵は幕臣の関定孝の次男として江戸に生まれ、後に小菅家の養子となりました。幕府の軍艦操練所や開成所で学び、「砲兵指図役頭取」となり、「幕府工兵隊」創設の準備をしていたといいます。
 おりしも幕末風雲急を告げる中、小菅は江戸城の開城に反対し、「幕府脱走軍」に加わって、市川にいた新選組の土方歳三らと共に、宇都宮、会津若松と転戦。仙台から榎本武揚の軍艦に乗り込み、蝦夷地(北海道)へ。「箱館政府」の末端に名を連ねます。


 北海道函館市陣川町に、国史跡「四稜郭」があります。
 
 函館といえば、星形の城「五稜郭」が有名ですが、「四稜郭」は「五稜郭」の北方3kmの高台に築かれた砦です。
 五稜郭の鎮守府だった東照宮を守るために築かれました。

 
  明治2年(1869年)4月下旬、兵士約200人と地域住民約100人により、突貫工事で築かれました。下の案内板の図のように、蝶が羽を広げたような形をしています。
  従来、「四稜郭」は大鳥圭介が設計したという説がありますが、測量術にたけていた小菅智淵も加わっていたようです。(※2007年撮影)
 四稜郭2

 
 古いデジカメで撮影したので、あまり良い写真ではないのですが、このように土塁が築かれています。
 しかし、この砦は新政府軍の攻撃を受け、同年5月11日に陥落しています。
 四稜郭1

 

 敗戦後、榎本武揚らは死一等を減じられ、小菅も静岡藩預かりの身となりますが、約1年後に赦免。
 後に小菅は参謀本部測量課長に任命されると、全国測量の計画を立て、今日の5万分1地形図の基礎を築きました。
 明治21年(1888年)、陸地測量部初代部長に就任しますが、視察の帰途名古屋にて病没。享年56歳でした。
 戦前まで、芝公園に銅像も建てられていたそうです。


 小菅智淵のお墓は東京・青山霊園にあります。親族の墓参りをしていた時、偶然に見つけました。
 その後、小菅家は子孫が絶えたため、現在は紀子様の伯母様が家を継いでおられるとのことです。
 小菅智淵の墓


 以上見てきたように、小菅智淵も娘婿の池上四郎も最後まで幕府に忠節を尽くし、「敗者」となりましたが、維新後は逆境の中、功績を残されました。


 ※本当は大河ドラマ「八重の桜」のストーリー展開にあわせてアップしようと思っていましたが、戊辰戦争のくだりがちょうど引っ越しの時期と重なり書きそびれてしまい、掲載が遅れました。

 

参考サイト 測量・地図ミニ人物伝:小菅智淵(国土地理院HP内)
 

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「敗者」から「国母」へ・・・秋篠宮妃紀子様と会津藩士・池上家

 NHK大河ドラマ「八重の桜」も、とうとう今日で放送終了してしまいました。(といっても、今日外出していたので、まだ最終回を見ていません)

 これをもちまして、会津の話も幕を閉じましたので、最後に番外編として記します。(※ここのところ墓の写真ばかりで、スミマセン!)
 



  秋篠宮妃紀子様 (いつもお美しい・・・ため息がでます) 
  実はご先祖様は会津藩士でした。
   秋篠宮妃紀子様


  紀子様の父方の曽祖父、池上四郎(1857~1929) は会津藩士・池上武輔の4男として生まれました。会津藩家中でも250石取りの上級藩士の家です。

 会津戦争時は12歳だったため、年齢制限のため「白虎隊」には入隊できず、若松城に籠城していたということです。
  明治維新後は一家で斗南へ移住するも窮乏の生活が続き、四郎は上京して苦学しながら勉学に励み、やがて警視局巡査として採用され、地方の警察署長、部長等を歴任。
  44歳の時、大阪府の警部長となり、13年間にわたり大阪の治安維持につとめました。
  大正2年(1913)、四郎57歳の時にそれまでの手腕を買われ、大阪市長に就任します。在任中は、市財政の健全化、大阪のインフラ整備に尽力したそうです。
  また、関東大震災の折には大阪港よりいち早く支援物資を関東へ送ったということです。
  大阪市長退任後は朝鮮総督府政務総監に就任しますが、昭和4年(1929年)任期半ばで病気に倒れ、死去。享年73歳でした。
  なお、大阪・天王寺公園には四郎の功績を讃え、銅像が建てられたそうです。

 
  福島県会津若松市栄町にある「興徳寺」。
  寺の境内には「秋篠宮妃紀子さま父方御先祖 会津藩士池上家の墓が墓地中央にある」と看板がありました。
   池上家の墓3

   
  同寺の墓地内に池上家の墓がありました。数年前、市内で墓めぐりをしていた際、偶然見つけました。
 池上家の墓1


  墓石の裏面には、紀子様の曽祖父、池上四郎の名前が刻まれていました。「明治四十年七月建之」と記されています。
  四郎が会津にいたのは少年時のわずかな間でしたが、心は生涯会津にあったのでしょう。
 池上家の墓2

  
 
 160年前、池上四郎は「敗者」として辛酸を舐めましたが、時代は変わり、そのご子孫である紀子様は宮妃となられ、平成18年(2006年)には悠仁親王様をご出産。皇統を守るという大きな務めを果たされ、将来は「国母」となられます。
 墓前で、つくづく歴史的な運命を感じずにはいられませんでした。

   紀子様悠仁様


 会津人のこころが、お母様から幼い親王様へと受け継がれていきますように。



   紀子様高祖父、「箱館戦争」を戦う(小菅智淵の墓) へつづく

 


参考サイト 会津人物伝「池上四郎」(会津若松市サイト内)
        秋篠宮紀子妃系図(近現代・系図ワールド)


  
  
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ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が讃えた男・秋月胤永の墓

 会津藩士、秋月胤永(悌次郎)の墓

 秋月胤永の墓2


 大河ドラマ「八重の桜」では俳優・北村有起哉さんが演じました。

 松平容保と共に、会津戦争の降伏式に臨んだのが手代木勝任とこの秋月胤永でした。胤永は他の重臣たちと共におよそ3年3か月の禁固に処されました。
 明治5年に赦免されると、胤永は新政府に呼ばれて左院少議になりますが、明治8年に左院が廃されると職を辞し、故郷に帰り、しばらく老母の介護をしていたといいます。
 老母を看取った後は文部省から招聘され、各高等学校の教職を務めます。
 胤永67歳の時、熊本第五高等学校の教授に就任しますが、胤永の1年遅れで赴任してきたラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は胤永の高潔な人柄に接し、「神様のような人」「先生(秋月)が来られると、春が来たように暖かいものが溢れる」と讃えました。
 明治33年(1900年)没。
 墓は東京・青山霊園にあります。

  秋月胤永の墓1


 
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松平容保の墓 (会津藩主松平家墓所)

 NHK大河ドラマ「八重の桜」で、主要人物のひとり、会津藩主、松平容保(1836~1893年)の墓の紹介です。
 ドラマでは俳優の綾野剛さんが好演し、容保のイメージそっくりということで世間の評判も良かったそうです。

    松平容保肖像



 今年6月、会津へ行った際に初めて会津藩主松平家墓所を訪れました。

 墓所は市街中心地から外れた、東山温泉のほう、自然の豊かなところにありました。約15,000㎡という広大な敷地で、大名墓所としてはかなり規模が大きいです。
 会津松平家墓所1


 墓所の案内図。ご覧のように、歴代藩主の墓が建てられていますが、容保の墓は左上の○印をつけてあるところ、墓所の奥まったところにあります。
  二代藩主、正経以外の歴代藩主の墓は神式にて建てられています。
 会津松平家墓所2



    (他の藩主の墓は省略)



 容保の墓付近へ来ました。墓所手前には容保の経歴を記した大きな碑石が置かれています。
 松平容保の墓1


 その奥に容保のお墓があります。容保は晩年日光東照宮の宮司などを務めましたが、明治26年(1893年)12月5日に59歳でその波乱に満ちた生涯を閉じました。
 亡骸は東京・新宿の「正受院」という寺に葬られますが、大正6年(1917年)にこちらの墓所に改葬されました。
 松平容保の墓2


 容保の墓は歴代藩主の墓に倣い、神式ですので、
 「正三位松平容保之墓」という表石の後方に墳丘があり、そのてっぺんに「鎮石」が置かれています。こちらの下に亡骸が葬られております。
 松平容保の墓3


 容保の墓の左隣には、容保の家族、子孫の方が眠る「松平家之墓」があります。
 ここには、容保の義姉である照姫(女優・稲森いずみさんが演じた)も葬られています。照姫もまた、東京の「正受院」から容保と共に改葬されました。
 照姫と容保姉弟は血のつながりこそありませんでしたが、晩年も和歌のやり取りをするなど、終生仲の良い間柄であったと伝わっています。
 松平家之墓


 この日は早朝ということもあり訪れる人もなく、あたりは深閑として、野鳥のさえずりだけが聞こえてきました。
 「朝敵」の汚名を着せられながらも、最後まで信義を貫き、徳川家に忠誠を尽くした松平容保。
 墓前で心より冥福を祈りました。



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徳富蘇峰碑 および宣教師Davisの墓(同志社墓地4)

 すいません。同志社墓地に追記です。頭がぼけていて、掲載するのを忘れました(汗)

 徳富蘇峰の碑

 新島襄の弟子であった徳富蘇峰の碑。山本覚馬の墓の右隣にありました。
 蘇峰の墓は東京の多摩霊園にありますが、おそらく彼自身死後も魂は恩師の側にいたかったのでこの碑を建てたのではないかと思われます。(分骨等は不明)
 「昭和22年(1947年)自誌」と碑の裏側に記してありました。

 徳富蘇峰碑



 Jerome Dean Davis(1838-1910)の墓

 アメリカン・ボード宣教師。同志社開校時、新島襄と共に教師を務めました。また襄と八重が結婚する時、立ち会ったのがこの人です。
 常に襄の助力者であり、『新島襄の生涯』という伝記も著しました。襄のお墓の右隣にあります。

 デイビスの墓


  すみませんが、2日くらい休ませていただきます。


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山川浩(大蔵) および山川家の墓

 大河ドラマ「八重の桜」で、ドラマの最初から主要人物の一人、会津藩家老、山川浩(大蔵)とご家族の墓の紹介です。
 お墓は東京、青山霊園にあります。

 山川家の墓

 山川家墓所の敷地内に、角柱墓が3基建てられていますが、向かって右が浩(大蔵)、中央が「山川家之墓」、左が浩の母、「唐衣」の墓となっています。
 

 山川浩(大蔵 1845~1898年)の墓

 会津戦争の折は日光口を防備し、善戦。
 ドラマでもやりましたが、小松彼岸獅子隊を先頭に敵中を突破してのけ、若松城に入城を果たしました。
 しかし、会津藩は降伏。会津藩は遠く下北半島の南部領田名部へ転封させられます(「斗南藩」と名付けられる)
 藩の重役の中で罪を問われなかった大蔵(浩)が藩の権大参事に就任し、会津より1万7300人の藩士とその家族を移住させ、幼い藩主・容大を支えつつ、困窮する藩士たちを救うため奔走します。
 しかし、彼の努力もむなしく、明治4年廃藩置県により斗南藩は消滅し、大蔵も免職させられてしまいます。
 その後、大蔵は東京へ移住、陸軍に入り、明治10年の西南戦争にも従軍しました。(ドラマでは、西郷隆盛と鉢合わせ?してましたよね。もちろん、あれはフィクションですが。。。)
 晩年は東京高等師範学校長、貴族院議員となり、明治31年1月に男爵に叙せられるも翌2月4日病没しました。
 浩は非常に面倒見の良い性格で、常にその家には旧会津藩関係者が身を寄せていたそうです。

 また、会津藩の正当性を訴えた著書、『京都守護職始末』は、彼の遺稿を弟の健次郎が完成させたといわれています。

    
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 浩の肖像写真が残っていますが、幕末維新の人物の中でもイケメンの部類でして、ドラマでは玉山鉄二さんが好演しました。
     山川浩肖像

 山川浩の墓


 浩の弟、健次郎はエール大学に留学し、物理学を専攻。教育界に身を投じ、後に東京帝国大学総長に就任しました。
 また、妹の捨松(後に大山巌夫人となる)は日本初の女子留学生として渡米しました。浩は彼らの親代わりとして、新しい時代を生きるためにはまず教育が必要と考えたのでしょう。



   この日(10月末)、墓参の道すがら、赤とんぼを見つけました。
  青山霊園



関連記事 「白虎隊生き残り」飯沼貞吉の墓 (※母方のいとこ)
       新島八重の墓
       山本覚馬の墓
       鶴ヶ城(会津若松城)を守った男・・・遠藤敬止の墓






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山本覚馬の墓 および山本家、新島家の墓(同志社墓地3)

 新島八重の墓 つづき

 
 山本覚馬の墓

 八重の実兄、山本覚馬のお墓です。
 ドラマの中でも触れられましたが、覚馬は維新後に購入した旧薩摩藩邸の土地を提供するなど、同志社設立の影の立役者でした。
 覚馬は合理的な精神の持ち主であり、晩年は盲目になりながらも、新しい時代を築くための努力を最後まで惜しまなかった人だと思います。
 明治25年(1892年)12月28日死去。
 俳優、西島秀俊さんの好演も良かったです。
 山本覚馬の墓



 山本久栄の墓

 久栄は覚馬と2番目の妻、小田時栄との間に生まれた娘。
 ドラマの中でも触れられましたが、徳富蘇峰の弟、健次郎(後の蘆花)と恋に落ちます。
 しかし、新島襄や叔母の八重らは、この若い二人の恋愛を認めず、二人は破局してしまいます。
 明治26年、久栄は23才という若さで病没。
 徳富蘆花は後々までこの苦い恋愛を引きずり、彼女とのことを『黒い眼と茶色の目』という小説に書きました。

 山本久栄の墓




 山本家の墓。覚馬・八重の両親である権八、佐久夫妻、および弟・三郎の墓。
 山本家の墓



 新島家の墓。襄の両親である新島民治、登美夫妻、襄の妹・美代、襄の養子・公義の墓。
 新島家の墓

 

 その他、同墓地には同志社大学の関係者の墓が複数ありましたが、ドラマとは無関係なので省略させていただきます。 ⇒追記あり

 この日、八重の墓目当ての人以外にも、同墓地に眠っている同志社関係者のご遺族と思われる方などが墓参に来られていて、キリスト教の祈りを捧げていました。
 墓地の周囲には同志社関係者ではない、一般のキリスト教信者の墓が多数ありました。多分、明治の頃はキリスト教が差別されていたので、こういう不便な場所に墓地を求めざるをえなかったのでしょう。

 うちの主人も今回一緒に墓参してくれたのですが、さすがに往復はくたびれてしまったようで、
 「ここへまた来ることは流石にないだろうと思う・・・」と言っていました。同行させてしまって申し訳ない思いにかられました(泣)。
 墓地への道は、舗装されているわけではないので、正直行きづらいです。墓参の際は足元にご注意ください。

 今年一年、ドラマの影響でずいぶんと騒がしかったでしょうが、再び静寂が戻るのではないでしょうか。



関連記事  山川浩(大蔵)の墓
 
 
   *******************************

 
 下ってきて、少し歩いていたところに小さなクレープ屋さんがあったので、そこでフルーツ入りのクレープを食べました。
 クレープなんて久しぶりでしたが、墓参で小腹が空いてたので美味しかったです。
 クレープ屋1
 クレープ屋2





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新島八重の墓(同志社墓地2)

 新島襄の墓 のつづき


 大河ドラマ「八重の桜」は残すところあと2回となり、劇中主人公の八重はまだ生きていますが、便宜上もう書いておきますね。

 新島八重(1845~1932年)の墓

 昭和7年(1932年)6月14日、京都市内の自邸において死去。86年の生涯を閉じました。
 墓銘は徳富蘇峰によるものです。旦那様の襄の墓より小ぶりです。
 新島八重の墓1


 ご覧のように、八重の墓は先に亡くなったご主人の墓の隣にあります。
 新島八重の墓2


 激動の幕末~明治、大正、昭和と、会津の女として誇り高く生きた人生でした。


                  山本覚馬の墓 および山本家、新島家の墓 へつづく



 関連記事 新島襄・八重夫妻が暮らした家・・・「新島旧邸」
        山本覚馬・新島八重生家

 
 
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日本100名城完全制覇と有名人の墓めぐり(掃苔)
日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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