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高田城

 6月上旬のある日、JR東京駅より上越新幹線に乗り・・・
  上越新幹線

 越後湯沢駅で「特急はくたか」に乗り換え・・・
  特急はくたか

 さらに、直江津駅で「信越線」に乗り換えて・・・
  JR信越線

 JR高田駅(新潟県上越市)に着きました。
  P6020048.jpg


 駅から歩いて10分くらいで、高田城址(高田公園)に着きました。
    高田城3

 
 慶長15年(1610年)、徳川家康は越後福島城主・堀氏を改易し、替わって自らの6男である松平忠輝(1592~1683年)を60万石で入封させます。
 慶長19年(1614年)、忠輝の舅にあたる仙台藩・伊達政宗を普請総裁とし、近隣の13藩による助役普請により、たった4ヶ月という突貫工事で城は完成しました。
 しかし、元和元年(1615年)8月、忠輝は父・家康から不興を買い突如勘当され、翌元和2年(1616年)7月所領没収の上、伊勢国朝熊に配流されてしまいます。
 以後、酒井→松平→稲葉→戸田→久松松平→榊原氏と変遷します。

 高田城は自然の地形を活かして築かれましたが、石垣および天守閣は造られませんでした。
 明治3年の火災により本丸御殿が全焼し、翌明治4年には廃藩置県により城は破却されます。
 平成5年(1993年)、市民の願いにより本丸西南隅にあった三重櫓が復元されました。
 公園内には約4000本の桜が植えられており、イベントなども開かれて多くの観光客が訪れるそうで、桜の頃来てみるのがよさそうです。

 現在城跡は公園、および学校などの施設があります。
 下の城絵図は城が完成した松平光長時代のもの。
 高田城5

 復元された三重櫓と土塁
高田城2

高田城1


 やはり、家康の息子の城ということで、それなりのでかい城が築かれました。それは今も残っている堀の規模を見ればわかると思います。
 なお、明治以降陸軍の師団が入ってきたときに、埋め立てられてしまった箇所もあります。
 西堀
高田城4

 本城堀
高田城11
 

 本丸跡。この付近にはかつて本丸御殿がありましたが、明治3年に全焼してしまいました。
高田城10
 

 復元された極楽橋
高田城9


 三の丸跡 他の城では三の丸に家臣の屋敷が置かれることが多いが、高田城では城代屋敷や米蔵などが置かれていたといいます。
高田城8


 公園内の片隅にあった土塁跡
高田城7


 なお、高田城の本丸から南西約1kmくらいの青田川沿いにも土塁が残っていました。これが外郭のラインだと思います。
高田城6


 せっかく松平忠輝の舅、伊達政宗が音頭をとって、これだけの規模の城を造ってくれたのに、落ち着く間もなく改易された忠輝が気の毒に思われました。
 なお、忠輝はこの後、伊勢→飛騨高山→信州諏訪に移され、天和3年(1683年)92歳で亡くなりました。

   
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                                     つづく


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壬生城

 昨年でめでたく日本100名城スタンプラリーも終了しましたので、今後は関東近郊の城巡りをしていきたいと思います。

 東武宇都宮線壬生駅で下車します。
 壬生駅

 駅前の道路をまっすぐ100Mくらい行きますと、「蘭学通り」と呼ばれる道に突き当たるので右手(北方面)へ進みます。
 「蘭学通り」の名前の由来は、江戸時代後期、この地で蘭学が盛んだった事から名付けられたようです。
 この辺り、個人商店がいくつか立ち並んでいましたが、コンビニが一軒もありませんでした。
 蘭学通り

 300Mくらい歩いて古い門構えの家の角を左折し(西方向)進むと、城址公園が見えてきます。駅から歩いて10分弱くらいです。
 壬生城7


 道路沿いに復元ですが壬生城の二の丸門があります。一昔前までここに中学校があったそうなのですが、平成元年に城址公園として整備されたということです。ここから中へ入ってみます。
 壬生城1


 壬生城は文明年間(1469~86)に壬生綱重によって築かれたといわれます。その後、綱雄の代まで居城として機能し義雄の代で居城を鹿沼城を移し、壬生城には城代を置きました。
 天正18年(1590)、小田原の陣に際し時の当主であった壬生義雄は北条方に与しましたが小田原城は開城、北条氏は滅亡します。義雄はその直後に病死。跡継の男子がいなかったことから所領を没収され、壬生氏は没落します。
 その後、壬生城には日根野氏、阿部氏、三浦氏、松平氏、加藤氏と短期間に城主が入れ替わり、正徳2年(1712)に鳥居忠英が3万石で入城してからは、明治維新まで鳥居氏7代の居城として存続しました。


 
 復元された土塁。壬生城には本丸、二の丸を中心に、三の丸、東郭、下台郭、正念寺郭の6つの郭があり、これらの郭は土塁と塀で囲まれていました。
 壬生城5

 ただし、当時ここには水堀はなく、本来は空堀だったようですね(現地案内板写真より) 石垣は築かれない土塁の城ということで、典型的な関東の城ということが言えると思います。
  壬生城2


 この辺りが壬生城の本丸だったわけですが、前回の記事でも書いたとおり、明治4年に城が下げ渡され、廃藩置県よりも前に取り壊されてしまったので、当時の面影は全然残っていませんでした。なお、壬生城には天守や櫓といった建物は建てられませんでした。また、当時の城門が小山市の民家に移築され残っていると聞きました。
 噴水の向こうにある中央公民館の辺りに、徳川将軍の宿所であった本丸御殿があったそうです。
 敷地内には公民館のほか、図書館、歴史民俗資料館という文化施設が建っています。
 壬生城3


 ところで、壬生城の外郭にはかつて「丸馬出」「三日月堀」があったというんですね。資料館で開催中の展示(過去記事⇒「壬生城本丸御殿と徳川将軍家」参照)にもそれらが記された絵図が展示されてました。(いずれも現存せず)
 お城ファンの方なら、この二つを聞くとピンと来ると思うんですが、どうやら江戸時代の初めに城を整備した際、甲州流の築城術の影響を受けているんですね。これにはちょっと驚きました。
 元禄年間に3年ほど松平(大河内)家が入封していたのですが、その頃城普請が盛んに行われたようで、しかも松平家の重臣に大河ドラマ「風林火山」の主人公・山本勘助の係累の人がいたそうなんですね。おそらく、「丸馬出」「三日月掘」が築かれたのはこの人の影響ではないか、と思われます。


 城の遺構があまり残っていないのはさびしい限りですが、公園内をぐるぐる廻って、少しだけ見つけました。

 七代藩主・鳥居忠宝が隠居所を造る際、近隣にある「吾妻古墳」から石を持ってきて、庭石にしました。
 壬生城6

 これも「吾妻古墳」の玄門で、同じく忠宝の隠居所に設置されました。いったい、何に使ったんでしょうかね!?
 お殿様も古墳から石をかっぱらってくるとは、随分強引というか、あまり関心しません(汗)
壬生城4

 
 蛇足ですが、壬生町には古墳がいくつか存在するようで、古代から開けていた土地だと考えられます。

                     
                       つづく
 


    
より大きな地図で 壬生町城址公園 を表示


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地震による土浦城の被害状況

 「土浦城」のつづき

 先週、土浦城を再訪してきたのですが、3月11日に地震による被害がありましたので記録しておきます。

 霞門の手前から見た東櫓。壁が崩落していました。
土浦城東櫓(2011.4)

 太鼓門。ロープが張られ、立入禁止となっています。
土浦城太鼓門1(2011.4)
 
 上層部の壁が一部崩落していました。
土浦城太鼓門2(2011.4)

 太鼓門の前の堀の石垣。近代以降のものでしょうが、崩壊していました。
土浦城堀(2011.4)

 西櫓。全面的に壁が崩壊していました。
土浦城西櫓(2011.4)

 DSCF1816.jpg

 
 先述したように、太鼓門は江戸時代の建物ですが、外見からは被害は少ないように見受けられました。一方、東櫓、西櫓は平成に入ってからの復元ですが壁の崩落が酷く、見るも無残な状態でした。
 3ヶ月前に来たばかりでしたので、この状況を見たときは思わず息を呑みました。
 今後修復されることでしょうが、耐震も考慮せざるをえないでしょうね。

 また、撮影はしませんでしたが、土浦市街も古い家屋などは「危険」「要注意」のビラが貼られているのを何軒も見ました。また、一部では道路が隆起したりしていました。改めて、地震の規模の大きさを思い知った次第です。被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。
 

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土浦城

 土浦城は、天慶年間(938~947年)に平将門が砦を築いたのが最初とも伝わるがはっきりしたことはわからないといいます。
 室町時代の永享年間(1429~1441年)に、小田氏の家臣であった今泉三郎という人が築城したという記録があるそうです。後に今泉氏は同じ小田氏の麾下であった菅谷氏に城を奪われ、その菅谷氏も主君小田氏が佐竹氏に屈すると城を追われました。
 その後、天正18年(1590年)には結城城主であった結城秀康の支城となりました。
 結城秀康が越前国北ノ庄に移ると、藤井松平家が配され、この時に近世の城郭としての体裁が整えられたといいます。近世城郭としての整備は甲州流軍学にのっとって土塁や馬出が築かれました。
 藤井松平氏→西尾氏→朽木氏→土屋氏→大河内松平氏→土屋氏 と藩主が頻繁に交代し、貞享4年(1687年)再び土屋正直が6万5千石で入封した後は土屋氏10代の居城として明治まで存続しました。後に3万石加増され、常陸国では水戸藩に次ぐ規模の領地を有していました。

 土浦城ですが堀に囲まれた城の姿が水に浮かぶ亀に見えたことから別名「亀城」とも呼ばれます。100名城には漏れましたが、現在も比較的当時の城郭の姿を偲ぶことができます。戦後整備された城址公園は「亀城公園」と呼ばれ、市民の憩いの場となっています。なお撮影したのは一部を除き、今年の1月です。

 亀城公園案内図。
土浦城図


 お堀と土塁(左手)
土浦城堀

 霞門 現在はここが城址公園への入口ですが、本来は裏門です。(これのみ今年4月撮影)
土浦城霞門

 霞門のすぐ脇にある東櫓。搦手の守りとなっていた。中は資料館になっています。
土浦城東櫓1

 堀側から見た東櫓。明治17年(1884年)に焼失しましたが、櫓を写した古写真をもとに平成10年(1998年)に木造復元。
土浦城東櫓2

 発掘調査によって土塁上に土塀があったことが判明し、復元した。
土浦城土塀

 本丸跡。今はただの広場ですが、当時は本丸御殿が建っていました。
土浦城本丸跡

 太鼓門。櫓門としては珍しく、四面に窓がついています。江戸時代前期に建てられた現存の建物。屋根はハトの休憩所に(笑)
土浦城太鼓門

 西櫓。昭和25年(1950年)まで現存していたが、台風により破損し解体。平成3年(1991年)に復元。
土浦城西櫓

 西櫓にのっかっていたという鯱瓦。天保7年(1837年)の物だとか。
土浦城鯱瓦


 旧前川口門。明治以後、転々としたが、現在は二ノ丸二ノ門跡に移築されている。現存のものです。
土浦城旧前川口門

 お城の外にある藩校・郁文館正門。これも現存建物です。
郁文館正門


 なお、二ノ丸の土塁は「屏風折」と呼ばれる凸凹形状のもので大変珍しいものでしたが、現在は残っていません。
 各曲輪はかつて堀で分けられていましたが、現在では堀も埋め立てられ道路になっている部分が多くなっています。
 現存の門が三箇所に残っているのと、櫓も復元され、城址としては往時をイメージしやすい印象がありましたが、3月11日の地震で建物がかなりの被害を受けていました。
 その被害状況については次のエントリーにて。
 

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日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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