スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

弘前城が動く!(天守曳屋)

  去る9月13日(日)に、青森県弘前市へ行ってきました。
 JR弘前駅

 実は、東北地方唯一の現存天守を持つ城であり、桜の名所としても有名な弘前のシンボルでもある「弘前城」の天守が、天守台石垣の修理のため、一時的に「お引越し」しているというのです。
 天守の建物を一時的に移動する、この作業は「曳屋(ひきや)」と呼ばれるもので、歴史的な建造物から、現在の家屋まで幅広く行われているようです。
 
 弘前城へ行くのは、実に8年ぶり。下の写真は2007年秋のものです。お約束のアングルですが、朱塗りの「下乗橋」から撮影しています。
 今回行く前に、過去写真を久しぶりに見直してみたんですが、撮影枚数も少なく、しかも下手くそ(汗)
 天守をバッグに私の姿を撮ったものもありましたが、まだ30代だったため若かった。月日の流れは残酷です(笑)
 弘前城A


 さて、8年ぶりの弘前城の天守はどうなっていたでしょうか。
 この日は残念ながら大雨で、あまり写真写りがよくないのが残念です。
 弘前城1
 ご覧のように、天守台には足場が組まれ、天守は内側に移動しています。
 お堀は埋め立てられ、工事用作業車や機材などが置かれていました。

 天守の建物を支えていた石垣が地震などの影響により、外側に膨らむ「はらみ」が目立っています。
 この石垣の崩落を防ぐため、本格的に修復する必要があるのです。
 弘前城3

 実は、この付近の石垣、明治30年(1897年)にも崩落の危機があったため天守を曳屋した修復工事がされていて、今から100年前の大正4年(1915年)に完成を見ました。それ以来の石垣修復工事となります。
 弘前城7


 

 この日は曳屋の作業が一般公開されていたため、工事中の天守の間近で作業の様子を見学することができました。
 曳屋工事では定評のある、山形県米沢市の業者さんが担当しています。
 当日は、天守閣を25度回転させるという作業が行われていました。前期工事のハイライトでもあり、多数の観光客の他、テレビカメラや新聞記者の姿も見受けられました。
 弘前城2


 
  降りしきる雨の中、数名の作業員の方たちが慎重に作業を行っていました。天守の建物をジャッキで持ち上げ、移動のためのレールみたいのが敷かれています。
  テレビのニュースの特集で見ましたが、天守は重要文化財でもあり、建物を傷つけることのないよう、細心の注意を払っての作業ということで、作業員の皆さんも相当気を遣われていることと思われます。
 弘前城5


 来年の春ごろまでに、仮の天守台まで移動し、建物内部の公開が再開されるということです。
 弘前城6

 石垣の修理を終え、天守が元の位置に戻るまでは、約10年ほどかかる予定とのことです。

  100年ぶりのお城のお引越し、この滅多にない機会に、弘前城を訪れてみては如何でしょうか。
  ※城内にいたザリガニ↓
 弘前城8



 

 参考サイト 弘前城石垣修理事業 弘前公園総合情報特設ページ
 


  いつも有難うございます
 人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ 
スポンサーサイト

会津若松城(鶴ヶ城)

会津若松城1

 
 本当に久しぶりの会津若松城(鶴ヶ城)です。
 全面「赤瓦」に葺き替えてから、一度は行こうと思っていたのですが、2年前の大震災等もあり、やっと再訪です。


会津若松城2

 大震災以来、風評被害で客足が遠のいていた会津若松ですが、NHK大河ドラマ「八重の桜」のおかげで、また観光客が戻ってきたそうです。
 ドラマの方は「京都編」に入ってしまいましたが、今年中は集客が見込めそうですね。


 この日、到着してから時々雨が降る曇りがちの天気で、写真写りが白っぽくなってしまったのが残念ですが、この赤瓦、積雪に耐えるための特殊な上薬が塗ってあり、強度を高めています。箱館の五稜郭などはわざわざ越前から取り寄せた赤瓦を使用していましたが、会津若松城の場合、江戸時代中は喜多方の窯元で焼いていたそうです。
 しかし、今回の復元にあたっては新潟県の瓦屋さんが担当したそうです。
  会津若松城3


 今回は時間もなかったし、以前も複数回来ていますので、さらっと見学しただけですが、目新しいところでは城内の「御三階櫓」の跡が発掘調査されていました。
  会津若松城4

  御三階櫓はわずかに残された若松城の遺構ですが、維新後、市内にある「阿弥陀寺」に移築されていまして、この建物を再度元の位置に戻そうという計画が進行中です。復元にはもうしばらく時間がかかりそうです。
  御三階櫓

 
  今回はさらっとのご紹介まで。

                   つづく



   
八重の桜 後編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)八重の桜 後編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)
(2013/05/30)
NHK出版、 他

商品詳細を見る

 

 
 いつもご覧いただき、有難うございます。
人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ    

テーマ : 大河ドラマ 八重の桜
ジャンル : テレビ・ラジオ

二本松城(日本100名城)

 白河小峰城の後、電車に乗って北上し、二本松城を目指します。

 JR二本松駅で下車すると、駅前に「二本松少年隊隊士」の銅像があり、「霞城の太刀風」とタイトルがついていました。
 この銅像は二本松市名誉市民で彫刻家の橋本堅太郎氏(日本芸術院会員)が制作し、二本松市に寄贈したものだそうで、戊辰戦争の悲劇として今に語り継がれている二本松少年隊の隊士・成田才次郎(数え年14才)が、小野派一刀流の〝胸突き〟で官軍側の白井小四郎(長州藩)を倒したという逸話に基づいているとのことです。
 4年前に来た時はなかったので、その後設置されたものと思われます。
 二本松城4

 
 二本松城へは駅から歩いて15分くらい。この日は急いでいたので、タクシーへ乗り、二本松城の入り口へ到着。
 4年ぶり2度目の来訪です。
 下の写真は昭和57年(1982年)に御殿跡に復元された二階櫓、箕輪門、多門櫓です。(※なお、二階櫓は現存する城絵図のなかに描かれていません)
 
 二本松城3

 二本松城は奥州探題・畠山満泰が応永11年(1404年)に白旗ヶ峯(標高345m)の山頂に「霧ヶ城」を築いたのが始まりです。
 下の写真は2008年に撮影した城の遠望写真ですが、山城ということがわかると思います。
 二本松城7
 
 その後、伊達政宗によって畠山氏は滅亡。伊達氏の支配ののち、会津領主となった蒲生氏の城代が置かれ石垣を用いた城郭として改修され、その後加藤氏の城代によって本丸が拡張、整備されました。
 寛永20年(1643年)に白河から丹羽光重(長重の子)が入封し、三の丸御殿、箕輪門を築き、城下町が整備され、以後幕末まで丹羽氏の居城となりました。

 城の歴史はこの辺までにして、城の様子を見てみてみましょう。

 城の入り口に「二本松少年隊群像」の銅像があります。最初に紹介した彫刻家・橋本賢太郎氏の手によるもので、戊辰戦争の折、官軍を相手に果敢に戦い、死んでいった当時13歳~17歳の少年隊士の姿が再現されています。駅前にあった銅像とほぼ同じものが右側にありますね。
 明治維新以降二本松藩の関係者が彼らの存在ついてほとんど語らなかったため、会津の「白虎隊」に比べて世間的にはあまり知られていなかったそうですが、大正時代に生き残った少年隊士の一人が回想録を出版し、ようやく世に知られるようになったといいます。
 その後、現在に至るまで地元の方たちによって顕彰されています。
二本松城1


 残念ながら二本松城の建物は戊辰戦争時にすべて焼失しました。復元された箕輪門をくぐり、城内へ。。。
 二本松城2


 すると、なぜか今年のNHK大河ドラマの主人公「平清盛」がお出迎え(笑)
 二本松菊人形1

 この日はちょうど、毎年恒例の「二本松菊人形まつり」の初日だったのです。
 今年は58回目を数えるそうですが、昨年の震災の影響もあり、規模を縮小しての開催だとか。
 震災前は多くの観光客が訪れていたそうですが、やはり福島原発の風評被害で観光客が激減したそうで、ようやく少しずつ客足が戻ってきたと聞きました。
 二本松菊人形10

 初日ということで、会場内に飾られた菊はまだ咲いていないものもありましたが、早咲きのものは見事に咲き誇っていました。
 二本松菊人形3
 二本松菊人形9

 
 二本松の菊人形のハイライトはやはり大河ドラマを題材にしたものといえるでしょう。

    馬上の平清盛。
   二本松菊人形8

  ライバル・源義朝(左)との一騎打ち(汗)
 二本松菊人形2


 来年の大河ドラマ「八重の桜」をテーマに・・・。
 二本松菊人形4

    ヒロインの「八重」さん。なかなかの美形です(笑) 
   二本松菊人形5


 もちろん、ご当地・二本松少年隊の勇姿も!
 二本松菊人形7


 「観音滝」 小滝と小菊を背景に、黄金色に輝く観音様。清らかさが感じられて、足をとめている観光客も多かったです。
 二本松菊人形6


 
 「菊人形まつり」は明日18日で閉幕です。こちらがバタバタしている間に、あっという間にひと月経ってしまいました。もう少し早く記事にできればよかったんですが・・・。


 なお、お城の方ですが、山上にある本丸石垣は震災の影響で立入禁止だそうです。平成3年(1991年)に発掘調査した後、平成5~7年(1993~95年)に修築復元された石垣でしたが、残念ながら地震の被害を受けてしまいました。(近くまでは行かれるようです)
 一応、4年前に撮影した本丸石垣の写真を掲載しておきます。4年前に来た時は桜が満開だったのですが、大雨に見舞われ、ずぶ濡れになりながらの撮影でした。
 北東隅に天守台を備え、東と西に櫓台が配され、多聞で連結していました。
 二本松城6
 
 内部から見た天守台。発掘調査の結果、天守の建物は築かれなかったことが判明。
 二本松城5


 二本松城へは城内に植えられた1800本の桜が見事な4月か、秋の菊人形まつりに合わせて行くのが良いと思います。
 やはり元々は山城なので、じっくり見ていると2時間以上はかかるように思います。
 なお、100名城のスタンプは二本松駅の観光案内所か、先日紹介した歴史資料館受付に設置されています。
 今回はお城そのものより、菊人形まつりの方がメインになってしまいましたが、それもご愛嬌ということで。。。


   
より大きな地図で 二本松城(霞ヶ城公園) を表示

 

 いつもご覧いただき、どうも有難うございます。
人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ 

テーマ : 歴史・文化にふれる旅
ジャンル : 旅行

白河小峰城(日本100名城)

 福島県白河市にある「白河小峰城」。「日本100名城」のひとつに選定されています。

 小峰城は南北朝時代に結城白河(小峰)氏によって築かれましたが、江戸時代寛永年間に丹羽長重(丹羽長秀の子)が棚倉より10万石をもって入封し、幕命によって5年の歳月をかけて城を大改修しました。一説には奥羽の雄である伊達氏の押えを目的としていたともいわれています。
 幕末の戊辰戦争による戦火によって城は落城し、焼失してしまいます。昭和62年(1987年)、白河市制40周年を記念して三重櫓の復元計画が持ち上がり、平成3年(1991年)に三重櫓が、平成6年(1994年)に前御門が木造により復元されました。
 この復元が「平成の城復元」ブームの呼び水となって、各地で木造による城の復元がなされるようになった契機となりました。

 前回、私がこちらへ来たのは2008年の4月。今から4年前になります。
 この記事を書くにあたって過去の写真を見直してみましたが、スタンプラリーと花見を兼ねて行ったのが懐かしく思い出されます。以下2枚の写真は当時撮影したものです。
 
 
 白河小峰城2008a
 白河小峰城2008b



    *****************************

 昨年3月の東日本大震災により、白河小峰城も石垣を中心に大きな被害を蒙りました。
 以下の写真は先月撮影してきたものですが、石垣の崩壊で危険なため、現在城内は立入禁止となっています。
 地元の教育委員会に問い合わせたところ、完全復旧まで5~7年程度かかるとの見込みで、石垣の工事が進み、安全面が確保され次第、部分公開できれば・・・という話でした。
 なお、復元した三重櫓の被害はほとんどみられず、地震当日現場に居合わせた人々に怪我などの被害がなかったそうで、不幸中の幸いでした。
 なお、100名城スタンプラリーのスタンプは、先日紹介した城址公園内の「白河集古苑」の中に置いてあります。

 一番上の写真とほぼ同じ場所から撮影してみました。
 白河小峰城3


 この日、城址公園は人影もまばらで、時折観光客と見られる人がひとりふたり、この場所で足止めをくらい、名残惜しそうに去って行くのを見ました。
 4年前に来た時は団体のお客さんもいて観光スポットとしてにぎわっていたのに、残念なことです。
 白河小峰城4


 望遠で撮影しましたが、復元された三重櫓の下付近の石垣が崩落していました。
 白河小峰城2

 以前も書きましたが、国指定史跡の場合、勝手に工事はできず、復元・修復には綿密な調査を実施の上、「文化庁」の認可がいるとのことでした。
 白河小峰城1

 
  石垣の被害状況と、修復に関する説明板です。(クリックで拡大)これによると、城内10か所で石垣が崩落がみられるとのことです。
  白河小峰城7

  白河小峰城8


 今回地元の方に教えていただきましたが、城址歩いて5,6分くらいの場所に、小峰城の太鼓櫓が移築されているのを知りました。現在は民家の建物として転用されています。
 白河小峰城5


 秋になり陽が落ちるのが早くなりました。帰りがけに撮影したライトアップされた三重櫓。
 公開までにはまだしばらく時間がかかりそうですが、工事が終了したらまた再訪したいと思います。
 「新島八重」の展示を見に、城址公園内の集古苑に寄った際、修復のための募金箱があったので、少額ではありますが寄付してきました。
 白河小峰城6


  関連記事
   丹羽長重の墓
   震災から7ヶ月 仙台城は今・・・(前)
   震災から7ヶ月 仙台城は今・・・(後
   地震による土浦城の被害状況

  
   
より大きな地図で 白河小峰城 を表示


 いつもご覧いただき、どうも有難うございます。
人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ 

テーマ : 歴史・文化にふれる旅
ジャンル : 旅行

山形城(三)

 先日書き忘れたので付記しておきますが、JR山形駅の南東400mくらいの場所に、山形城の三の丸土塁が一部残っています。
 ※2007年夏撮影 今回は夜通りかかりましたが、様子は変わっていませんでした。
 山形城三の丸土塁

 上の写真の裏手(歌懸稲荷神社)から見た土塁の様子。三の丸は広範囲に及びましたが、この辺りは家臣の屋敷地が多かったようです。
 山形城三の丸土塁
 
  山公ビル角バス停側
   
より大きな地図で 山形城三の丸土塁 を表示


   いつもご覧いただき、どうも有難うございます。
人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ 

テーマ : 歴史・文化にふれる旅
ジャンル : 旅行

山形城(二)

 つづき

 二の丸の広場に石垣に使用された石が数個野外展示してあります。石垣には下の写真のように刻印が打たれており、調査によると60種類も見つかったそうです。この刻印は石垣造りに携わった石工集団を示すものと考えられ、鳥居氏在城時のものだそうです。
  山形城12

 この日、特設テント内で山形城の発掘調査に関する展示が行われていました。山形城からは下の写真ような「金瓦」が発掘されています。
 金瓦というと織豊系の城・・・たとえば安土城や大坂城で見られましたが、日本海側の城としてはきわめて珍しいということです。
  山形城3


 復元された本丸一文字門石垣。明治以降、堀と共に埋め立てられてしまっていました。
 この石垣の上にかつて櫓があったのですが、記録が残っていないため復元に至っていません。
山形城15


 下の写真は2007年に行った時のものですが、当時は工事中で立入禁止でした。
  山形城2007


 橋をわたって本丸内へ入ってみると、ご覧の通り。発掘調査中なのか所々シートがかかっていました。
 市では本丸御殿の復元を目指しているそうですが、古写真等の資料に乏しく、なかなか着工できないとのこと。
 ですから、山形城を写した古写真や立面図などの資料をご存知の方はお知らせくださいと掲示してありました。
山形城11


 本丸と二の丸を隔てる土塁と堀も大きい規模のものです。明治29年歩兵第32連隊が駐屯時に堀は埋め立てられてしまったので、近年掘り戻して復元しました。
 山形城16


 【感想】
 前回訪城時は雨が降っていて、かつ工事中の箇所が多く、二の丸東大手門と本丸一文字石垣だけ見て帰ってしまったので、全体を把握できませんでしたが、今回は土塁上を歩いてみて、改めてその規模の大きさを思い知った次第です。「100名城」に選定されたのも納得できます。
 最上義光は文禄慶長の役の時、堺や肥前名護屋に滞在中に書状で城普請について色々と指示を出しており、城の改修に並々ならぬ熱意を持っていたことがわかります。57万石にふさわしい城を築いておきながら、孫の代で改易されてしまったのを悔しく思っていることでしょう。
 行政側は史実に忠実な山形城の復元に意欲的な姿勢でいますが、いかんせん復元のための良質な資料が見つからなくて困っている模様です。これは、何度も転封が繰り返されていたため、各大名家に記録が残りにくかったものと思われます。まあ、無理に復元することもないのでは・・・と思いますけどね。
 なお、復元整備事業が進むと、公園内にある野球場もいずれ取り壊されるということです。

 なお、100名城のスタンプは霞城公園に隣接している「最上義光歴史館」や公園内にある「山形市郷土館」に設置されています。
  最上義光歴史館


   
より大きな地図で 山形城址(霞城公園) を表示



  いつもご覧いただき、どうも有難うございます。
人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ 

テーマ : 国内、史跡・名勝巡り
ジャンル : 旅行

山形城(一) 山形緊急城攻め八

 このところ、ブログ記事を書く余裕がなくて更新が滞っていましたが、ぼちぼち再開していこうと思います。

 今回ご紹介するのは山形県山形市にある山形城です。
 同じ山形県鶴岡市にある「鶴ヶ岡城」へ訪城した翌日になります。(過去記事⇒「鶴ヶ岡城その2」 のつづき)
 山形城は最上氏の祖・斯波兼頼が延文2年(1357年)に築いたのが始まりとされています。
 慶長5年(1600年)、関ヶ原合戦で東軍に与し、上杉景勝軍を退けた最上義光は軍功により村山・最上・庄内、および秋田県由利郡の57万石を有することになり、同時期に自らの居城を十数基の櫓を備えた大規模な平城に改修します。山形城の原型はこの時に築かれます。
 最上氏が藩内の内紛が原因で改易された後に鳥居氏が入封し、城門や堀などの大幅な改修を行っています。
 鳥居氏の後は親藩・譜代の城となり、短期間での転封が繰り返されますが、最上氏時代に57万石を誇った石高は大幅に減らされ、最後の水野氏はわずか5万石で入封しています。

 実は100名城のスタンプラリーが開始された5年前に一度来ていますが、その折はまだ整備工事中で入れなかった箇所が多く、今回再訪してみて、山形城の威容を再認識した次第です。
 この日、ちょうど桜がほぼ満開で、絶好のお花見日和だったのですが、あれからだいぶ日が経ってしまいました。すでに季節はずれの写真ですがご了承ください。

 山形城の模型 山形城は三重の堀がめぐらされ、東西約1.6km、南北約1.5kmの壮大な輪郭式の平城であり、本丸に天守は築かれませんでした。
山形城4

 
 平成3年に木造復元された二の丸東大手門。明和年間に入封した秋元家の御用大工の家に伝わった絵図をもとに復元したそうです。
山形城5


 東大手門前より、山形新幹線「つばさ」が走り去っていくのが見えました。
山形城2


 二の丸は公園として整備されています。
山形城1


 山形城を大改修した最上義光(もがみよしあき 1546~1614年)の銅像。勇壮な武将の姿がうまく表現されており、青空に映えてなかなか存在感のある銅像だと思います。皇居前の「楠公像」に似ていなくもないですが(笑)
 なお、義光については後述します。
最上義光銅像


 日清戦争後、山形城本丸、二の丸跡地に歩兵第32連隊が入りますが、日露戦争(1904~1905年)後、将兵らが凱旋記念として1000本の桜を植えました。現在、城址公園が桜の名所となっているのはこのおかげです。
  山形城13


 この日、東大手門の櫓の内部を公開していました。山形城の発掘調査や復元事業等についてパネル展示がありました。
山形城17


 この後、二の丸の土塁に登って、ぐるっと歩いてみることにしました。土塁上にも桜が何本も植わっているので、多くの人たちが花見がてら散歩を楽しんでいました。
山形城10


 北大手門跡。石垣が残っています。
山形城9


 西大手門跡。
山形城8


 南大手門跡。枡形を確認することが出来ます。
山形城7


 復元?整備された巽櫓の石垣。ベンチで休憩中の人たちがいたので、後方より遠慮しがちに撮影です。
山形城6


 かつて、土塁上には塀がめぐらされていましたが、発掘調査の結果、その礎石が確認できました。
   山形城14


  写真が多いので、続きます。

  いつもご覧いただき、どうも有難うございます。
人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ 

テーマ : 国内、史跡・名勝巡り
ジャンル : 旅行

山形緊急城攻め2012(桜が見頃です)

 先日~今日と一泊二日で、山形県へ行ってきました。そのうち三箇所を巡りましたが、ちょうどが見ごろを迎え、東北にも遅い春がやっと来たという感じでした。
 今年は体調不良のため東京で花見が出来ませんでしたので、遅くなりましたがやっと桜を楽しめました。
 GWに突入しましたし、地元や近県の方はどうぞお運びいただきたいと思います。

【鶴岡】
 昨日行ってきました。鶴岡は初めての訪問です。
 下の写真は鶴ヶ岡城・・・庄内藩14万石のお城です。桜がほぼ満開で、あいにく途中で雨に見舞われました。すでに散り始めている所もありました。お花見にはこの2~3日が勝負と思われます。
 鶴ヶ岡城2012


【山形】
 今日の午前中行ってきました。桜がほぼ満開です。山形城(日本100名城)へは2度目の来訪ですが、あまり桜が美しいので感動して思わず涙が出てきました。今年は36年ぶりの大雪だったそうで、やっと遅い春がやってきました。今日は気温も上がり、絶好のお花見日和。撮影に熱中し、途中で時間が足りなくなってしまいました。
 現在、二の丸東大手門(復元)内部公開中です。
 山形城2012


【米沢】
 今日の午後行ってきました。米沢城のお堀端の桜は7~8分咲きといったところ。今年は桜の開花が遅れたためGWに花見が楽しめます。
 明日29日より恒例の「米沢上杉まつり」が開催されます。(5月3日まで)
 米沢城2012


 ※史跡等の詳細は来月アップ予定です。


いつもご覧いただき、どうも有難うございます。
人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ 

テーマ : 国内旅行
ジャンル : 旅行

ブログランキング
「もののふの心」および歴史的遺産を後世に伝えましょう♪
うさぎ
  ↓ ↓ ↓ ↓
人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
カテゴリ
ご注意 ごくたまに、「城」「史跡」「お墓」等の話題が、ドラマ関連やその他のカテゴリとして登録されている場合があります。
月別アーカイブ
最新コメント
FC2カウンター
おきてがみ
お気軽にどうぞ(お返事が遅くなる場合があります)
プロフィール

A☆六文銭

Author:A☆六文銭
ブログテーマ
日本100名城完全制覇と有名人の墓めぐり(掃苔)
日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

★当ブログ内の文章、写真等はすべて無断転載禁止です。宜しくお願いします。
★当方と連絡を取りたい方は、下部メールフォームからお願いします。(ご感想はなるべくコメント欄のほうにお願いします)
※Twitter、Facebookはやってません。

最新記事
おすすめ書籍
リンク
RSSリンクの表示
検索フォーム
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。