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姫路城へ行ってきました

   姫路城A



 「平成の大修理」後、はじめて姫路城へ行ってきました。全面化粧直しで、「真っ白」という印象です。あたかも、模型をでかくしたような。
 当日はご覧のように秋晴れで、絶好の行楽日和だっただけに、たくさんの観光客(外国人も多かったです)が押し寄せ、入場制限!をしていたため、残念ながら中に入れず、外観だけの撮影になりました。
 後で聞いたところ、最大で2時間待ちだったとか。

 久しぶりにブログを書こうとしたら、すっかりアップの仕方を忘れていました。。。(泣)
 この後、時間があればまた更新しなおします。

 【追記】
北側より
姫路城5




 この日はスーパームーンの前日。
姫路城2


 お城の広場では、「観月会」のイベントが行われていました。
 屋台が立ち並び、「月見団子」などの販売も。
姫路城3

 中秋の名月を城から眺めるという、風流な企画です。
 江戸時代、歴代のお殿様も、あの白鷺の天守から「お月見」を楽しんだ・・・と想像しがちですが、実際は幕府をはばかって、お殿様といえど、天守に上がることは滅多に無かったんだとか。


 仮設ステージ上では、姫路城のゆるキャラが女の子たちと踊っていました。
姫路城4

 残念ながら、イベントのさわりだけ見て、帰京の途に着きました。


  

 


 また、過去記事にコメントを寄せてくださった方、長らく放置していましたため、お返事できず、申し訳ございませんでした。



 いつも有難うございます
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姫路城2012

 主人の両親が次々に入院してから数日たちますが、まだ退院のめどがたっておりません(泣)
 今日もこれから、病院へ顔を出してまいります。


 ところで、入院でバタバタする直前に、姫路(兵庫県)へ日帰りで行ってきました。

 姫路といえば、やはり世界遺産「姫路城」。2009年より5年計画で、現在大天守の保存修理を実施中です。
 下の写真のように、大天守が城が描かれている囲いでスッポリと覆われてしまっております。
 
 「姫路城」の石碑の横に、黒猫がちょこんと佇んでいました。さっそく撮影と思ったら、いきなり後ろからガキが来てちょっかいだしたら、猫はすぐに逃げてしまった。城内は野良猫がいっぱい。猫の目が光っていて、ちょっと異様に見えます。
 いつもは観光客でいっぱいなのに、この日は閑散としていてさびしかったです。
 姫路城3

 東側より。工事用の足場が組まれています。鹿島建設ほか2社が工事を請け負ったようです。
 姫路城1

 

 やむを得ないことながら、なんだか味気ない感じ・・・。
 姫路城2

 
 別名「白鷺城」の名の通り、再び優美な姿を見せてくれることを願って待ちましょう。この写真はお気に入りです。(2006年秋撮影)
 姫路城4



 ところで、先日NHKより2014年の大河ドラマが「軍師官兵衛」(主演・岡田准一)に決まったと発表がありました。

  駅前のビルでは、すでに歓迎ムードの垂れ幕が。
  軍師官兵衛1
  軍師官兵衛2

 駅構内の観光案内所には、主人公・黒田官兵衛の兜のレプリカが展示されていました。
  軍師官兵衛3


 私もしばらく姫路へ来ていなかったので存じあげませんでしたが、以前より大河ドラマ誘致活動をやっていたみたいですね。それが今回実ったという形でしょうか。
 それにしても、たしかに官兵衛は当初姫路にいて、秀吉に姫路城を譲るのですが、現在の姫路城は後年池田輝政が築いたものですからねえ・・・。




 関連記事 【速報】2016年NHK大河ドラマの主人公は黒田官兵衛(主演 岡田准一さん) 再掲・黒田官兵衛の墓

 
 いつもご覧いただき、どうも有難うございます。
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落城の炎

 小谷城に続いて、姉川の合戦について書こうと思っていたのですが、どうしても夜はワールドカップの試合をついつい見てしまい、書くのが遅れております。
 (当ブログを初めて約3ヶ月になりますが、ちょくちょく同じ方が見に来てくださっているようでどうも有難うございます。続きは少々お待ちください)

 さて、今日ヤフーのニュースを見ていましたら、トップにこんな記事がきていました。

 秀頼と淀殿が自刃、「山里丸」の遺構見つかる  

大坂夏の陣(1615年)で、豊臣秀吉の子・秀頼とその母・淀殿が自刃した場所とされる大坂城(大阪市中央区)の区画「山里丸(やまざとまる)」とみられる遺構の一部が、大阪市博物館協会大阪文化財研究所の調査で初めて出土した。

 地表から約4メートルの深さに埋もれ、落城時の火災を示す焼土層が積もっていることが確認された。

 山里丸は、秀吉が千利休らと茶会を催した茶室などがあったとされる。遺構は、南北に延びる石組み溝(幅35センチ)で、長さ6メートル分を確認。溝の側面には高さ35センチ、長さ50センチ、幅20センチの石が並び、底には平らな石などが敷いてあった。中から見つかった陶磁器から、年代を特定した。

 焼土層は厚さ50センチ。焼けて変形した瓦も大量に出土した。溝は、徳川幕府が1624年に始めた城の再築で埋められたとみられる。 
         (読売新聞 6月26日付)




 大阪城


 大坂城といえば、豊臣秀吉が築いた天下の名城だったわけですが、彼の死後、城の主となったのは側室・淀殿と彼女が生んだ秀吉の子・秀頼でした。

 しかし、ご承知のとおり秀吉の死後、関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利を収め、徳川の天下となって、やがては大坂の陣によって秀頼・淀殿母子は滅ぼされてしまいます。

 浅井長政とお市の方との間に出来た三人の娘のうち、長女の茶々(淀殿)だけが唯一、両親と同じ運命をたどりました。
 茶々は小谷城、お市が再嫁した柴田勝家の北の庄城、そして大坂城と三回落城を経験しています。
 
 大阪城山里丸

 大坂夏の陣で、ついに徳川の軍勢に城を囲まれて最期の時がやってきたとき、淀殿、秀頼、そして側近の者たちがこの山里丸付近にあった土倉の中にいて、自刃するとほぼ同時に土倉に仕掛けた爆薬に火がつけられ、爆風と共に吹っ飛んだということです。
 今回発掘していたのは、この最期の地の碑がある西側のようですね。
 先週、用事があって大阪城の側まで行っていたので、この発掘の件を知っていたなら現場を見てくればよかったとちょっと後悔です。

 来年の大河ドラマは茶々の妹であるお江がヒロインだということですが、私個人はやっぱり最上のヒロインこそは姉の淀殿の方だと思います。
 七歳位の時に叔父・織田信長によって家を滅ぼされ、お市と共に三姉妹を引き取ってくれた義父・柴田勝家もまた豊臣秀吉によって滅ぼされてしまいました。
 その彼女が、どういう心持で親の敵ともいえる秀吉に身を任せたのか、不思議なところではあります。
 天下人・秀吉の子を生んで、一度は栄華を極めたものの、その最期はまたも落城の炎の中にありました。まさに波乱万丈の一生だったといえます。
 
 茶々の実情を伝える史料というのはほとんどないのですが、想像をたくましくすると、常に彼女を支えていたものは人一倍強いプライドだったであろうと思います。
 その驕慢なプライドが邪魔して、結果的に豊臣家を滅亡させ、自らは悲劇の最期を迎えるのですが、それは七歳のときに経験した小谷城の落城という辛い記憶の裏返しであったのではないかとも思えるのです。

小谷城址

 
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浅井長政の最期 (小谷城 六)

 先述しました「小谷城 三」の項 へと戻ります。

 首据石の側に、道が分岐している地点があり、そこから右側の小道を進みます。人ひとりがやっと通れるほどの狭い道で、右側は崖になっていますので、小さなお子さん連れの場合はご注意ください。

小谷城小道

そのまままっすぐ行きますと、「赤尾屋敷跡」とよばれる場所へと出ます。

小谷城赤尾屋敷跡

 ここは浅井家の家老である赤尾氏の屋敷があったんです。
 京極丸を織田方の木下藤吉郎たちに落とされてしまい、長政の父・久政が籠もっていた小丸と本丸との間を分断され、長政は絶体絶命のピンチに陥りました。
 もはやこれまでと考えた長政は、夫人のお市と三人の娘(茶々、初 お江)を織田信長のもとへ送り届けた後、ここ赤尾の屋敷内にて切腹したと伝えられます。
 天正元年九月一日。享年二十九歳という若さでした。

 このとき、屋敷の持ち主である赤尾清綱という人が屋敷に敵を入れないよう防戦していたところを織田勢に生け捕られてしまいますが、それから信長のもとへ引っ立てられた際に子息の助命を願い出、清綱の忠義に感じ入った信長はそれを許し、清綱は処刑されたということです。

小谷城浅井長政自刃の地


 小谷城登城の道すがら、浅井長政の死について色々考えながら歩いていたのですが、信長と同盟を結び、彼の妹(お市)と政略結婚までしながら、朝倉氏との関係を断ち切れなかったわけですね。
 信長が自分の近しい身内の女性を政略結婚で送ってくる、ということは、それだけ浅井長政は重要な人物として認識されていたわけです。(信長が政略結婚を結ぶ場合、大半が自分の家臣の娘を養女分として先方へ嫁がせている 身内の女性を嫁がせるのはよっぽどのこと)
 それほどまでに信頼していた長政の裏切りは、信長の怒髪天を衝くほどの怒りを招いてしまったんです。

 浅井家の重臣であった赤尾氏なども、朝倉と長くよしみを通じていたそうですし、父の久政などは信長を毛嫌いしていましたから、こうした家中の意向などもあり、結果的に長政は朝倉氏方に与せざるをえなかったと思われます。
 しかし、三人(一説には四人)もの子をなしたお市という愛妻の存在もあり、長政は朝倉氏と織田氏との板ばさみにさぞや苦しんだであろうと推測されます。
 この時長政の考えの中に、果たしてどのような勝算があったのか今となっては知るよしもありませんが、信長の真の恐ろしさについて知らなかったものか、多少の油断があったのではないかと思われます。
 

 この日、家族連れやカップルなどがけっこう登城していたのですが、知ってか知らずか、さすがにこの長政最期の地まで歩いてくる人はこの時誰もいませんでした。
 染み渡るような深閑の中、400年以上も前の悲しい物語に思いをはせながら、現場を後にしました。

 
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秀吉に攻め込まれた場所 (小谷城 五)

 浅井氏が主家である京極氏を住まわせたという曲輪を「京極丸」といいます。

小谷城京極丸

 ここも階段状の、広い曲輪なのですが、ここの西側から木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)率いる織田勢に攻め込まれ、城主・浅井長政のいる「本丸」と、長政の父・久政のいる「小丸」(後述)とを分断されてしまい、これが戦の勝敗を決定づけました。
 最終局面では、浅井勢の家臣の裏切りなどもあり、この西側(麓の屋敷のある清水谷へ通じている)のあたりの守りが手薄になっていたのではないか、と思われます。

小谷城小丸

 京極丸の北側には「小丸」という東西二段の構造をもつ曲輪があり、一段高くなっている東側の建物に浅井久政が立て籠もっており、ここで自刃したと言われています。

小谷城山王丸1

 さらに先に進むと、「山王丸」があり、昔はここに山王社が祀られていました。南側には馬出があります。
 東側の斜面には「大石垣」が残っていて、当時の城の様子をうかがい知ることができます。

小谷城大石垣

 この山王丸は、いわゆる城破りを受けており、大きな石垣が今だにゴロゴロしていて歩きにくいです。
小谷城山王丸石垣

 西側の斜面の生い茂った木と木の間から、遠くにびわ湖がかすんで見えました。
小谷城から見たびわ湖

小谷城山王丸2

 山王丸の一番北側です。実はこの先にも道が続いていたらしく、六坊(寺院の出張所があった)や大嶽(小谷山頂上にある曲輪)に通じていたらしいのですが、道が悪そうだったのでここで引き返すことにしました。

 感想としては、この規模ですととても一日のみでは回りきれないお城ですね。更にこのほかにも、西側の尾根の方には出丸などがあったわけですから。
 破城の様子なども目の当たりにし、改めて400年以上の長き歳月が経過していることを思いしらされました。
 次は浅井長政の最期の地を紹介します。

                            つづく
 
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いよいよ本丸へ (小谷城 四)

つづき いよいよ本丸へ攻め入ります。本丸は大広間跡のすぐ北側にあり、ここには城主浅井長政が居住していました。

小谷城本丸1

こうしてみると、石垣がよく残っています。
小谷城本丸2

この本丸にあった建物は、後に彦根城に移され、西の丸三重櫓として遺されたという伝承がありましたが、昭和30年に解体修理した際、そのような形跡は確認できなかったため、現在では否定されているようです。

本丸の西側には「御局屋敷」と呼ばれる腰曲輪がありました。↓名前からして、女中衆がここにいたんでしょうか。
小谷城御局屋敷跡

本丸の北側には尾根を遮断する「大堀切」があり、本丸と中の丸とを隔てています。深さ5~10m×幅15m×長さ40mという大規模なもので、大がかりな工事で作られたものであることがわかります。
小谷城大堀切跡

浅井長政が、織田勢に京極丸(後述)を落とされた後も数日間本丸に籠もることが出来たのは、この大堀切があったからとも言われています。
本丸から迂回せずに、直接この堀切へ滑り降りてみたんですが、けっこう急な斜面で女の私には難儀しました(笑)

堀切の先には「中の丸」があります。
小谷城中丸跡1
小谷城中丸2

この「中の丸」は3段構えになっていました。この辺に本丸を守護する家臣たちが詰めていたんでしょうか。
「中の丸」の上段には「刀洗池」があり、この右脇から京極丸へ通じる入り口があります。

小谷城刀洗池

                                    つづく

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小谷城 (三)

 つづき

首据石

 上の写真は「首据石」というのですが、その昔、浅井氏が六角氏と争っていたときに、浅井家臣の今井某というのが六角側に内通したかどで首を切られ、見せしめのためにその首をこの石の上に置いたんだとか・・・ちょっとガクブルです・・・(><) もっとも、当時の人々は「生首」耐性?がありましたけどね。(普段見慣れてますから)
 物騒なので先を急ぎます。

赤尾屋敷方面

 首据石の少し前方に、道が二手に分岐したところがあります。この右側の方の小道を行くと、城主浅井長政が切腹したという家臣の屋敷跡に通じています。(これについては後述)
 とりあえず、右方の方面へ先に行くことにします。
 この分岐点の右側には「桜馬場」という曲輪があります。
桜馬場

 この南西側の隅っこに、物見櫓があったらしいんですが、その位置からですと、敵の織田信長が陣を置いた「虎御前山」を見張るのに最適だったんだとか。現在は木が生い茂ってしまって、視界が悪いですが。

浅井主従供養塔

 桜馬場には浅井主従の供養塔がありました。(-人-)
 供養塔の後方に見える大きな記念碑は、徳川宗家16代家達による揮毫だそうです。
 その記念碑の右側に「小谷城址」の碑がありました。
小谷城址

 記念碑と城址の碑があるところは、石垣が築かれ、桜馬場よりも小高くなっています。
 城址碑の右側には「黒金門跡」があり、ここより「大広間跡」へと通じる重要な出入り口となっています。

小谷城黒金門跡

 「大広間跡」は小谷城内でも最大の広さ(南北85M 東西35M)の曲輪であり、御殿が建っていました。
 そのほか、土蔵や井戸もあったそうで、土蔵の跡とみられる場所からは銅鏡、銀製の化粧道具、貨銭、陶器のかけらなどが出土したそうです。
 浅井長政の三女、お江与(お江、小督)ですが、もしかしたらここで出生した可能性があるといいます。彼女が生まれた時、小谷城は戦時下にあり、麓にある屋敷では危険ということで、母親のお市も山上の曲輪へ移動していたのかもしれません。
小谷城大広間跡


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クマ出没注意!(小谷城 二)

クマ出没注意

 2~3年前に小谷城でが目撃されたそうで、実際現地にもこのような注意書きがありました。こうして見ると、何も知らずにここへ来たら、思わずビビってしまいますよね。熊には罪はありませんが・・・。
 まさか、とは思いましたが、一応熊よけの鈴を持参いたしました。


小谷城駐車場

 山の中腹、金吾丸の手前まで車で入れます。(小さい駐車スペースですが) すでに、5,6台の車が駐車してありました。
 来年、大河ドラマが始まったら、たぶん土日祝はすぐ満車になってしまうのでは?と思われるほどの狭いスペースしかありません。

↓こちらが番所跡です。当時、ここで城内に入る人間をチェックしていたんでしょう。この手前に、地元ボランティアらしき門番さんが2人おられて、地図のコピーを手渡ししてくださいます。
小谷城番所跡

 いよいよ、登城です。とりあえず、左側のゆるい斜面を登りますが、小石がゴロゴロしています。
小谷城道


↓しばらく登りますと「御茶屋跡」の曲輪に着きます。お茶屋とありますが、こちらはれっきとした軍事施設です。
小谷城御茶屋跡


↓もう少し先へ行きますと、「御馬屋跡」です。左手後方に土塁があるのがわかりますでしょうか。
小谷城御馬屋跡

↓馬屋の側には、「馬洗池」があります。ここで馬を洗ったそうです。水は留めていませんが、けっこう広いですね。
小谷城馬洗池

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Author:A☆六文銭
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日本100名城完全制覇と有名人の墓めぐり(掃苔)
日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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