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秋の松代城(日本100名城)

 このところ、墓写真ばかりでしたので、少々気分を変えて秋のお城巡りを。

 
 先月、長野市松代町にある「松代城」へやってきました。
 ここ数年、松代には一年に4、5回は来ているのですが、このブログではついつい書き逃してしまい、初めての紹介になります。

 武田信玄が上杉謙信との合戦に備えて、家臣の山本勘助(大河ドラマ「風林火山」の主人公でしたね)に命じて築城させたのがこの城です。当時は「海津城」と呼ばれていました。
 その後、上田から真田家が転封されて江戸時代中は真田家10万石の城下町が発展しました。
 
 明治維新後廃城となり、建物が取り壊されて、城跡は石垣を残すのみでしたが、1981年(昭和56))国史跡となります。
 その後、長野市により環境整備工事が行われ、2004(平成16)年に櫓門・木橋・石垣・土塁・堀などが復元されました。
 2006年(平成18)には「日本100名城」に認定され、翌年からスタンプラリーがスタートしています。
 

 ところで、この秋に公開された映画「清州会議」では、松代城跡でロケが行われ、この太鼓門の場所が映画で使われたそうです。(もちろん、CG加工されているようですが)
 (過去記事⇒映画『清州会議』
 松代城1
 
 
  城内の銀杏の木も見事に色づいています。
 松代城2


 戌亥の櫓台。こちらは展望台になっていますので、登ってみましょう。
 松代城4


 櫓台から見た本丸跡。今は枯れ木ばかりですが、実は春になると桜の名所となります。
 城の規模としても案外狭いのが実感できます。
 松代城6


 西方向には川中島合戦で上杉謙信が陣を張った妻女山が眺められます。
 松代城7


 東側の山並み。今年はあまり紅葉していなかったような。
 松代城8


 搦手に位置する「北不明門」(復元)
 松代城5


 枯葉をお掃除中の整備スタッフの方々。「縁の下の力持ち」の皆さんのおかげで、城跡はきれいに保たれています。
 松代城3


 いつもはあまり行かないのですが、今回は城の裏手のほうを歩いてみました。
 江戸時代は搦手側は千曲川に面していて、千曲川の氾濫により、何度か城の改修が行われています。
 こちらは搦手側のお堀。
 松代城11

 
 東側のお堀。
 松代城9



 二の丸石垣門(復元)
 松代城10


 上の門跡から外へ出たのですが、昨年で廃線となった長野電鉄屋代線の「松代駅」の裏手に出ました。
 ご覧のように、もうすっかり線路が取り払われて更地となっており、なんともさびしいかぎり。
  (過去記事⇒また消える懐かしい風景・・・長野電鉄屋代線
 松代駅


 なお、100名城スタンプラリーで行かれる方は城内の西側、管理棟に置かれています。
 私が行った4,5年前はスタンプからインクが液漏れしていて、ひどい状態でしたが、最近では改善されたのでしょうか?

 いつも、松代城は閑散としているのですが、この日はなぜかツアー客が多くて、観光バスが数台停まっていました。
 聞けば、季節外れの花火??を見に来た観光客だったようです。



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甲府城(日本100名城)

 甲府にやってきたので、久しぶりに甲府城に寄りました。
 甲府城は本能寺の変後、徳川家康の支配となり、城代として平岩親吉が置かれますが、その後豊臣秀吉が家康を関東に移封させ、羽柴秀勝を配置。その後、加藤光泰を城主としますが光泰は文禄の役で陣没したため、浅野長政・幸長父子が後任として入り、城を整備しました。
 関ケ原合戦後、浅野氏は紀伊和歌山に領地替えとなったため、再び徳川家康の支配下となり、その後徳川義直(家康9男)→徳川忠長(家光弟)→徳川綱重(家光2男)→柳沢吉保→柳沢吉里と城主が代わり、享保9年(1724年)に吉里が大和郡山へ転封されたため、以後甲府は幕府の直轄地となり、甲府勤番が置かれるようになりました。

 初めて甲府城に来たとき、個人的にはあまりパッとしない印象の城でした。夕暮れ時、城址にある「謝恩塔」の下で高校生ぐらいのカップルが肩を寄せ合い、語らっている姿がなぜか今でも思い出されます(笑)
 ところが、その後山梨県によって復元工事が行われ、往時の姿を取り戻しつつあります。


 城の南側、「遊亀橋」から眺めた城址。現在は「舞鶴城公園」となっており、市民の憩いの場所でもあります。
 甲府城遊亀橋


 鍛冶曲輪門 1997年(平成9年)復元 ※2009年撮影
 甲府城鍛冶曲輪門


 稲荷櫓 2004年(平成16年)復元 
 甲府城稲荷櫓


 稲荷櫓の2階に甲府城の模型があります。これを見ると、甲府城の全貌がよくわかります。
 甲府城模型


 現在、100名城のスタンプは稲荷櫓に置いてあります。(職員の人に申し出る)
 今にしてみると、100名城のスタンプ集めもけっこう昔のことのように感じられます・・・。※2009年撮影
  甲府城スタンプ


 本丸天守台
 甲府城天守台


 久しぶりに天守台に登ってみましたが、冠雪した富士山がよく眺められました。以前来た時は気づかなかったです。冬だからきれいに見えたのかも。
 富士山(甲府城)



 今回、本丸の「鉄門(くろがねもん)」が復元されたことを知りました。今年の1月から公開されているそうです。
 甲府城鉄門2

 「鉄門」の内部の様子。まだ新鮮な木の香りが漂ってました。
 甲府城鉄門1


 甲府城址は中央本線で分断されています。(北側から2009年撮影)
 甲府城遠望


 線路を挟んで北側の城址も2007年(平成19年)に復元され、「歴史公園」として公開されています。
 詳細な発掘調査により復元された山手渡櫓門 ※2009年撮影
 甲府城山手門

 
 以上見てきたように、城の整備が進み、往時の姿がよみがえりつつありますので、今後の展開もとても楽しみです。JR甲府駅からも歩いて数分ですので、アクセスも楽ちんです。
 


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国宝・松本城 100名城達成へリーチ!

 先日、長野県松本市にある国宝・松本城へ行ってきました。もちろん、スタンプラリーのためです。
 豊臣秀吉の小田原攻めの後、徳川家康の関東移封により、元家康の家臣で秀吉のもとへ出奔した石川数正が松本城に入り、近世城郭と城下町の整備を行いました。姫路城と並ぶ五重天守の威風堂々とした姿を見せています。
 この日はあいにく曇天でしたが、天気が良いとお城より北アルプスが望めます。
 松本城3

 松本城についてはもう少し後で記そうと思っていましたが、今日(6月30日)午前中、長野県で震度5強の地震があり、松本城の乾小天守の壁にヒビが入る被害があったとのことです。

 ソース 松本城の壁10か所ひび 13人けが(読売新聞)

 地震により怪我を負われた方がたや、街中の建物にも被害があったそうで、近隣の皆様には心よりお見舞い申し上げます。
 ヒビが入ったという乾小天守は下の写真の左側の建物ですね。この小天守はもともと、石川氏の統治時代の旧天守だということです。
 松本城1

 本丸側から見たお城。実は松本城へはスタンプラリーが始まる前に一度来ており、その時は月見櫓(左側)の工事が行われていました。
 松本城2

 今回はスタンプ押印が目的だったので、お城の見学は簡単に終わりました。おかげ様でこれで99城を終了しました。
 100名城達成へ向けてリーチです。残るは北海道の根室チャシ群のみとなりました。
 残り1城、なるべく早い時期に達成したいと思いますので、よろしくお願いいたします。
 ところで、松本城の100名城のスタンプがあまり状態がよくなくて、ガッカリです。インクがあまりに薄すぎて、事務所の人に補充を頼んだのですが、気のない返事。事務所の人の対応が感じ悪かったです。
 国宝のお城なのですし、皆遠方から来ているのですから、スタンプ管理にももう少し本腰を入れてほしいものです。


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佐倉城の春

 先日、千葉県佐倉にある国立歴史民俗博物館に行ってきたことを書きましたが、歴博の敷地はもとは「佐倉城」というお城だったところです。
 近代に入ってから陸軍の歩兵第二連隊が置かれたため江戸時代の建物等は残っていませんが、戦後になって城址公園として整備されました。千葉県では唯一、日本100名城に選定されています。この日はたまたま桜がほぼ満開だったので、お口直しに桜の写真だけご覧ください。曲輪がどうの堀切がどうのという話はなしです(笑)

 佐倉城・桜1

 佐倉城・桜2

 佐倉城・桜3

 佐倉城・桜4

 佐倉城・桜5

 佐倉城・桜6


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高遠町歴史博物館/96城目制覇

つづき 
 桜を見に行ったのに、全然咲いてない・・・というトホホな結果だったのですが、ここまで来たら100名城のスタンプは忘れずに押印して帰らねばなりません。
 以前、スタンプは城址公園内の「高遠閣」の中にあったそうですが、昨年あたりに高遠町歴史博物館というところに移されたというのでまずそこへ向います。

 公園の南ゲートを出て、南へ向って歩きます。途中、出店が出ていたので「さくらソフトクリーム」を。「すずらん牛乳」という信州産の牛乳を使用しているんだとか。私はアイス系は大好きなので、ちょっと気を取り直しました(笑)
さくらソフトクリーム

 歩いて5分足らずで高遠町歴史博物館に到着。高遠の郷土関係の史料を収蔵しています。
 桜の時期は、城址公園入場券を提示すれば入館料を100円割り引いてくれます。(通常料金 大人400円 小・中学生200円) 4月中は無休で開館しています。
高遠町歴史博物館

 入口を入ったところに100名城スタンプを発見し、無事押印。これで96城目です。
高遠城スタンプ

 同博物館では春の収蔵展が開催中でした。武具や古文書等が展示されており、さらっと見学。
 受付でこの後の恒例の墓めぐりについて、係の方に相談。ていねいに対応していただけました。

 無事スタンプもゲットし、博物館を出ます。入口を出てすぐ左手に、保科正之とその正母・お静の石像がありました。4年前に来たときはなかったので、最近出来たものと思われます。
保科正之公像・お静地蔵

 保科正之(1611~1673)というのは、徳川幕府二代将軍・徳川秀忠の妾腹の子で、三代家光の異母弟にあたる人物です。なかなかの名君として知られ、幕閣の重鎮でもありました。
 徳川秀忠ですが、正室は今年の大河ドラマの主人公であるお江。姉さん女房をもらったということだけあって、お江には頭の上がらなかった恐妻家というのが定説です。ただ一度だけ、「出来心」からお静という女に手をつけてしまい、お静は懐妊してしまいました。月満ちて生まれた男児は幸松と名付けられます。これが後の保科正之です。
 嫉妬深いお江をはばかった秀忠は幸松の扱いに困り、自分の子として認知せず、幸松を武田信玄の娘で穴山信君夫人であった見性院に託します。
 長じて幸松は信州高遠藩主・保科正光の養子となり、保科家の人となります。
 ですから、この高遠は保科正之が若き日を過ごしたゆかりの土地でもあるわけです。
 このように保科正之は複雑な生い立ちでしたから、人一倍気配り上手でもあり、異母兄にあたる家光からもその人柄を愛され、信頼されていたということです。

 だいぶ以前から、高遠町では「保科正之を大河ドラマに!」という大河ドラマ誘致運動に力を入れていて、署名活動なども行っているようです。
 保科正之・・・なかなかひとかどの人物でもあり興味深いのですが・・・。
 一年間のドラマの主人公としてはどうでしょう。彼にまつわるエピソードですとか、少々ドラマ性に欠けるような気がしないでもありません。地元の方々の熱意に水を差すようで申し訳ないのですが、私見で言わせていただくと少々難しいものがあるように思いました。
 結局、大型ドラマの主人公というのはやっぱり限られてくるんですよね。どこぞのドラマのように、事跡がほとんどわからない人を無理やりヒーローやヒロインに仕立て上げても、ドラマが進むにつれて次々と話に無理が出てくるんですよね。
 ですから、お正月の特集ドラマなどでやる分には良いのではないか、と思われます。

 博物館の付近からは高遠湖と南アルプスが見えました。私は海よりも山のほうが好きなので、信州の山並みを眺めると癒されます。
 南アルプス

 博物館脇の駐車場の桜。数厘咲いていて、どこかのバスツアーの客がその下でお花見弁当を食べていました。
 DSCF1520.jpg

 次回は恒例の高遠お墓巡りです。


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春色に染まる高遠城3

つづき

本丸から南曲輪へ架けられた橋を渡ると南曲輪へ出ます。
高遠城南曲輪
下の写真は南曲輪から本丸を眺めたところです。高遠城は曲輪ごとの堀切が比較的良好に残っています。
高遠城本丸付近
高遠城堀切2

 
南曲輪と法幢院曲輪を結んだ橋を「白兎橋」といい、昭和13年に地元の広瀬省三郎という人が架けるまで、ここに橋はありませんでした。
高遠城白兎橋

法幢院曲輪。かつてここに、法幢院という寺があったのですが、後に城外へ移り、桂泉院と名を変えました。(後述)
高遠城法幢院曲輪1

高遠城法幢院曲輪2

まだ桜が咲いていなかったので、冠雪している中央アルプスが遠望できました。
中央アルプス

この辺も掘切がよく残っています。
高遠城堀切

以上で高遠城を見終わり、南ゲートから外へ出ました。
振り返れば、1時間もいなかったように思います。桜がないと本当に見所の少ないお城のように思います。
南ゲートを出たすぐのところの木に、たった二輪ほど花がついていた。。。
高遠城南ゲート桜

「春色に染まる高遠城」というタイトルをつけてみましたが、いかんせんちょっと早すぎました。
どこかの観光客の「去年はとっくに咲いてたのにねえ・・・」とため息まじりの声が聞こえましたが、やはり今年は少々開花が遅かったようです。高遠の観光サイトによると、今日(18日)やっと満開になったそうです。
 同行した連れは桜が見られずがっかりしていましたが、お城については「高天神城のほうが良かったかも・・・」と言っていました。
 高遠城はやはり桜がメインになるという感じですね。桜が無いと取り立てて見所が少ないです。
※なお、「勘介曲輪」だけ撮影し忘れました。三の丸の道を挟んだ目の前の広い駐車場になっているところです。この時期は大型バスがたくさん停まっています。名前からしてわかるように、武田信玄の軍師といわれた山本勘助が縄張りしたといわれています。

 参考サイト 高遠さくら祭り2011

 次はお城の周辺の史跡めぐりなどを。

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春色に染まる高遠城2

 高遠城は三峰川と藤沢川の段丘上にある山城です。天文14年(1545年)、甲斐の武田信玄が高遠城に拠っていた諏訪氏の庶流である高遠頼継を追い出し、自分のものとすると、大規模な改修を行いました。すなわち天然の要害に築かれた城だということが出来ます。

 桜の時期は城址公園に入るのは有料(大人500円 小人250円)となります。通常は四つのゲートがありますが、今年は太鼓櫓老朽化に伴い安全確保のため西ゲートが封鎖され、グランドゲート、北ゲート、南ゲートの3箇所から出入りできるようになっています。
 どこから入ってもいいのですが、藩校進徳館まで来てしまったので、道を挟んだ目の前にある北ゲートからスタートします。
高遠城地図


 ゲートを入るとすぐ左側にあるのが高遠閣。この時期は予約制の休憩所になっています。昭和11年(1936年)に建てられた木造建築で、現在は登録有形文化財に指定されています。

高遠閣

 二の丸跡。桜の時期、出店が並びます。本丸に比べて広いスペースとなっています。
高遠城二の丸跡

 二の丸の西側に桜雲橋とその向こうに問屋門があります。ここも満開時には桜で覆いつくされて、絶好の撮影ポイントになるのですが、残念ながらまったく咲いていませんでした。。。(泣)
桜雲橋

 橋の下は堀切になっていて、ここからのアングルもおススメなんですけどね。。。咲いてないのでイマイチ。
桜雲橋2

 問屋門の右手の方には「高遠公園の碑」があります。
高遠公園碑

 いよいよ本丸です。本来ならこちらもコヒガンザクラが満開になるのですが、全く咲いていませんでした。なお、城址公園のコヒガンザクラは古くからあるものではなく、明治時代になってから植えられたものです。
高遠城本丸跡

 蕾が膨らみかけて、もうあとちょっとで咲きそうな感じだったんですけどね。
 高遠城本丸桜

 新城藤原神社。ここには武田信玄の五男で高遠城主だった仁科盛信が祀られています。仁科盛信は織田信忠の軍勢に攻められ、壮烈な自害を遂げました。(仁科盛信については後述します)
 廃藩置県後、高遠藩内藤家の祖神である藤原鎌足公と合祀されました。
新城藤原神社


 太鼓櫓。これは明治時代以降のものだったかと思います。
  高遠城太鼓櫓

 以前は中に入れたのですが、昨年ぐらいから老朽化が目立ち、周囲には柵がめぐらされ、立入禁止になっていました。下の写真は2007年時のものです。
  高遠城太鼓櫓 2007

 ※太鼓櫓の向こう側になる笹曲輪は通行禁止になっていて入れませんでした。

 以上ご覧のように、城址公園の方の桜は蕾のままでほとんど咲いていませんでした。少々テンションが下がり気味で先に進みます。

           つづく

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春色に染まる高遠城1

 高遠は少々アクセスが不便な場所にあるのですが、近県の方はほとんどが車利用で来られるようです。うちは車がないので公共交通機関を使うことにし、高速バスを利用して東京から伊那市街まで出て、路線バスに乗り換えて現地へ赴きました。でも路線バスは桜の時期ですらも一時間に一本しかないので、出来れば車で来たほうが楽だと思います。

 バスの発着所は「高遠駅」となっています。
 高遠駅1
 高遠駅2

 高遠駅のすぐ裏手にコヒガンザクラが一本あり、3分咲きくらいでした。これならお城の方も期待できそうかな…。
 高遠駅3

 wktkしながら、城址へ向けて歩くこと10分弱。
 大手門跡。石垣が残っています。戦国時代の高遠城の大手は東側にあったようですが、江戸時代の正保年間くらいに西側に大手を変更したようです。
 高遠城大手門跡

 そのまままっすぐ坂を上ると左側に三の丸が。高遠城の旧楼門が移築されて残っています。
 高遠城楼門

 しかし…残念ながら桜はまだ蕾の段階。満開だったら下の写真(2007年時)のようになるのですけどね。うーん、ちょっと来るのが早すぎたか。
 高遠城 2007楼門

 楼門を右に見ながら城址公園には行かずに、そのまま道をまっすぐ行くと左手に藩校・進徳館があります。万延元年(1860年)に高遠藩主・内藤頼直によって創建され、藩士の子弟の教育機関でした。明治4年に廃校になりましたが、ここの出身者は長野県内で教員になった人が多かったそうです。
 進徳館の周りも本来なら桜で彩られるのですが、今年はまだ固い蕾の木ばかり。
進徳館1

 門の内部には茅葺の建物が当時のまま残っています。
 進徳館2

 
 ちなみに2007年時はこんな感じで満開の桜が楽しめました。
 高遠城 2007進徳館


 お城の外郭の桜はまだ蕾の段階でしたが、城址公園のほうはどうでしょうか?少々不安になりつつ、城址公園へ進みます。
                  つづく



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A☆六文銭

Author:A☆六文銭
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日本100名城完全制覇と有名人の墓めぐり(掃苔)
日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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