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山本五十六生誕の地

 山本五十六は明治17年(1884年)4月、旧長岡藩士高野貞吉・峯夫妻の6男として長岡本町玉蔵院町に生まれました。
 「五十六」の名は父・貞吉が56歳の時生まれたために名付けられた話はあまりにも有名です。
 
 高野家は代々長岡藩の儒者の家柄で槍術師範も兼ねており、幕末には禄120石取りであったといいます。
 余談ですが、高野家の家系図を見ていたところ、ご先祖はもともと下野国の在であったようで、江戸時代初期に牧野家に出仕した初代・高野七郎左衛門という人の兄は意外にも真田家の家臣でした。

 父・貞吉は長谷川家より養子として高野家に入った人で、養子先である高野貞通の長女と結婚し子をなしますが、妻が早世し、その妹である次女と再婚するもまた早世、そのまた妹の三女・峯(五十六の母)とは再々婚ということでした。どおりで兄弟が多いわけです。
 幕末、北越戦争の折に祖父・貞通は77歳の老躯をおして参戦し、戦のさなか討死を遂げました。なお、父貞吉と五十六の兄二人も従軍し負傷しますが、無事長岡に戻ることが出来ました。

 明治維新後、父・貞吉は柏崎県庁に出仕し、教養が深かったことが評価され、古志郡村松村(現長岡市)の小学校長を務めています。
 官軍との戦いで城下は丸焼けとなり、高野家でも家が焼失したため、貞吉は木羽葺きの小さな家を建てました。この家で五十六は誕生します。

 五十六の生家跡は現在、史跡公園として整備されています。(長岡市坂之上町3)
 山本五十六生誕の地

 
 五十六の生家。元あった家は残念ながら昭和20年(1945年)の長岡大空襲で焼失したため、戦後長岡市によって復元されました。
 一階は玄関、六畳二間と四畳半の部屋、台所、便所、納屋があり、二階は二畳、四畳、六畳の部屋と物置がありました。
 高野家は子供が多い上、五十六の腹違いの兄の子(甥、姪)らも同居しており、この狭い粗末な家で身を寄せ合うように暮らしていたと思われます。
   山本五十六生家1


 一階の部屋。五十六の手紙が飾ってありました。
    山本五十六生家2


    部屋の中に何故か五十六の胸像(石膏像)が安置されていました。
    山本五十六生家5


  生前、五十六が好んで揮毫した「常在戦場」の書。「常在戦場」の四文字は五十六のオリジナルではなく、主家である牧野家の家訓でした。
  山本五十六生家3 常在戦場


  とても急な階段を上がり、二階には五十六が使用していた二畳の勉強部屋がありました。(ちょっとピンボケですが)
  家がもともと儒者の家系ですから、五十六もまた幼少の折から勉学に励みました。
    山本五十六生家4

 とにかく家中が狭い上、歩くたびに床がギシギシ軋み、このままでは床が落ちるのではないか、と不安になったので早々に退散しました。


 公園内には五十六のブロンズ製の胸像があります。戦時中、茨城県の霞ヶ浦にコンクリート製の全身像があったそうですが、敗戦後に敵をはばかって湖底に沈められたそうです。その像を元に改めて造られたものだということです。
    山本五十六胸像

      胸像のアップです。
    山本五十六胸像


                      つづく


    りらっくま
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名勝・養浩館庭園(御泉水邸)

   養浩館

 名勝 養浩館庭園はその昔、「御泉水屋敷」と呼ばれた福井藩主松平家の別邸でした。現在の形に整備されたのは七代藩主吉品公(瑞源寺のエントリーを参照)の時で、吉品は屋敷の改造・整備に加え、その西側に隠居所を建てて暮らしていたそうです。
 明治維新後も松平家の所有であり、松平春嶽が明治17年(1884年)に「養浩館」と名付けたということです。
 残念ながら、昭和20年(1945年)の空襲で当時の建物は焼失してしまいましたが、江戸時代の絵図面が残っていたそうで、平成5年(1993年)に復元、一般公開されるようになりました。

  藩主一族の邸宅とあって、広々とした玄関口でした。
   DSCF4847.jpg

  中に入ると「湯殿」がありました。湯殿は中世以来客へのおもてなしとして利用されてましたが、お湯を沸かすのに費用がかかるということで、江戸時代中期以降の設置は珍しいそうです。
   DSCF4840.jpg

 広いお座敷の奥の方で、抹茶を頂くことができます。(4月~6月、9月~11月初旬の土・日・祝日に開催 10時~16時30分) ※現在は春先まで休止中だと思います。
   DSCF4824.jpg


 この時、私が建物の中に入ったのは時計を見ると午後4時半ギリギリだったのですが、
「あー、もうお茶席終わっちゃったんだね、ざんねん…」
と連れと話していたところ、係の女性の方が出てきて、
「今片付け途中でしたから、大丈夫ですよ。折角いらしたのだから、召し上がっていってください」
とおっしゃって下さり、サービス終了時刻であったにもかかわらずお茶をいただけることになりました!
 こういう時は「あいにく、終わっちゃったんですよ…」と申し訳なさそうに断られるのが普通なのに、本当に親切な方で、こちらの方がかえって恐縮してしまいました。

  DSCF4832.jpg DSCF4830.jpg

 お茶席の係の方(50代くらいの女性)とお話させていただきましたが、彼女がまだ女学生の頃、この養浩館の辺りも何も手入れされておらず、荒れていたそうです。
 係の方のご好意でお茶とお菓子を美味しくいただき、お礼を申し上げ、席を立ちました。(薮内流竹風会の親切な女性の方、どうも有難うございました)

 まだ閉館までには時間がありましたので、鯉のエサを買って、池に面している部屋の窓からばらまきました。池の中のたくさんの鯉が口をパクパクさせながらエサを求めて怒涛のように押し寄せてきましたが…(笑) 鯉のエサやりって、童心に帰るとでもいいましょうか、しばし無心になれるものですね。

 追記 後で調べてみてわかったのですが、こちらの建物には厠が全くないのだとか。図面にも描かれていないそうです。江戸時代、藩主の側室などが生活していたそうですが、用足しはどうしてたんでしょうか?

 参考サイト 養浩館ホームページ



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丹巌洞・・・一気に幕末へタイムスリップ!

DSCF4562.jpg

 所有者様のご好意で、草庵の中を拝見することができました。しかし、中は明かりもほとんどなく、江戸時代のような薄暗さで、フラッシュがないと撮影できません。
 しかし、古い建物ですから下手にフラッシュ撮影すると壁や襖紙などが傷む原因になりかねないので、今回は撮影は遠慮させていただきました。
 ですから、私の記憶に従って文字で説明することにします。

 狭い玄関を上がると、すぐに三畳くらいの小さな部屋があり、左手には2階へ上がる階段があります。
 三畳間には、昔の所有者である福井藩御典医・山本瑞庵が使用していたという当時の医療道具(薬ビンですとか、薬の調合に使用したであろう乳鉢やピンセットのような物など)ですとか、当時使用されていた皿や壷などがショーケースの中に展示されてありました。
 三畳間の奥には床の間と囲炉裏のある六畳くらいの部屋がありました。この部屋は天井が低く、雨戸が閉まっていたため、ほのかな行灯の明かりが唯一室内を照らしていました。来訪者はここで食事などを取ったのかもしれません。

 続いて二階へ行ってみます。きしむ階段を上がると、中二階のような部屋(三畳くらい)と奥に2畳くらいの板間があり、すぐ上には八畳くらいの座敷がありました。何か大切な話をする際は、この二階の方で会合を行ったのかもしれません。

 というように、本当にこじんまりした草庵なのです。多少の修復などはされているでしょうが、今から150年前の人たちが集ったまさにその場にいるのですから、気分は一気に幕末へタイムスリップします。

 草庵を見学後、庭園の奥の方へ行ってみました。
DSCF4584.jpg

 池とその向こう側に洞窟のようなものがあり、入ってみました。まず供養等のようなものがあり、お祀りされてました。
DSCF4585.jpg

 明治、大正時代、この場所は「笏谷石」という石材の採掘場となっていました。洞穴はその時の名残だとか。大きくくり貫かれた洞窟は、第二次大戦時防空壕としても使用されたそうです。(現在の丹巌洞所有者である宮崎さんのご先祖は石材屋さんだったということです)
DSCF4589.jpg

 庭園の手入れも行き届いており、所有者の方が日ごろからこの場所をていねいに管理されているのがうかがえました。
 うっそうとした木々に囲まれ、路地は苔むして、深閑なこの佇まいの中にいると、時の流れが一瞬止ってしまったような錯覚を覚えました。

 DSCF4594.jpg

 今回は草庵と庭園の見学のみでしたが、将来もうちょっとお財布の余裕が出来たら、敷地内にある料亭の方も利用させていただきたいものです。
 なお、蛇足になりますが、現在の持ち主さんである宮崎家では、由利公正が書き残した坂本龍馬との会見手記の草稿が伝えられています。(市立博物館の方に展示されていました)
 幕末の名残を感じることの出来る、貴重な史跡でした。


 

  りらっくま
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福井藩志士たちの密議の場 「丹巌洞」

 旅行前、福井県の史跡関係の本などを見て旅行の計画を練っていたのですが、その本の中に、福井藩主・松平春嶽や、家中の中根雪江、橋本左内、三岡八郎(後の由利公正)、そして横井小楠、橘曙覧など名の知れた人々が訪れたという場所が、当時のまま今も残っていると書いてありました。
 ネットを駆使して調べてみると、現在その場所は料亭になっているということで、午前中のみ見学可能といいます。
 早速先方の連絡先を調べ、旅行の数日前に現在の所有者の方へ電話してみました。いくら史跡ではあっても、現在は個人の所有なのですから、いきなり当日伺うのは大変失礼だと思ったからです。
 2,3度電話してみましたが不在で、やっとお電話がつながったとき、年配の女性の方が出られました。見学希望の旨お話したのですが、こちらの趣旨の伝え方が悪かったのか、私が用件を言い終わらないうちに電話を切られてしまいました。
 まあ、駄目で元々と思い、福井城を見学の後、現地へ行ってみました。タクシーを利用して行ったんですが、運転士さんの話だと、地元でも有名な料亭で、お偉いさんの接待や会合などでよく使われているお店だということです。

 こちらが松平春嶽や志士たちが頻繁に訪れたという「丹巌洞」です。足羽山の麓にあります。門前から見ると、うっそうとした森の中にあるようです。
 丹巌洞は、江戸後期に福井藩の御典医をしていた山本瑞庵という医者の別邸であり、明治以降隣家の住人が山本家からこの土地を譲られ、今に至っているという話です。
丹巌洞1

 門にかかる「丹巌洞」の扁額は、福井出身の政治家・岡田啓介(総理大臣、海軍大将)によるものです。岡田啓介といえば、226事件で難を逃れたことで有名ですね。この門も風情がありますが、明治以降のものらしいです。
 丹巌洞2

 恐る恐るインターホンを押してみると、中から物静かそうな40代くらいの男性が出てこられました。どうも現在の所有者である料亭のご主人のご子息?なようです。
「あのう、先日お電話した○○と申しますが…」と言うと、ご子息は
「どうぞ」
と静かに門扉を開けてくださり、
「ご自由にご覧になってください」
とおっしゃるので、こちらもホッとしました。事前の不安は杞憂に終わりました。
「有難うございます。お邪魔いたします」
と私共が頭を下げると、ご子息は頷いて、そっと母屋の方へ引き上げていかれたので、ご迷惑にならないよう、中を散策させていただきました。
 門を入り、すぐのところに松平春嶽の銅像がありました。
松平春嶽1
 この表情からすると、晩年の彼を投影しているようですね。
DSCF4510i.jpg

 そして、その右手の方に、小さな二階建ての建物がありました。もちろん、江戸後期に建てられたものです。この小さな草庵で、春嶽や志士たちが藩政や政局などを語り合う会合の場を持ったのでした。
 丹巌洞3
 
 前の記事でも書きましたが、福井は空襲や震災が相次ぎ、市街中に江戸時代以前の建物はほとんど残っていません。空襲、震災という災禍を切り抜けて現在に伝わった、貴重な建物だということが言えると思います。お殿様も訪れたという割りには、外観からは簡素な印象です。
 先ほどのご子息が玄関を開放してくださっていたので、建物内部を拝見できました。
 長くなるので、つづきます。


  アナゴ君
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日本100名城完全制覇と有名人の墓めぐり(掃苔)
日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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