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長岡城

 山本五十六の故郷・長岡。その玄関口であるJR長岡駅は上越新幹線の停車駅となっています。
 実は、この長岡駅はその昔、「長岡城」の本丸があった場所でした。現在、駅ビルの前に標柱が立てられています。
 
 長岡城本丸跡

 長岡城は梯郭式の平城で、本丸、二の丸、三の丸、詰の丸、南曲輪、西曲輪があり、それぞれが堀で区切られていました。石垣は築かれず、各曲輪は土塁で囲まれていました。
 本丸に天守は築かれず、北側隅の御三階櫓を天守の代用としていました。
 長岡城絵図

 

 慶長10年(1605年)、堀直竒によって築城が開始されました。ところがその5年後、主家である越後福島城主・堀忠俊が改易されたため、一族である直竒の長岡城も工事の半ばで没収され、直竒は信州飯山へ国替えとなります。
 その後、松平忠輝の家臣・山田隼人正が一時入城しますが、元和2年(1616年)忠輝が改易されたため、再び堀直竒が飯山から入封し、頓挫していた城の整備を進めます。
 しかし時間を置かずして、幕命により徳川譜代の大名である牧野忠成が入封し、牧野氏によって長岡城は完成をみます。


 幕末、戊辰戦争の折、長岡藩は家老・河井継之助が幕府にも官軍にも与しないという武装中立論をかかげ、官軍側と会談するも決裂し、長岡城は官軍に攻められ落城。その後、城は河井らの手によって城は一旦奪還されましたが再び落城の憂き目に遭います。城下は官軍によってことごとく焼かれてしまいます。
 明治維新後、鉄道敷設の際に長岡城址は停車場(駅)の建設地となったため、堀はすべて埋められ、城の遺構は残っていません。これは長岡藩は官軍に弓引いた、ということから、新政府側によって意図的に城址の痕跡をほとんどとどめないよう破却されてしまったという話を聞きました。
 鉄道を敷設された城跡は他に甲府〈山梨県)、福山(広島県)がありますが、このように徹底的に城跡がなくなってしまったのは唯一長岡だけです。
 
 ですから、城址をしのぶものは先述した駅前の本丸跡の標柱と、二の丸跡にある石碑ぐらいのものです。
 現在、長岡駅前は整備中で、二の丸跡はビルの工事現場になっていました。
 長岡城二ノ丸跡1

 前回(2007年秋)に来た時には下の写真のような石碑がありました。
 長岡城二ノ丸跡2


 このように、長岡は戊辰戦争で城下が焼かれるという手痛いダメージを受け、さらに城跡は徹底的に破却されたという背景があったので、海軍で出世した山本五十六の存在は、辛酸を味わった長岡の人々にしてみれば「希望の星」であったわけです。
   山本五十六

 帰りがけ、長岡駅前の書店に寄ったところ、山本五十六のコーナーがありました。今でも郷土の偉人として崇敬されているのでしょう。
   山本五十六の本棚

 山本五十六は優れた軍人であったことは間違いなく、日米開戦に反対し「悲劇の提督」として位置付けられていますが、その一方でミッドウェー海戦に敗北し、その後劣勢を挽回できぬまま、まもなく死に至ってしまったという冷厳な事実も忘れてはならないと思います。

(※北越戦争の史跡巡りもしてきましたが、また来年改めて書くことにします)


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福井城の貴重な遺構・・・瑞源寺(後)

 書院の間は、福井城本丸御殿の「大奥御座之間」より移築されました。桁行4間、梁行3間半、切妻造桟瓦葺です。瓦は越前産の「赤瓦」を使用しています。本堂同様老朽化が激しく、昨年から今年の5月まで修復工事が行われました。
 

DSCF4678.jpg

 こちらのお部屋は床の間と違い棚がありました。福井城に存在したころは、藩主の奥方など家族などが集う部屋として使用されていたようです。
DSCF4638.jpg


 御住職様があらかじめ、障子の一枚を外しておられました。何か訳があるのでしょうか?
 DSCF4635.jpg

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福井城の貴重な遺構・・・瑞源寺(前)

 福井城の話に戻ります。
 福井城の建物は廃藩置県により取り壊され、その一部は民間に下げ渡されたものの、残念ながら先の大戦や震災によりほとんどが失われてしまいました。
 しかし、福井市内にあるお寺さんに福井城の遺構がわずかながら残されていることを最近知り、ぜひ一度見学してみたいと思っていました。

 高照山「瑞源寺」 (臨済宗妙心寺派 花房禅佑住職)福井市足羽5-10-17

 瑞源寺

 現地へ行く10日前くらいにお寺さんへ問い合わせると、幸いにも拝観の許可をいただきましたので、時間を決めてうかがいました。
 山門をくぐると、本堂への道沿いには萩の花がたくさん咲き乱れていました。後で聞くと、こちらのお寺は「萩の寺」としても地元では有名なのだそうです。お寺の方が手入れをし、大切に育ててきたそうです。
 この日も、萩の花を見に檀家や地元の方たちで賑わっていました。
DSCF4682.jpg

 萩の参道の奥に桁行8間半、梁行5間半の入母屋造の本堂がありました。こちらが福井城の本丸御殿の「御小座敷」という場所を移築したものだそうです。
DSCF4692.jpg

 本堂へ上がらせていただき、まず出迎えて下さいました御住職様に挨拶させていただきました。御住職様はハキハキされた方で、お寺の由緒などからわかりやすくご説明いただきました。

 江戸時代前期、福井藩には越前国吉江(現在の鯖江市)に支藩があり、元々このお寺は吉江藩主・松平昌親公の母堂の位牌所として吉江の地にあったそうです。
 しかし、昌親公が本藩の家督を継ぐことになり(第5代藩主、のち「吉品」と改名し第7代藩主)、現在の足羽山の麓・小山谷の地にお寺ごと移し、昌親(吉品)公が死去した後に同公と母堂の菩提寺となり現在に至っています。
 幕末(万延元年・1860年)になって、福井城本丸御殿の一部を拝領し、移築しました。
DSCF4664.jpg

 しかし、近年建物の老朽化が進んだため、文化財保存の観点から平成19年(2007年)より本堂及び書院の修復工事を行い、本堂の方は昨年工事が終了したばかりというお話でした。

 御住職の了解のもと、内部を撮影させていただきました。向かって左の方にはご本尊が祀られています。
DSCF4657.jpg

 本堂の入口を上がって左隅の、床の間のある小さな座敷は、法事の際などにお殿様をお迎えした部屋だそうです。経年変化で壁などにヒビが入っていたため、すべてきれいに塗り直ししたそうです。
 御住職様が雨戸を開けてくださると、庭園が眺められました。(現在、整備中)
DSCF4642.jpg

 修復工事に入る前、綿密な調査が行われましたが、専門家によると天井板は「屋久杉」が使用されていたということです。元々お城の御殿だったわけですから、さすがに良質の建材が使用されています。
DSCF4647.jpg

 解体中に、建材から福井城の建物である旨書かれた墨書で書かれたものが方々から出てきました。この事からも福井城の遺構であることが明らかです。
DSCF4663.jpg DSCF4661.jpg

 続いて、奥の書院の方にご案内いただきました。  (つづく)


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福井城御廊下橋

 DSCF4428.jpg

 天守台の石垣です。見事に斜めっていますが、昭和23年の福井震災の時にこうなったようです。
 福井市街は第二次大戦時の空襲と、戦後の震災によって壊滅的な打撃を被り、そこから復興していったのです。

 しばらく天守台をうろうろ歩きまわり、隅の方へ行ったらこんなものが。
DSCF4435.jpg

 本丸と西三の丸御座所を結ぶ「御廊下橋」が復元されていました。これも前回来たときはなかったです。
 福井藩の何代目かの藩主からなぜか本丸を出て、西三の丸に屋敷を構え、そこを日常の住まいとしていました。
 政務は本丸の政庁で行うため、移動のときに藩主自身が渡る橋なので、雨のときなど濡れないように屋根がついているわけです。
福井城御廊下橋1

 そういえば、このブログを開始した今年の4月、和歌山城でも同じような廊下橋を見たので、記事を書きました。そちらも参考にしてください。
 次はお城を出て、福井市内の史跡巡りに移ります。
 

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結城秀康と福井城

 福井城には三箇所虎口があって、この南側の箇所が大手門だったようです。
 写真の右手が福井県庁、左手が福井県警本部です。以前来たとき、県庁でトイレをお借りしたような記憶があります(笑)。
DSCF4405.jpg

 橋を渡って城内に入ると、すぐ目に飛び込んできたのがコレ。
結城秀康石像


   (´・ω・`)・・・。
  結城秀康石像2

 

 福井藩祖の結城秀康(1574~1607年)の石像です。もちろん、12年前にはありませんでした。それもそのはず、8年前の平成14年に完成した模様。
 結城秀康には肖像画が伝えられていますが、それにしてもこの石像はちょっと・・・。
 まるで、滋賀県大津市で見た明智光秀石像と同じ印象を受けました(汗)。

 さて、その結城秀康ですが、徳川家康の次男として生まれました(母は永見氏於万ノ方)。
 母の於万は家康の正室・築山殿の侍女だったのですが、ある時家康が手をつけてしまい、妊娠させてしまいました。嫉妬深い築山殿を憚って、家康の家臣であった本多作左衛門が身ごもった於万を引き取り、他家へ避難させ、そこで赤ん坊は生まれました。
 「於義伊」と名付けられたた赤ん坊を、家康はなぜか疎んじ、なかなか親子の対面をしようとしませんでした。異母兄の松平信康のはからいで、やっと於義伊が3歳になったときに家康と対面がかなったと伝えられます。
 
 しかし、まあ家康というのはあまり自分の子供に対して親子の情みたいなのが薄かったみたいですね。
 実の子である松平信康は自刃に追い込んでしまうし、秀康の異母弟にあたる松平忠輝なんかも出生時から家康に遠ざけられていたといいますし…。家康自身、肉親の縁薄いおい育ちなので、仕方ないのかもしれませんが。

 秀康が父親から疎んじられた理由として、秀康双子説というのがあります。当時、多胎児というのは動物の出産に通じるとされ、「畜生腹」と呼ばれて忌み嫌われていたといわれます。これはけっこう説得力のある理由ではないかと思いますね。
 家康の長男・信康が自刃後、通常なら次男であった秀康が後継ぎとなってもよさそうなものですが、家康は秀康を豊臣秀吉のところへ養子という名の「人質」として送ってしまいます。
 「秀康」の諱は秀吉からの偏諱ですね。そして、下総の名家・結城家の娘と結婚し、家督を継ぐことになります。
 
 関が原の合戦後の論功行賞で、秀康はかつて柴田勝家の旧領だった越前北ノ庄67万石に加増・移封されるのです。そして、城及び城下町の整備に取り掛かった秀康ですが、慶長12年(1607年)に病気が元で34歳の若さで亡くなりました。
 結城秀康についてはあまり評伝なども出ていなくて、どんな人物だったんだろう…と思うことがありますが、残された断片的なエピソードからは苦労しているだけあって謙虚な人柄だったようですね。家康の後を継ぎ、二代将軍となった異母弟の秀忠も、この兄には一目置いていたといわれています。
 

 話をお城に戻します。県庁と県警本部の建物がでん、とあって、12年前来たときと城の内部はまったく変わってないです(笑)。写真撮影のため、県庁と県警本部の間の通路を進みます。
 すぐに天守台が見えてきました。
福井城天守台1

 ここにはかつて4層5階の天守閣がありましたが、寛文9年(1669年)に焼失して以来、再建されなかったということです。
   DSCF4414.jpg

 天守台に上ってみます。
 DSCF4423.jpg

 福井の地名の由来となった「福の井」という井戸が今も残っています。
 もともと、この地は北ノ庄といわれていましたが、「北」の字が敗北につながるということで、地名を「福井」と変更したということです。
DSCF4422.jpg

 長くなるので続きます。


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12年ぶりの福井城

 この一ヶ月、いろいろと出ずっぱりだったため、福井行きを書くのが遅くなりました。行ったのは先月下旬。滋賀県の旅の約1週間前です。
 羽田より空路で小松空港へ。リムジンバスで福井方面へ向かいます。

 福井駅前(東口)でバスを降りました。実は福井へ来るのは12年ぶり2度目です。
 以前は地味な駅舎だったような記憶がありますが、数年前に建替えたということです。
DSCF4365.jpg

 西口の方に回ると、駅前の「まちなか案内所」の看板には、来年の大河ドラマ「江~姫たちの戦国」の看板が。
DSCF4370.jpg
 そうです。福井県もちょっとだけ関係ありますね(笑)

 この日、駅前で何かのイベントがあったようで、ご当地キャラを発見してしまいました。「ふっくりん」という名前だそうです。昨年福井で行われた植樹祭のマスコットだということです。
ふっくりん

 12年前福井に来たときは、駅舎も駅前も地方都市へ来たな…というわびしさがあったのですが、現在では本当にきれいに整備されていました。
 とりあえず、福井城の方へ行ってみます。

 福井城へ来たのも12年ぶりです。この風景はあんまり変わってなさそう。福井藩32万石の居城です。堂々たる石垣です。しかし、それ以外の遺構はほとんどないんですが。
福井城

 横井小楠と三岡八郎(後の由利公正)の銅像が出迎えてくれました。
 横井小楠・三岡八郎

 この地に来たのが12年ぶりということで、ある種の感慨がありました。前回来たときは、まだ20代半ばの未熟者でしたが、酸いも甘いもかみ分けた30代になって、はてさて今回はどんな旅になるだろう…。

                          つづく

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日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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