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昭和の洋館 岡崎市「旧本多忠次邸」 (前)

 先日、岡崎市美術博物館にて開催中の展覧会「徳川四天王本多忠勝と子孫たち」を紹介しましたが、この展示は本多家のご子孫が所有していた洋館を移築復元し、一般公開がされたことの記念として開催されました。
 展示を見学するに先立って、その洋館を見学しに行ってきました。

 岡崎市「旧本多忠次邸」
本多邸1

 岡崎市旧本多忠次邸は、本多忠次(1896~1999年)が昭和7年(1932年)に東京・世田谷の敷地・約7,100㎡内に建てた住宅と壁泉の一部を移築復元したものです。
 建物はフランス瓦の屋根で外壁は色モルタル仕上げとするなど、当時ブームとなっていた田園趣味を反映させたスパニッシュ様式を基調としています。
 1階は西側に車寄せをつけた玄関、南側中央には三連アーチのアーケードテラス、続く東端には2階まである半円形のベイウインドを配置しています。また前庭ではスパニッシュ建築様式には欠かせないといわれる壁泉のある大きなプールが設置されています。(パンフレットより)



 本多忠勝のご子孫である故・忠次氏は36歳の時に、東京・世田谷区野沢に広い土地を購入し、自らが設計デザインを行い、この洒落た洋館を建てられ、長年にわたり暮らしました。
 忠次氏は平成11年(1999年)に逝去されましたが、その時この洋館は老朽化が進み、もう人が住めない状態になっており、個人では維持管理が難しい状態になっていました。しかし、ご遺族が取り壊すには忍びないということで移築先を探していたところ、本多家のかつての領地であった岡崎市が名乗りを上げ、数年にわたる修復作業を経て、このたび一般公開の運びとなったものです。
 予想以上に素敵な洋館でしたので、以下写真でご案内いたします。
 
 
 前庭には壁泉つきのプールが設置されています。
本多邸2

 
 車寄せ付きの玄関
本多邸3



  玄関を入ったところにある壁泉
   本多邸4


 1階団欒室 手前にテーブルを囲み、4つ椅子がありますが、右から2番目が忠次氏の定席だったとか。
本多邸6

 団欒室の隣にある食堂。窓辺のステンドグラスがアクセントになっています。家具、照明等も当時のもの。
本多邸7


  部屋の廊下側の壁にも設置されているステンドグラスの小窓。
    本多邸5


 和室に続いて設置された日光室(サンルーム) 忠次夫人がここで読書したりして過ごしていたそうです。
 窓からは庭のプールが眺められます。
   本多邸8


 タイル張りの広々とした浴室。ステンドグラス付の窓が3つ設置され、明るい印象です。ゆっくりバスタイムが過ごせそうですよね。
 復原にあたり、タイルは当時のものに近いものを貼り直ししているようです。
本多邸9



       つづく 

※すみませんが、2,3日お休みさせていただきます。


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設楽原古戦場

 つづき

 馬防柵の付近は、この合戦において激戦地となったようです。

 クリックで拡大します↓
DSCF3639.jpg

 柳田前激戦地
 DSCF3600.jpg
 大宮前激戦地
 DSCF3632.jpg

 「長篠設楽原古戦場」の碑
 DSCF3644.jpg
 DSCF3645.jpg

 この碑の裏手に、徳川家康の「物見台」の跡地があり、小高い丘になっていました。ここは帰り道、偶然気づいたので、付近の道も狭いし、わかりにくいです。
DSCF3647.jpg

 家康の「物見台」より長篠城方面を望む。左手の小高い山(丘?)は設楽原の資料館があるところです。(クリックで拡大します)
 DSCF3654.jpg

 このほか、資料館のすぐ側に戦死者を葬った「信玄塚」があったようですが、あいにく気がつかなかった。家康の物見台よりさらに北側奥手のほうへ行くと織田信長の陣所跡などがあったようですが、少々遠いようだったので今回は行きませんでした。
 このように、設楽原古戦場は史跡が点在しており、ていねいに見ていかないと石碑などを見逃してしまいます。

                      つづく


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設楽原歴史資料館/馬防柵

 吉田城を足早に見学した後、長篠城のある新城市へ向かいました。

 天正3年5月に、長篠城をめぐって織田信長・徳川家康の連合軍と武田勝頼軍がが激突した有名な合戦・・・世に言う「長篠の戦い」ですが、長篠城から少し離れた設楽原が決戦地となったため、最近では「長篠・設楽原の合戦」とも呼ぶようになったようです。
 豊橋方面から行くと設楽原のほうが手前にあるため、先に設楽原歴史資料館を見に行くことにしました。

設楽原歴史資料館

 豊橋から方面よりカーナビ通り行ったんですが、今年の春に国道151号線の一部にバイパスが出来ていて、資料館の近所の道が変わっていたので、途中で行き止まりになり、再度迂回するはめになりました。これから行かれる方はご注意ください。
 なお、設楽原の資料館と長篠城の資料館と共通券があるので、二つ行かれる方は共通券を買ったほうがオトクです。
 資料館内はこぎれいで、長篠の戦いに関する展示があり、鉄砲ですとか甲冑などが展示してありました。夏休み中ということもあり、親子連れが目立ちました。
 なお、幕末に幕府の官僚として活躍し、安政の大獄で失脚した幕臣・岩瀬忠震(1818~1861年)の実家・設楽家はこの地に由縁があるので、岩瀬に関する展示もありました。(話がそれてしまうので、今回は触れません)

 展示物をざっと見学し、屋上に上ってみると、そこから復元の馬防柵が眺められました。(写真をクリックすると拡大します)

DSCF3426.jpg

 受付で長篠の戦いに関する小冊子を買い、職員の方へ、
「これから、長篠城と古戦場を見てまわりたいのですが、何か史跡マップのようなものはありますか?」
とたずねたところ、職員の方が
「今のところ、これしかないんですが・・・」といいつつ、地図のコピーのような物を取り出してきました。

DSCF4201.jpg

 これが略地図のようなもので、初めて来た者にはわかりにくい感じ・・・(´д`;)
 この前、姉川古戦場を回ったときはカラー版印刷の、もう少しわかりやすい地図をいただけたんですけどね。
 少々不安を感じながらも、資料館を後にしました。

 この後、本当は長篠城へ直行し、馬防柵は長篠城を見てから夕方再度舞い戻ってきて見学したのですが、話の都合上、先に紹介いたします。(写真をクリックで拡大)

 DSCF3618.jpg

 地元の方たちによって復元された馬防柵ですが、織田方と徳川方とでは柵の形が微妙に異なるよう復元したそうです。(一見しただけでは気づかなかった・・・)汗)

 DSCF3605.jpg
(↑クリックで拡大します)
 柵のところに、土屋昌次戦死の碑がありました。土屋は果敢にもこの柵にしがみついて突破しようとし、三重柵の二重目を超え、まさに三重目に迫ろうとした時、敵方から一斉射撃を受け、あえなく討死したのです。
 織田・徳川両軍の鉄砲3千挺の前に、かつて鉄壁を誇った武田の騎馬軍団も悉く討ち果たされたのでした。

                     つづく


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庶民の旅の宿は・・・

 先日は大名などの貴人が逗留する宿となる「本陣」を紹介しましたが、その隣には庶民のための宿である旅籠があります。
 屋号を「清明屋」詳しいことはこちら)といい、江戸時代後期から明治時代まで倉橋家が営んでいました。本陣の東隣にありました。

DSCF3036.jpg


 当時の宿の様子が復元されています。下の写真は食事の場面。一泊二食付きで、一汁二菜か、三菜だったそうです。
 DSCF3023.jpg

 狭いですが、お風呂も。本陣の方のお風呂は予め沸かしておいた湯を汲み入れる方式だったそうですが、こちらの方は炊く方式だった。当時の人も、一風呂浴びて、旅の疲れを癒したことでしょう。

DSCF3028.jpg

 母屋のお座敷です。大名行列の際は、家老などがこちらに泊まったということです。
 DSCF3039.jpg

 旅籠は、混んでいる時などは相部屋だったそうですね。しかも、男女関係なしだったとか。寝る時は、枕屏風というのか、あの衝立みたいので仕切ったようですが。
 近代以前では、お風呂も混浴でしたし、今より男女の別は気にならなかったらしいですが、若い女の子だったら変なオヤジと相部屋にはなりたくねーですね(笑) 逆にあつかましいオバサン連中がいたら、男の人も肩身が狭かったかも。
 つい、当時をいろいろと想像してしまいました(笑)

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二川宿本陣

二川宿外観

 資料館で企画展を見たあと、併設されている二川宿本陣を見学しました。
 館内の説明によると、文化4年(1807)から明治3年(1870)まで馬場家というお宅が本陣職を務めており、ここはその遺構を改修復元したものだということです。
 東海道で本陣が残っているのは、この二川と草津宿とたった二箇所だけだというので、貴重です。
 大名の参勤交代や公家などが宿泊、休憩しましたが、二川宿本陣の場合、割合としては休憩が一番多かったとのこと。

二川宿本陣玄関

 玄関を入ると式台があります。

 上段の間

 「上段の間」ここに逗留した大名がお休みになります。格式が感じられる。
 
中庭

 中庭もきちんと整えられていました。

上湯殿

「上湯殿」もちろん、お殿様専用。このほか、二箇所に湯殿があったそうです。そちらは家臣用ですかね。

本陣内部

 本陣の中はけっこう部屋数も多く、広々としています。

 板の間

 街道に面して主屋の板の間があります。ここには荷物を直接運び入れたという。
 ちょっと見にくいですが、駕籠が置いてありました。

 抹茶サービス

 座敷の一室で抹茶(お菓子付き)をいただけます。一人300円。
 晴れて暑い日だったので、冷抹茶をお願いしました。風通しがよく、自然の涼風が入ってきました。

 ※二川宿本陣に関する詳細ページはこちら


                            つづく

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A☆六文銭

Author:A☆六文銭
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日本100名城完全制覇と有名人の墓めぐり(掃苔)
日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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