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岩倉具視幽棲旧宅(国史跡) 附「岩倉具視遺髪碑」

  【特別公開】岩倉具視の幕末維新(京都市歴史資料館) のつづき

 幕末~明治維新に活躍した公家、岩倉具視(1825-1883年)に関する展示を見たので、せっかくですので、彼が一時住んだという住居を見に行くことにしました。

   岩倉具視


 地下鉄「国際会館」駅から路線バスに乗ること約15分。

 国史跡 「岩倉具視幽棲旧宅」 (京都市左京区岩倉上蔵町100)
 岩倉旧宅2
 

 【現地パンフレットより】
 岩倉具視は,明治維新における王政復古に力を注いだ幕末,明治期の代表的な政治家です。文政2年(1825)に参議正三位堀河康親(やすちか)の次男として生まれたのち,天保9年(1838)に公卿岩倉具慶(ともやす)の養子となります。安政元年(1854)には孝明天皇の侍従となり,次第に朝廷内において台頭し,発言力を増してきました。そのような中で公武合体をすすめるため孝明天皇の妹,和宮の将軍家への降嫁を推進したことにより,尊皇攘夷派から佐幕派の巨頭と見られるに至り,文久2年(1862)に攘夷運動の高まりの中で辞官落飾し,洛北の岩倉村に慶応3年(1867)までの間幽棲したのがこの旧宅です。
 岩倉具視は,文久4年(1864)に大工藤吉の居宅(現在の附属屋)を購入し,主屋と繋屋を増築して住居としました。
 当史跡は周囲を塀で囲まれ,居宅は茅葺の主屋(約60㎡)と瓦葺の附属屋(約67㎡),繋屋(約9㎡)から成ります。他に敷地の南土塀に表門を構え,門を入って主屋南庭に通じる中門,池庭,離れの便所によって構成されています。平成20年(2008)から4箇年をかけて,京都市が文化観光資源保護基金を活用し,かつ国庫補助を得て,本格的な修理を行いました。また,敷地の東側には,展示・収蔵施設である対岳文庫(国登録文化財)と管理事務所があります。
 平成25年にこの史跡を長年にわたって守り続けてこられました財団法人岩倉公旧蹟保存会から本市が寄付を受け,貴重な財産として引き続き維持管理することになりました。


 4年の歳月をかけて修復したそうですので、このように家屋の状態は良かったです。こちらの主屋は岩倉が建て増しした方です。
 岩倉は失脚後、この地で不遇な蟄居生活を送っていましたが、大久保利通ら薩摩藩の人々をはじめ反幕派志士たちと連絡をとり、またも『叢裡鳴虫』といった政治意見書も書きました。虎視眈々と再び世に出る機会をうかがっていたのでしょう。 
岩倉旧宅1


 内部は立入禁止ですが、外側から座敷を撮影してみました。
  岩倉旧宅3


 建物も歴史を感じさせて良いですが、個人的にはこちらに注目。
 岩倉具視の「遺髪碑」です。墓石には漢文で、彼の事績について刻まれていました。
 なお、岩倉の墓は東京の海晏寺という寺にあるのですが、非公開のためお参りできません。
岩倉碑1

 
 その隣には、具定、具経という息子さんたちの碑もあります。
 岩倉碑2


 敷地内にある「対岳文庫」
 岩倉具視の遺品類や関係資料を収める建物で、高名な建築家、武田伍一(京都帝国大学教授)設計の鉄筋コンクリートの洋館です。前述しましたが、遺品類、資料のほとんどはこの春に京都市に寄贈されました。
 (内部撮影不可)
 対岳文庫


 岩倉具視は隠棲していた5年間、村人たちとも交流があり、明治維新後も岩倉村の人々への恩を忘れず、交流を絶やさなかったそうです。

 この辺りには今回初めて来ましたが、現在は宅地化されてますけれども、当時は自然に囲まれた静かな土地だったのだろうと思いました。
 それにしても、京都市内にはところどころに色々な史跡がありますね。改めて奥の深さを感じました。


  
岩倉具視 (幕末維新の個性)岩倉具視 (幕末維新の個性)
(2006/01)
佐々木 克

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テーマ : 国内旅行
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亀山本徳寺

 松の内は親戚宅へ正月の挨拶へ行ったりしていたので、なかなかブログ更新できませんでしたが、やっと落ち着いたので先日の続きです。

 NHKBS時代劇「新選組血風録」を見たという話をしましたが、そのロケ地の一つをご紹介します。

 姫路市亀山にある「亀山本徳寺」 浄土真宗のお寺です。
 こちらのお寺の本堂は、かつて新選組の屯所が置かれていた京都の西本願寺の北集会所を明治維新後に移築したものだそうです。当時としてはなかなか立派な建物です。
 数年前のNHK大河ドラマ「新選組!」の中でもたしか紹介されていました。
 亀山本徳寺4
 亀山本徳寺5


 時代劇「新選組血風録」の中では、本堂前の庭で隊士たちが剣術の訓練を行っているシーンが放映されていました。
 このアングルですね。
 亀山本徳寺3

 お寺の受付へ行ってお願いすると、中を拝観させていただけました。
 隊士たちの足跡が今にも聞こえてきそうな板敷きの縁です。縁のふちに腰掛けて、しばし隊士の気分を味わってみました。
 亀山本徳寺1

 
 本堂の由来が説明されていました。慶應元年(1865年)3月に新選組がこちらを屯所として使うため移転してきたとのこと。
 亀山本徳寺7


 「刀傷⇒」と書かれた案内板があり、私はこの角の柱のことかと思ったのですが、どうもこの右手の廊下側の柱に隊士が傷つけたと思われる刀傷があった模様です。(気がつかず、撮影しそびれてしまいました)
 亀山本徳寺6


 本堂の内部。ここで隊士たちが寝泊りしていたのでしょうかねえ。
 新選組の屯所といえば、壬生の八木邸・前川邸が有名ですが、こちらの建物も当時の雰囲気をよく残していて、リアル感がありました。
 亀山本徳寺2


 以上は2008年11月に、姫路城へ行った帰りに撮影しました。山陽電鉄亀山駅から歩いてすぐのところにあります。
 姫路城からですと、車で10分強くらいでした。
   
より大きな地図で 亀山本徳寺 を表示


 ところで、今年の3月に東京と京都で「新選組検定」試験が実施されるとのこと。
 ここ数年、各地で「○○検定」流行りではありますが、ついにここまで来たか!という感じです。詳細を見ると新選組にゆかりのある自治体などが後援していますし、本格的な試験になりそうです。
 
 参考サイト 新選組検定 公式ホームページ

 なお、受験者には非売品の「松平容保ピー」(ご当地キューピーですね)がもれなくプレゼントされるとのこと。これだけでも欲しい感じですが、自分は新選組の知識は高校時代で止っているので、ちょっと受験は無理そうかも。。。
 自信のある方はこの機会にぜひ受験されてみては如何でしょうか。申し込みは2月16日までですから、まだしばらく余裕ありますね。


 
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テーマ : 国内、史跡・名勝巡り
ジャンル : 旅行

三木露風と童謡「赤とんぼ」

 つづき

 龍野藩主・脇坂家の屋敷であった「聚遠亭」から、「文学の小径」と呼ばれるなだらかな坂道を下っていくと、昨日も少しご紹介した童謡「赤とんぼ」の作者・三木露風(1889~1964年)の銅像があります。

   三木露風銅像

 三木露風(本名・操)は兵庫県揖西郡龍野町(現・たつの市)に父・三木節次郎、母・かたの長男として生まれました。父方の家は龍野藩の重臣であり、母は鳥取藩池田家の家老の娘でした。
 露風5歳の時に父親の放蕩が原因で母親が生まれてまもない弟だけを連れて実家へ戻ってしまいます。その後、両親は離婚したため、露風は祖父の元で養育されました。
 幼くして生き別れた母親への思いは終生彼の心から消えることはなかったようです。

 街中を歩いていたところ、三木露風が育ったという祖父の家の跡地を見つけました。
    三木露風旧宅

 銅像の少し先に、「赤とんぼ」の歌碑がありました。この前に立つとセンサーが反応して、「赤とんぼ」のメロディーが流れます。
  「赤とんぼ」歌碑1



 幼い頃から詩作に励み、若年の折から詩集を発表するなど、長じて北原白秋と並び「白露時代」と呼ばれ一世を風靡した露風でしたが、童謡「赤とんぼ」は大正10年(1921年)、露風が北海道・函館郊外(現・北斗市)にあるトラピスト修道院に文学講師として赴任していた折に故郷・龍野を想い、詠んだ詩だということです。(作曲は山田耕筰)
 

 それでは、ここで童謡「赤とんぼ」を聴いていただき、しばし郷愁に浸ってみることにいたしましょう。歌は安田祥子・由紀さおり姉妹です。(リンク切れご容赦ください)
   


 露風はその後、故郷龍野に戻ることはなく東京都三鷹市に暮らし、昭和39年(1964年)交通事故に遭い、76年の生涯を終えました。

 歌碑のすぐ側では、鮮やかに色づいた紅葉が見事でした。

   「赤とんぼ」歌碑2

   赤とんぼ歌碑3


 古きよき時代の日本の歌を、これからも大切に伝えていきたいものです。
   「赤とんぼ」歌碑付近



                       つづく


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「赤とんぼ」の里の紅葉

 「【駅弁】チキン弁当2011クリスマスヴァージョン」 のつづき
 
 先々週ですが、関西に用事があったので、ちょっと足を伸ばして兵庫県たつの市を訪れました。
 JR姫路駅より姫新線に乗り、本竜野の駅へ到着しました。来たのはこれが初めてです。
      本竜野駅

  JR姫新線

 ふと駅のホームの傍らに目をやると、なにやら石像が立っています。
 そうです。ここ龍野は童謡「赤とんぼ」の舞台となった町なのです。

  ♪夕焼け小焼けの 赤とんぼ 負われて見たのは 何時の日か♪

 という誰でも口ずさんだことのある有名な歌ですね。この石像は、「赤とんぼ」の三番

 ♪十五でねえやは嫁にゆき お里の便りも絶えはてた♪
 
 という部分を表現しているようです。
 季節はすでに晩秋で赤とんぼを見ることは出来ませんでしたが、山に囲まれた自然豊かな土地という印象を受けました。
 本竜野駅2


 駅から市街地まで少々距離があるので、元気だったら歩いたのですが、今回は私も連れも体調不良だったためタクシーに乗っていくことに。
 最初に来たのは紅葉の名所という「聚遠亭」。かつて、龍野藩主・脇坂家のお屋敷があった場所です。
 「寛政の改革」で有名な老中・松平定信がかつてこの地を訪れた際、ここからの眺望絶景を讃えて「聚遠の門」と呼んだことに由来しているそうです。今は木々が生い茂って遠くは見えなかったのですが、昔は遠く瀬戸内海の島々が眺められたそうです。
 
 邸内は手入れが行き届いており、噂に聞いていたとおりちょうど紅葉が見ごろを迎えていたので、その写真を数枚載っけておきます。
 
 茶室 安政年間、藩主・脇坂安宅が京都所司代の職にあった折に御所が炎上し、その復興に功績があったとして孝明天皇から拝領したといい伝えられています。庭園、池などと調和した書院造りを模した数奇屋風の建築です。

  聚遠亭1

     聚遠亭


 御涼所  1800年代中期に建てられたと推定される藩主脇坂家とその家族が住んだ屋敷。内部はその後改変が重ねられているそうです。床下には城へとつづく抜け穴があったとか。〈中には入れませんでした)
  聚遠亭4


     聚遠亭6

 
 はやり山里深いという土地柄、気温が低いせいか、私の住む南関東よりも紅葉の発色が鮮やかだったです。
  聚遠亭2


  聚遠亭3

 心字池には鯉が数匹泳いでいました。
      聚遠亭5



 聚遠亭の手前には「龍野神社」」があり、賎ヶ岳の七本槍の一人であった脇坂家始祖・安治公を祀っています。
 
 龍野神社

  

                      つづく

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泉州堺を歩く (終)

つづき

 堺文化財特別公開のパンフレットに載っていた主要な史跡を巡った後、最後は堺市博物館へ向います。
 この日、博物館では三好長慶の肖像画(南宗寺所蔵)や三好氏の記録が紙背に書かれていることがわかった「己行記」(妙國寺所蔵)が特別公開されているというので見学することにしました。
 ところが、南宗寺の辺りから博物館まで歩いて30分近くかかるようなのです。まだ5月下旬にもかかわらずおそらく気温が30度は超えていたため、自分はやたら汗をだらだらかき、やや熱中症っぽいというか気分が悪くなりかけていました。
 しかし、タクシーなども全然拾えないし、バスもないようなので仕方なく歩くことにしました。(この辺の移動手段がないのはやや不便に感じました)

 やっとの思いで博物館に到着した頃にはヘロヘロ状態に。
 堺市博物館

 お目当ての三好長慶像などを見学しましたが、頭が朦朧としており正直よく覚えていません。
 この日、博物館では松永久秀に関する講演会があるというので、休憩がてら聞いていくことにしました。天野忠幸さんという三好氏の研究をなさっている学者の方による講演でしたが、色々示唆にとんだお話でした。
 なお、博物館の道を挟んだ目の前には、実は有名な巨大古墳である「仁徳天皇陵」があるのですが、帰りの新幹線の時刻が迫っていることもあり、今回はパスしました。

 夕方になり、再び南海電鉄堺駅の方へ戻ります。
 堺環濠の跡。町の周囲には防衛・水運の用途のために環濠が掘られ、その中で堺の町は繁栄してきたわけですが、天正14年(1586年)、大坂城を築く上で都合が悪いと感じた豊臣秀吉によって環濠はすべて埋め立てられてしまったそうです。そして、堺の商人たちも強制的に大坂城の近くに移住させられたとか。
 大坂夏の陣で堺の町は焼失しましたが、その後江戸幕府によって再び環濠が掘られ、以前のものより規模を拡大して造られたそうです。現在はその一部が残るのみ。
 堺環濠

 南海電鉄堺駅のすぐ裏手の土居川沿いにある「堺事件発生の地」の碑(左)および「天誅組上陸の地」の碑。
 「堺事件」については、「泉州堺を歩く 3」のところで取り上げました。
 文久3年8月15日、吉村寅太郎率いる尊王攘夷の浪士集団「天誅組」は公卿・中山忠光を奉じて大坂より海路で堺へ上陸しました。
 この後、一行は河内国を経て大和国へ至り挙兵しますが、たちまち幕府軍によって壊滅させられてしまいました。
 二つの碑が並んでいる辺りでは、地元のお子さんたちが鬼ごっこしていました。(いまどき珍しい光景というか、微笑ましかった)
 堺事件発生の地・天誅組上陸の地

 
 
【感想】
 事前に地図を見た限りでは楽勝と思っていた堺の史跡巡りでしたが、実際歩いてみたところ、予想以上に広範囲にわたり寺などの史跡があり、とても一日では廻りきれませんでした。ここの記述も、かなり省略している箇所が少なくないです。
 今回の文化財特別公開にあたっては、「堺幕府」という室町時代末期のわずか5年間の歴史に焦点を当てたということで、テーマのつかみ方が良かったと思います。地元のボランティアの皆さんも熱心に活動しておられました。
 なお、写真には撮りませんでしたが、この辺りは古くから住んでいる方たちが多いようで、隣同士ギリギリまで近接した住宅密集地であるにもかかわらず、軒先に花の植わった植木鉢が並んでいたりして、小奇麗に暮らしておられ、生活に潤いがあるように感じられました。東京でいえば下町っぽい印象です。
 史跡巡りの後半、暑さ負けで熱中症っぽい感じになってしまったのですが、今年がたまたま5月下旬としては例年以上に暑かったのかもしれませんが、また今後同様な催しを企画するなら、ゴールデンウィーク前後などもう少し時期を早めたほうが良いのではないか、と思いました。この頃、東京はまだしのぎやすい気温だったもので、正直あまりの気温差にびっくりしました。


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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

泉州堺を歩く 6 南宗寺(前)

 南宗寺(臨済宗) 南宗寺は弘治3年(1557年)、三好長慶が父・元長を追善するために大林宗套を開山に迎え造営した寺です。
 これまで見てきたお寺さんの中では一番規模が大きく、堂内も広々としていました。
 しかし、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣の折に堂宇はすべて灰燼に帰してしまい、当時の住職であった沢庵と堺奉行・喜多見若狭守によって、元和5年(1619年)に再建されました。
 南宗寺

 甘露門(山門) 国指定重要文化財 正保4年(1647年)の建立
 南宗寺甘露門

 仏殿(大雄宝殿) 国指定重要文化財 承応元年(1652年)の建立
 南宗寺仏殿


 南宗寺は三好氏ゆかりの寺であると同時に、堺の町衆が帰依し参禅したりしていたので、墓碑にはその足跡が残っております。
 
 武野紹鴎の供養塔
 武野紹鴎供養塔

 津田一門(津田宗達・宗及ほか)の墓
 津田一門の墓

 千家一門の墓 表千家、裏千家、武者小路千家の供養塔
 千家一門の墓

 中央には千利休の墓碑が立っていました。墓碑には「利休」「宗易」の文字が読み取れましたが、利休の遺骸がここに葬られていたのかは不明。江戸時代になってから千家の関係者が建てたものかもしれません。
 千利休の墓

 堺市博物館付近にある千利休の銅像(※寺内にはありません)
 千利休像

  長くなるので続きます。

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テーマ : テレビドラマ
ジャンル : テレビ・ラジオ

泉州堺を歩く 5

 堺奉行所跡  江戸幕府の遠国奉行の一つ。その前身は、織田信長が堺を直轄地にした際、松井友閑を堺政所に任じたことに始まる。江戸時代中期以降は大坂町奉行の指揮下に入る。明治維新後は、同じ場所に堺県庁が置かれた。
 堺奉行所跡


 与謝野晶子生家跡  明治~昭和初期に活躍した歌人。歌集「みだれ髪」や、日露戦争へ出征した弟を詠った「君死にたまふことなかれ」で有名。苗字からわかる通り、与謝野馨経済財政担当相のお祖母さんです。晶子は堺の裕福な商家(和菓子屋)の出で、この場所で生まれました。
 現在は大道筋の西側道路沿いに石碑があるのみです。
 与謝野晶子生家跡


 千利休屋敷跡  千利休(1522~1591)は戦国~安土桃山時代の茶人。堺の商家の出で、武野紹鴎に師事し、茶の湯を極めます。
 豊臣秀吉より信頼され、北野大茶会をプロデュースするなど豊臣政権における文化面をリードしていましたが、天正19年(1591年)、突然秀吉の勘気を被り、自刃しました。死を賜った理由ははっきりしません。
なお、利休の先妻である「宝心妙樹」は三好長慶の義妹だったともいわれています。
 千利休屋敷跡1

 屋敷跡には利休ゆかりの井戸が残っていて、ボランティアガイドさんが熱心に説明していました。
 千利休屋敷跡2


 利休の屋敷跡の道を挟んだ目の前に空き地があり、「三好館」と称して臨時のお休み処が設けられていたので寄っていくことにしました。
 三好館1

 ここでは冷茶のサービスや、堺のお菓子の販売、それから三好一族ゆかりの徳島県から物産販売の出店が出ていました。
 徳島のブースでは、徳島の三好一族ゆかりの「勝瑞城」のパネル展示などがありました。
 徳島へは2度行ったことがありますが、昔から大阪とは船の往来がありましたから、大阪の文化圏に入るのではないか、ということに気がつきました。方言も関西弁に似ていましたし、エスカレーターに乗るとき、大阪と同じで進行方向の右側に立ってました。(大阪以外では普通、左側に立ち、右側を通路で開けておきますよね)
 三好館2

 ここでお土産品を買うと、売り上げの一部を東北の被災地へ寄付してくれるというので、ちょっと買い物を。
 「焼ちくわ」は青竹に魚のすり身を練ったものを巻きつけて焼いたもので、徳島土産で買っていくと喜ばれます。「かつ天」というのは初めて見ましたが、ちくわと共にビールのおつまみに合いそうな感じでした。
 DSCF2915.jpg

 堺の和菓子。他にもあったのですが、撮影する前に連れが食べてしまいました。市街にも和菓子屋さんがけっこうありました。
 DSCF2916.jpg

 実はこの日、堺は夏日で7月の気温くらいあったものですから、出来ればお客さん用の休憩スペースにもパイプテント等日を遮るものを用意していただきたかったです。(太陽がじりじりと照りつけ、あまりの暑さで大変でした) この暑さは地元の方も予想外だったろうと思われますが、来年、同様な催しがあれば工夫していただきたいものです。


 武野紹鴎(正しくは紹鷗)屋敷跡 堺の豪商(皮革商)。文亀2年(1502年)大和国(奈良)で生まれる。
 村田珠光の弟子に茶を学び、京で三条西実隆に和歌を学ぶ。堺では津田宗及、今井宗久、千利休に珠光のわび茶を伝える。特に今井宗久を娘婿とし、財産、茶器を譲ったということです。 
 武野紹鷗屋敷跡

 堺市博物館付近にあった紹鴎の銅像。
 武野紹鷗像


 今井屋敷跡  今井宗久の長男・宗薫の屋敷跡。織田有楽斎より譲られた土地だといわれる。祖父である武野紹鴎邸のすぐ近所にあります。父・宗久から茶の湯を学び、豊臣秀吉、徳川家康に仕えました。
 今井宗久屋敷跡

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テーマ : 歴史
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泉州堺を歩く 2

 つづき

 山口家住宅(国指定 重要文化財)
 山口家は江戸時代、「越前屋」という屋号で庄屋をつとめていたという裕福な町人で、建物は江戸時代初期に建てられたものだということです。
 堺の町は、「大坂夏の陣」の折に焼討ちに遭っているため、残存している建物の中では一番古いといわれています。
 もちろん、後年増改築が行われていますが、昔の堺の町家の様子が偲ばれます。二階建てのかなり広い立派なお宅で、土蔵などもありました。
 山口家住宅

 座敷
 山口家住宅b

 茶室
 山口家住宅c

 土間
 山口家住宅a



郷学所跡
 堺の町は商業活動の興隆により、町民たちは皆教育熱心だったといいます。商家の子弟は寺子屋で学ぶのが一般的でしたが、江戸時代後期の天保年間に、堺奉行所が町屋を買い取り、「郷学所」を発足させました。町民の子弟の多くが学び、近隣の農村からも入門する者がいたほどでした。明治3年に廃止されるまで存続したそうです。(現地案内板より)
 郷学所跡

 
堺刀司
 文化2年(1805年)創業の包丁屋さんらしいです。古そうなお宅だったのでたまたま撮影していましたが、市街には他にも刃物を扱うお店を何軒か見かけました。
 堺刀司


小西行長屋敷跡
 キリシタン大名として有名な小西行長の父親・隆佐は堺の薬商だったとか。息子の行長はここで生まれたという言い伝えがあるそうで、大道筋に石碑が残るのみです。
 関ヶ原の戦いで東軍に破れ、石田三成と共に処刑されたのは周知の通り。
 小西行長屋敷跡


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A☆六文銭

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日本100名城完全制覇と有名人の墓めぐり(掃苔)
日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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