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今更ですが・・・偶然お市の方の供養塔を見つける

 先日書き綴っていた兵庫県たつの市の旅の補足です。(過去記事「龍野城」の続き)

 紅葉を楽しみ、城跡を見学した後、恒例の墓巡りをしていたのですが、龍野藩主・脇坂家の菩提寺があるというので行ってみることにしました。

 普音寺(たつの市龍野町福の神)  浄土宗のお寺さんです。藩主の菩提寺としては、少々こじんまりとした印象。
 普音寺4

 ところが、ここで本堂の脇に目をやると、小さな小屋みたいなのがあり、「お市の方御霊屋」と書いてあるのです。
 お市の方って、あの浅井長政夫人のこと!?なんでしょうか。
 普音寺3

 その中を覗いてみますと・・・お市の方の肖像画や、「お市観音」、それに御位牌まで安置されていました。
 ただし、お市観音と御位牌は数年前に作られたものらしい。
 普音寺1

   普音寺5


 どうやら、こちらのお寺の初代住職である近藤某という人は浅井家の旧臣であり、浅井家滅亡の際に長政夫妻から阿弥陀仏を預かり、本人は逃げて助かったらしい。
 その後、近藤某は出家し、脇坂安治の家臣と懇意だったことから、浅井家から託された阿弥陀仏を本尊として、寺を開いたという話でした。

 本堂の裏手に行ってみると、肝心な脇坂家の墓は見事に整理されていました。
 お寺の方に伺ったところ、当寺は脇坂家藩主の菩提寺ではなく、脇坂姓を許された一門(家臣)の菩提寺であるというお話でした。
 普音寺2

 そして、その後方に「お市の方」の供養塔があったのです。しかし真新しい墓石で、いかにも後付けといった感じです。
   お市の方供養塔

 
 そういえば、脇坂安治も元々は近江の出身ですし、開山が浅井家ゆかりの人物という話もおそらく本当だろうと思われましたが、ちょっと違和感を覚えました。
 本当に偶然というか、まったく予想しない展開でしたが、「犬も歩けば棒に当たる」とはこのことです。
 大河ドラマも終わってしまい、今更な感もぬぐえませんが、あまり一般には知られていないだろうと思うので一応記しておきます。
 実は、お江に関するネタは他にも色々あったのですが、肝心のドラマがああだったため、すっかり書く気力を失ってしまい、ネタをもてあましてしまいました。。。(泣)

 なお、肝心な脇坂氏藩主の墓ですが、帰宅後手許の資料で確認したところ、一部を除き、東京にありました。。。orz

 お寺さんで飼っている犬と猫。どちらも大人しく、こちらを見ていたのでパチリ。
 私は旅先でよく犬や猫に遭遇するのですが、もともと幼い頃から動物が苦手なため、たまに寄ってこられてもどうかまってあげていいのかわからないのが悩みのタネです。。。

 普音寺6
 普音寺7


 関連記事 柴田勝家・お市の墓

 
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テーマ : 国内、史跡・名勝巡り
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大河ドラマ「江」は私の理解を完全に超えた・・・

 今更何ですが、今年の大河ドラマ「江」に関する感想を。
  大河ドラマ「江」


 
 ドラマ全話終了後の先月下旬より、この件に関してアンケートを実施したところ、40名のブロガー様、当ブログ読者様より回答をいただきました。

 「大河ドラマ 『江』 全話見終わった感想は?」 

 ・面白かった  5件
 ・どちらかといえば面白かった 4件
 ・面白くなかった  11件
 ・どちらかといえば面白くなかった  3件
 ・どちらともいえない  0件
 ・見ていなかった  9件
 ・その他(ご意見を自由にどうぞ)  8件


<ご意見、ご感想>

「面白くなかった」 : 人物名は全部別名にして創作歴史物語にれば、罪はなかったのに。 (男性/60代/北海道)

「面白かった」 : 明治の男の気概、女の気丈さ、慎ましさに時代を感じた (女性/60代/新潟)

「面白かった」 : 江はすごいなぁと思いました。 (女性/10代/兵庫)

「面白くなかった」 : あまりにもヒドイ駄作だと思います (男性/40代/東京)

「面白くなかった」 : なんじゃこりゃあー (男性/50代/石川)

「どちらかといえば面白かった」 : あり得そうであり得ない。。。でもあり得たら面白そう。 (男性/40代/静岡)

「その他(ご意見を自由にどうぞ)」 : 最悪 (女性/20代/愛知)

「その他(ご意見を自由にどうぞ)」 : あ~やっと終わってくれた

「その他(ご意見を自由にどうぞ)」 : 途中から見るのをやめてしまいました。 (女性/40代/山梨)

「どちらかといえば面白くなかった」 : 主役の女優と相方の夫役の俳優に年間を通じて見られるほどの力量が感じられなかった (男性/50代/千葉)

「その他(ご意見を自由にどうぞ)」 : まともな大河ドラマ作れ (男性/10代/奈良)

「見ていなかった」 : 主役がとにかく嫌だから見なかった (女性/10代/京都)

「面白くなかった」 : 幼稚なキャラばかり。着物の色柄下品じゃなかった?? (女性)

「面白くなかった」 : 他所で一度見たが、5分と見てられなかった。見てるこっちが恥ずかしくなったほど、程度が低かったから。

「見ていなかった」 : やっと江toヘブンだわな。やっと”雲”第三部だ。清盛?やらかしたらしいんで観ない。

「その他(ご意見を自由にどうぞ)」 : 金の無駄

「面白くなかった」 : 来年の『平清盛』の予告編見たさに70分耐えました。 (男性/20代/東京)

「その他(ご意見を自由にどうぞ)」 : 途中で見るの止め江と秀吉の最初からギャグ調がきつくて背中に物ぶつけられ怒りの顔が笑顔で振り返ったり爆

「その他(ご意見を自由にどうぞ)」 : 主役以外の (女性/40代)

「その他(ご意見を自由にどうぞ)」 : ボケが進みそうなのでTV処分した。おかげで健康で文化的な生活になった。

「面白くなかった」 : 脚本も演出も映像も稚拙で、観賞に堪えない代物。

「見ていなかった」 : 早々に見るのやめた (男性/40代)

「見ていなかった」 : 韓流と一緒。嘘ばかり (男性/50代/東京)

「面白くなかった」 : 脚本内容鈴木保奈美最悪 若手女優かわいそう



《私の私的感想》

 結局、視聴率的にも過去10年でワースト3という結果が出たそうですが、やはり低迷した一番の原因は田渕久美子さんの脚本の内容が中途半端なもので、よく練られていなかったことにつきると思います。
 散々な評判であっても楽しく見ている方もいるでしょうから今まで書きませんでしたが、江本人や織田信長の「生霊」が登場したり、「清洲会議」に江が「乱入」するなど、あの場面は私の理解の範疇をもはや完全に超えていました。

 長らくNHKは女性の大河ドラマ視聴者を増やそうと色々な試みをしているのですが、オーソドックスな内容を淡々と制作していればいいものを、視聴者の気を引こうとして無理なストーリー運びを展開するといった見当違いの努力をしているため、かえって視聴者が興味を失い、ドラマから離れていってしまっているのがわかっていないのです。
 過去の大河ドラマでも、ジェームス三木さんや先日亡くなられた市川森一さんなどは相当細かいところまで勉強して脚本執筆に臨まれていました。だからこそ、歳月が経過しても鑑賞にたえうるクオリティの高い作品を維持しつづけていられるのです。
 ところが、田渕さんは長編を執筆できるだけの「体力」は充分あるのですが、どうも終始「やっつけ仕事」をしているように思えて仕方がなかったです。
 
 願わくば、制作の皆様には「大河ドラマ」の原点に立ち返り、下手に視聴者に媚びることなく、多くの人々の共感を呼べるスタンダードな作品作りへの努力を忘れないでいただきたいものです。

 なお、アンケートにご協力いただいたブロガー様、読者の皆様、どうも有難うございました。
 (上のご意見で、一部意味不明なものもありますが、そのまま掲載しております)


 
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テーマ : テレビドラマ
ジャンル : テレビ・ラジオ

浅井三姉妹 初と京極展(丸亀市立資料館)

 ※先日は体調不良のため、ブログお休みさせていただきました。お見舞いのお言葉いただいた方、ご心配おかけしました。
 <(_ _)>

 今年の大河ドラマ「江」が昨日で最終回だったようです。ところが、あいにく自分は熱のためぶっ倒れておりましたので、これを見ておりませんでした。
 今回の記事は全放送が終了してから書いても仕方がないような気もしますが、一応記しておくことにします。

 今月はじめの香川県滞在時、時間があったので丸亀市にある丸亀城を撮影しなおしに行きました。
 丸亀城に関しては、昨年の春、このブログをはじめて間もない頃に詳しく書きましたので、そちらをご参照ください。
 
 過去記事 丸亀城〈一) ~ 丸亀城(四)

 ところが、あいにく晴れマークがついていた天気予報がはずれ、曇天の上、小雨まで降ってきたので城の再撮影を途中で諦めました。
 仕方がないので、城山の麓にある丸亀市立資料館で開催中だった
「浅井三姉妹 初と京極展」(先日27日にて終了しています)
を見てきました。
 丸亀市立資料館
  浅井三姉妹・初と京極展

 実は昨年も同館へ来てみたことがあるんですが、施設も古めかしくて、失礼ながらパッとしない資料館という印象でした。ほとんど展示らしい展示もなく、20分くらいで退出した記憶があります。
 丸亀藩は、一度は無嗣断絶した後再興された京極家が幕末まで治めていたこともあり、今年になって大河ドラマ関連の展示を行い、リニューアルしたようです。
 下の写真のように、浅井三姉妹のキャラも登場して、関連イベント等もやっていた模様です。
 浅井三姉妹

 で、展示のほうは一階の展示室一杯に100点の史料が展示され、そこそこボリュームがありました。
 中でも目玉であったのは、お江が実娘で姉・お初へ養女にやった初姫に宛てた手紙というのが2通展示されていました。これは、東京の京極家の御子孫宅で見つかったようです。
 内容はどちらも贈答品のやり取りに関することや「息災ですから安心してください」みたいな他愛ないものでしたが、生んですぐ養女にやった娘に対してもお江が実母としての心遣いをしていたことがわかります。
 
 その他、お初が葬られた若狭・小浜に伝わる関連資料や、徳川家康や秀忠の書状、豊臣秀頼が京極忠高へ与えた脇差など京極家に伝わった品々がありましたが、おそらく戦後京極家が手放したと思われるものが実にこの資料館にまとまって所蔵されていたんですね。これまで所蔵していながら、あまり展示もされていなかったようです。
 毎年のことですが、大河ドラマの放映により今まで一部の人にしか知られていなかったものや、未発見の史料が発掘されたりするので、やはり全国放送のドラマのが及ぼす影響は多大なものがあります。

 この日は休日だったこともあり、多くの見学者が訪れていました。ご年配の方々が目立ちましたが、「お江が云々」など同行者と話しが弾んでいる様子が見られました。(昨年来館時閑古鳥が鳴いていたのがウソのようです)
 これより前に、松江歴史館で見学した京極忠高の展示よりも展示点数が多く、それなりに見ごたえがあったのに、予算不足だったのか図録が作られていませんでした。(無料のパンフはいただけましたが)
 かれこれ1時間くらいゆっくり見学し、同館を退出しました。

 丸亀市立資料館
 
より大きな地図で 丸亀市立資料館 を表示


 ☆大河ドラマ「江」全話終了アンケート!(お時間のある方のみお答えください)
  
 
 
   ******************************

 ところで、資料館のすぐ前で今流行りの「ご当地ゆるキャラ」を発見しました。
  京極くん

 私は知らなかったのですが、帰宅後調べてみたら「京極くん」というご当地キャラだそうです。今年の夏に登場したばかりとのこと!なかなかの好青年?です(笑)
 こちらが不思議そうに眺めていたのを察知したのか、中の人がポーズをとってくれましたので一枚パチリ。この日、お城でミニイベント開催のため出陣中だったようです。
 
 丸亀は最近観光客の誘致に力を入れているようです。私などは城下町の名残があって道がわかりやすく、箇所は少ないながらも周辺の史跡巡りがしやすくて良かったのですが、残念ながら駅前の商店街が少々寂れてしまっており、昨年来た時もそうでしたが、車はそこそこ多いのですが、人の影がほとんど見当たらず、歩いていてさびしかったです。
 私見ですが、おそらく交通網の発達により人の流れが岡山方面へ行ってしまっているのではないか、と思われます。
 「京極くん」のようなご当地キャラの登場で、今後歴史ある町として各方面へアピールしていくことが期待されます。
 

  丸亀ご当地キャラ「京極くん」
  京極くん2
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“江”の姉“初”、ダンナが侍女に産ませた子を殺そうとしてた

 「松江城(三)」のつづき

 松江開府400年祭にあわせ、今年の3月、松江城の東側の堀端に松江400年の歴史と文化を紹介する新たな観光拠点として、「松江歴史館」という施設がオープンしました。ところが、3月11日の震災もあり、ひっそりとしたデビューとなってしまったようです。
 今回、時間がありましたので寄ってみることにしました。(以下、写真はクリックで拡大します)
  松江歴史館

  参考サイト 松江歴史館ホームページ


 この日、ちょうど同館では秋の特別展
「松江藩主・京極忠高の挑戦」という展示を開催中でした。(10月30日にて終了しています)
 「京極」ときけばピンとくる方もいらっしゃることと思いますが、京極忠高というのは、今年の大河ドラマのヒロイン“江”の次姉である“初”の夫である京極高次の庶子になります。おそらく大河ドラマ関連ということで取り上げられたのだろうと思われます。
  京極忠高の挑戦

 こういってはアレですが、実は私、今年の初め頃には例年のように大河ドラマ関連のイベントでも出かけてみようなどと考えていたのですが、ドラマが展開していく中で「清洲会議」の辺りからどうしてもその内容についていけなくなってしまい、自分の中で盛り下がっていく一方だったので、従って大河ドラマ関連イベントにはまったく足を運んでいませんでした。
 今回、偶然このような展示を見たという次第です。
 
 正直、あまり期待もせず見てみたのですが。。。その展示内容がいささかショッキングなものでした。

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大和大納言 豊臣(羽柴)秀長の墓

 当ブログですが、自分が実際旅したところを気の向くまま書いているのですが、最近ためしに統計をとってみたところ、全アクセスの6割近くがNHKの大河ドラマ関連で検索してきた人からのものでした。
 やはり全国放送ですから、それだけ影響が大きいと見え、ドラマを見てみて色々調べたり、関連史跡へ行ってみたり、という事を考える人が少なくないということでしょう。
 まあ、もっと他の記事にも出来れば目を通していただきたいと願うところですが、なかなか難しいものがありますね(苦笑)

 で、今年の大河ドラマ「江」に関するアクセスも割合多いのですが、ここ2,3回全然見ていなかったら知らない間に話が進んでいました。
 しかし、あまりに主人公の「江」がパワフル?過ぎて、豊臣秀吉をはじめ、周囲の男性たちの影が薄いのが気になります。
 そんな男性陣の一人が秀吉の弟である豊臣秀長(1540~1591年)。先々週くらいの回でとっくに亡くなっていました。もっと早くアップすればよかったのですが、一応書いておきます。

 豊臣秀長は豊臣秀吉の異父弟にあたります。よく秀長の内政面における働きが指摘されますが、軍事面でも多くの戦功を上げており、秀吉の傍らには常にこの人の姿がありました。秀吉の片腕ともいうべき人物です。秀吉が天下を取れたのも、ひとえにこの秀長の「縁の下の力持ち」の活躍ぶりがあってこそだろうと思います。
 温厚篤実な性格で他の武将たちからも人望があり、藤堂高虎など有能な家臣を多く抱えていました。
 天正13年(1585年)の四国攻めでは、秀吉の名代として10万の大軍を率い、長宗我部元親を下しました。この年の閏八月に大和・紀伊・和泉を与えられ、大和郡山へ居城、領国支配に力を注ぎます。

 大和郡山城
 大和郡山城


 天正15年(1587年)の九州の役では、1万五千の兵を率いて出陣し、日向・大隈方面から島津氏を追い、秀吉軍と挟撃して島津軍を撤退させ、島津家久が講和のため秀長のもとへ訪れています。この時の功績により、秀長は従二位大納言に叙任され、「大和大納言」と称するようになります。
 しかし、天正18年(1590年)頃より病が悪化し、小田原攻めにも参陣できないほどであったといいます。結局病は癒えないまま、翌天正19年(1591年)正月、大和郡山城にて秀長は病没しました。享年52歳。
 秀長の死後、箍が外れたように兄である秀吉の挙動はバランスを欠いたものとなっていきます。

 秀長のお墓は奈良県大和郡山市箕山町というところにあり、「大納言塚」と呼ばれています。
 大納言塚1

 秀長のお墓は土塀で囲まれ、五輪塔が建てられております。
 大納言塚2

 しかし、現地案内板によると、江戸時代になって秀長の墓地はかなり荒廃していたようで、安永6年(1777年)、秀長の位牌所となっている春岳院という寺の僧侶が現在のように整備したようです。徳川氏の世の中になって、秀吉の身内ということで、秀長のお墓も長い間省みられなかったということでしょうか。
 大納言塚3

 ※写真はすべて2008年6月撮影。


   
より大きな地図で 大納言塚 を表示
 
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テーマ : 歴史
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tag : 有名人の墓(た行)

荒砥城(後)

 つづき

 荒砥城の二の郭の櫓から本郭を見る。下側にあるのは二の郭の兵舎です。
 荒砥城8

 兵舎の中は小屋のようになっており、城の説明ビデオや2007年大河ドラマ「風林火山」でロケが行われたときの写真、台本などが展示してありました。「風林火山」のときは「海ノ口城」として撮影が行われましたが、たしか第8回くらいで登場したように記憶しています。 
     荒砥城9
    荒砥城10

 二の郭を出て、本郭へと進みます。
 荒砥城11

 本格には館(左)と兵舎があるのみでした。
 荒砥城12

 いざというとき、城主はこの小さな館へ入ります。寄せ手が本郭まで迫ったら、ここで切腹するんでしょうかね。
 荒砥城13

 本郭から二の郭を眺める。山城ですから、やはり景色が良い。戦国時代、敵の動きもここから一目瞭然だったことでしょう。
 荒砥城14

 これらの建物は発掘調査を元に、というより、どうやら推定復元なようですが、戦国時代の砦をイメージできる復元整備だということはいえると思います。
 今後も、大河ドラマをはじめとする戦国ドラマのロケ地として使用されるのでしょうね。
    荒砥城15

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テーマ : 城めぐり
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荒砥城(前)

 松本城で100名城のスタンプを押印した後、まだ時間に余裕がありましたので、長野県千曲市にある「荒砥城」へ寄ってきました。
 荒砥城は、村上氏の支族である山田氏によって築かれた連郭式の山城です。
 荒砥城と千曲川を挟んだ対岸の山頂に築かれた「葛尾城」城主・村上義清は、天文22年(1553年)甲斐の武田信玄との戦いに敗れ、葛尾城は落城し、義清は越後の上杉氏を頼って落ち延びました。荒砥城に拠っていた山田氏もこの戦いで滅亡してしまいます。

 天正10年(1582年)武田氏滅亡後、上杉景勝の川中島統治時代には屋代秀正が海津城副将となり、荒砥城は清野・寺尾・西条・大室・保科・綱島・綿内の各氏による城番管理がなされていました。
 翌天正11年(1583年)、屋代秀正は上杉方に背いて徳川家康と通じて荒砥城に籠城しましたが、上杉方に攻められ、天正12年(1584年)に荒砥城は落城し、廃城となりました。
 
 しなの鉄道「戸倉」駅で下車し、タクシーで城跡へ向います。城山の麓には有名な「戸倉上山田温泉」があります。
 城山の中腹まで車で行くことが可能です。
 荒砥城7

 現在は「千曲市城山史跡公園」として整備されており、館、兵舎、櫓などが推定復元されています。駐車場のところでタクシーを降ります。
 城の縄張りはこんな感じ。
 荒砥城1

 坂道を登っていくと、公園の入口があります。ここの受付で大人300円を支払います。
 荒砥城2

 実はこの荒砥城、今年の大河ドラマ「江」の第一回目で、「小谷城」として登場し、ロケが行われていたのです。お江が産声を上げた場面と、小谷城が落城するシーンはここで撮影されました。
 ところで、「江」ですが、あっという間に半年経ってしまいましたね。なんだか、第一回目が遠い昔のような感じがいたします。
 ドラマの方は残念ながら世評はイマイチのようで、内容の改善を期待しましたが、もう今頃はお江の晩年を撮影しているはずなのですでに手遅れだと思います。
 荒砥城3


 舗装された坂道をさらに登っていくと、二の郭の門がありました。これもドラマの中で登場していましたっけね。
 荒砥城4

 門をくぐりぬけると、見張り台の櫓が復元されています。
 荒砥城5

 櫓に登ってみます。天気はイマイチでしたが、眺望は良いです。上で書きましたように、千曲川の対岸に葛尾城が眺められました。
 荒砥城6

 かつてこの城に立て篭もった屋代秀正ですが、結局彼は上杉氏に背いて徳川家康のもとへ出奔してしまうのですが、上杉景勝は秀正の屋代の旧領を後に真田幸村へ与えているんですよね。たしか、安堵状が残っていたと思います。幸村がまだ「弁丸」と呼ばれていた少年の頃で、ほんのわずかな間、上杉景勝のもとへ人質でやられていた時分です。
 景色を眺めながら、そんな事を思い出しました。


 長くなるので続きます。


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柴田勝家・お市の墓

 天正11年(1583年)4月24日、北ノ庄城は落城し、柴田勝家とその妻・お市が共に自害したことは先述しました。
 勝家、お市夫妻の最期の模様が後世にも伝わっているのは、落城の折、話術に巧みな老女を一人だけ選び、自分たちの最期の様子を物語るよう逃がしたからだということです。(ルイス・フロイスの記録による)

 福井市内にある「光明山 西光寺」(天台真盛宗) 柴田勝家の菩提寺です。元々は一乗谷城主・朝倉貞景が家臣・上田兵衛尉に命じて創建させたといわれ、後に柴田勝家が一乗谷より北ノ庄に移し、自らの菩提寺にしたといいます。
 西光寺

 狭い境内の隅に、柴田勝家、お市、柴田勝景(勝家の甥で丸岡城主)、柴田孫次郎(勝家の子)の合祀墓があります。慶長年間に、豊臣秀吉の祐筆だった山中長俊が創建したものだということです。
柴田勝家の墓

 今から二十数年前くらいに、当寺で資料館を建てる際、この墓を移動したそうなのですが、その時に墓の内部を調べたところ、中から遺骨や遺品の類など何も出てこなかったということです。ですから、お墓というよりも供養塔といった方が正しいかもしれません。
 おそらく、落城の折に勝家らの遺骸は燃え盛る炎の中、すべて灰塵に帰したということでしょうか。
 
 墓の傍らには北ノ庄城の礎石が置いてありました。
北ノ庄城の礎石

 寺の小さな資料館。残念ながら鍵が閉まっていて、中に入れそうもありません。
 偶然、檀家の方らしき人が境内の清掃のお手伝いに来られていたのですが、お尋ねしたところ、あいにくこの日は住職が近所の小学校の運動会へ行ってしまっていて留守だということでした。
 中を拝見できず残念でしたが、ここには柴田勝家とお市の木像などが展示してあります。
 西光寺資料館

 ひっそりと建つ墓前で、しばし悲運の武将に思いを馳せ、寺を後にしました。
 次回の大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」では、とうとう北ノ庄落城を迎えますね。エンディングの「江 紀行」の中でもしかしたら紹介されるかもしれませんので、一応掲載しておきます。

※3月20日追記  地震の影響で一週間遅れで放送されましたが、やはり予想通り「江 紀行」で西光寺が放送されました。(←番組ホームページへ飛びます)

  
より大きな地図で 西光寺 を表示


関連記事 賎ヶ岳古戦場
       北ノ庄城址(柴田公園)


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日本100名城完全制覇と有名人の墓めぐり(掃苔)
日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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