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よみがえる熊本城本丸御殿

 熊本城 のつづき


 難攻不落、鉄壁の守りの熊本城を築いた加藤清正ですが、ひたすら軍事面を優先する城造りに徹したため、城主の居住スペースや行政の場を設ける平地が城内になくなってしまいました。
  
 そこで清正は、石垣に挟まれた登城道の上に御殿を建てることを考えます。これが本丸御殿です。
 本丸御殿は明治10年の西南戦争で焼失してしまいましたが、平成15年(2003年)より専門家、職人が総結集し、綿密な考証によって総工費54億円をかけて復元工事が行われ、平成20年(2008年)春に創建時の姿で蘇りました。

 不開門・須戸口門から登城しますと、本丸御殿の裏側の門に辿りつきます。
熊本城本丸御殿10


 中へ入ってみますと、「闇(くらが)り通路」と呼ばれる地下通路が。
熊本城本丸御殿4(闇り通路)

 
  実はここが、全国的にも例をみない御殿への地下玄関口(正式の)なんですね。
  熊本城本丸御殿5(玄関)


 本丸前広場に出て、見学客が入るため現在の入り口がココ。
熊本城本丸御殿6


 玄関を入り、写真には写っていませんが60畳の「鶴之間」からはじまり、「梅之間」(写真)、「櫻之間」、「桐之間」、「若松之間」と続きます。
 この辺りの部屋は壁や襖が真っ白ですが、確実な資料が残っていないとの理由で、文化庁が障壁画、襖絵の復元を許可しなかったためです。
熊本城本丸御殿3(梅の間)


 大広間の南側に延びる縁側。「広縁」「落ち縁」「濡れ縁」の三段で構成され、幅は約6mあります。
熊本城本丸御殿7(縁側)


 奥の「昭君之間」に続く「若松之間」。室内には瑞々しい若松の絵柄が描かれています。
熊本城本丸御殿8(若松の間)


 もっとも格式の高い部屋である「昭君之間」
 画題は中国の前漢時代、北方地帯を支配する匈奴へ嫁ぐことになった悲劇の美女「王昭君」を中心に描かれています。
 障壁画、襖絵を担当したのは豊臣氏と縁の深かった狩野光信の弟、源四郎言信。
 画題は判明していたものの、部屋の内部が具体的にわかる写真や下絵等の史料が無かったため、同時代の他所の建物等を参考に「推定復元」という形で文化庁から特別の許可が下りました。
 「昭君」を「将軍」と読み替えることで、清正が豊臣秀頼を迎えるために設けた部屋という説があります。
熊本城本丸御殿9(昭君の間a)


 この人が悲劇の美女「王昭君」
 なお、「昭君之間」「若松之間」ではカメラ撮影時は内装が傷むのを防ぐため、絶対ストロボを使用しないようにしましょう。(監視員から注意されます)
 熊本城本丸御殿2(王昭君)


 天井は「折上格天井」になっており、、四季折々の草花が丹念に描かれています。江戸後期の画家、杉谷行直(1790-1845年)が描いた「御城内照君之御間合天井図」という史料が残っており、それを参考に復元されました。
熊本城本丸御殿1(昭君の間b)



 なお、本丸御殿にはそのほかにも藩主の居間や大天守へつながる通路などがありましたが、現状を鑑みて今回は復元されませんでした。
 本丸御殿を復元したことで、観光客数も大幅にアップしたそうです。
 加藤清正が築いた、桃山時代の絢爛豪華な文化を体感できる貴重な建物なのです。


                    御殿で味わう伝統料理「本丸御膳」へつづく
 
 

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熊本城(日本100名城)

 日本三大名城の一つである熊本城
 熊本へ来たら、まず真っ先に行ってみたい観光スポットです。
 先月下旬と先日の二度にわたって再度熊本城を訪れました。あまりの壮大さに感嘆すると同時に、いつまでいても飽きない城、それが熊本城です。
 それではさっそく登城してみることにしましょう。(一部過去に撮影した写真あり)

 市街から眺めた熊本城。以前初めて熊本へ来たとき、この風景を見てワクワクしたのが思い出されます。
熊本城7


 城への入り口、行幸橋口に立つ加藤清正公像
 清正は戦国きっての猛将として有名ですが、同時に名うての築城名人でもありました。
 「賤ヶ岳の戦い」で“七本槍”の一人として名を挙げた清正は、その後幾多の戦を経験しますが、豊臣秀吉による朝鮮出兵・・・「慶長の役」で経験した蔚山城での激しい攻防戦を教訓として、完全防備、無敵の居城を築き上げました。熊本城には戦国武将としての彼の気概が感じられます。
  加藤清正公像


 城の南方、坪井川沿いにある242m!にも及ぶ長塀。重要文化財。
熊本城6(長塀)


 西出丸の薬研堀と戌亥櫓および土塀(復元)かつては堀の底がV字形になっていました。(現在は形状が異なっています)
熊本城12(戌亥櫓・土塀)

 
 二の丸広場にて年に一回開催される「武田流騎射流鏑馬」(2009年秋撮影)お城をバックに、古式ゆかしく執り行われる流鏑馬神事。
 もののふの心を今に伝えます。
熊本城5



 西大手門(復元) 加藤家が改易された後、肥後に入封した細川忠利が初めて入城する際に駕篭から降り、清正の遺徳を偲んで門前で深々と一礼したという話が伝わっています。
熊本城14(西大手門)


 西出丸から空堀を隔てて眺める三層五階の宇土櫓。城内一の高さを誇る石垣を含めた眺めは壮観です!
 清正が慶長3年(1598年)以前に建てた旧天守ではないか、という説があります。かつての宇土城の天守を移築したという伝承もありましたが、平成元年(1989年)の解体修理時の調査により否定されています。西南戦争での焼失を免れた貴重な遺構です。重要文化財
熊本城8(宇土櫓)

 


 頬当御門(復元) 二の丸への入り口に立つ。屋根の無い簡便な形式の門。
 ツアーなどで来ると、ここから入城する人が多いのではないかと思います。受付に100名城のスタンプも設置されています。
熊本城11(頬当御門)


 大天守、小天守。残念ながら、西南戦争の時に籠城していた新政府軍に放火されて焼失してしまいました。現在のものは昭和35年に外観復元された鉄筋コンクリート製。
 先週の土曜日(25日)、天守前では名古屋から“武将隊”の人々が応援にかけつけ、パフォーマンスが行われており、観光客で人だかりが出来ていました。
熊本城13(大天守、小天守)


 天守前広場にある銀杏の木。清正は城内にたくさんの銀杏の木を植えましたが、有事の際にギンナンの実を食料とするためだったともいわれています。熊本城の別名「銀杏城」の由来。
 「この樹が天守の軒に届く頃、きっと戦乱がおきるだろう」
 と清正は予言したといいますが、はたして明治10年(1877年)に起きた西南戦争で熊本城は戦場と化し、奇しくも清正の予言通りとなったという次第。
 谷干城率いる熊本鎮台は城に立てこもり、西郷軍を相手に五十日余りの籠城を耐え抜きました。不世出の英雄、西郷隆盛をしても、加藤清正には敵わなかったわけです。
    熊本城9(銀杏)

  

 「武者返し」決して敵を寄せ付けない鉄壁の反り返り。
   熊本城(武者返し)

  
 先述しましたが、「慶長の役」における蔚山城の籠城戦において辛酸を舐めた清正は籠城に備えるべく、水源の確保のため城内に井戸をたくさん備えました。
  熊本城10(井戸)

 
 父の仇を討とうと、清正の暗殺をたくらんだ横手の五郎という怪力の若者が、首にかけて運んだといわれる「首掛石」 重さが1.8tもあるんだとか!
  熊本城(首掛石)



 本丸南西隅にある「二様の石垣」
 右側が清正の時代のもの(「清正流石垣」)で、左側は細川氏時代に増築されたもの。
 清正は石垣積みを得意としていました。正確には有能な石垣職人を配下に抱えていたということです。「天下普請」で築かれた名古屋城の天守台の石垣も清正が担当しています。

 ところで、大河ドラマ「天地人」の第一回目の放映で、ここでロケが行われたのご存じですか?
 「大坂城」の設定だったらしいですが、わざわざ遠い熊本城で、何でロケしたのが意味不明です。
熊本城16(二様の石垣)


 各所にある石垣と石段。まるで石の迷路に迷いこんだような錯覚を感じます(汗)。
 自分が甲冑に身を包み、武具を抱えて攻め込んだなら、相当難儀したことでしょう。
熊本城4



 清正の重臣・飯田覚兵衛ゆかりの「飯田丸五階櫓」(復元)城内にはかつて、五階建の櫓が5基も備えられていました。
熊本城3(飯田丸五階櫓)


 城の鬼門にあたる北東に位置する櫓門「不開門」(あかずのもん) 城内にはかつて18の櫓門がありましたが、現存するのはこの門だけ。
熊本城2(不開門)

 以上ざっと見てきましたが、実はまだまだ多くの櫓等があり、見どころがたくさんあってとても紹介しきれません。お城見学には時間に余裕をもって行かれることをおすすめします。
 あまり難しく考えず、城の威容を体感できればいいのではないでしょうか。
 それから、去年の震災で一時途絶えたものの、中国、台湾、韓国などから来た外国人観光客もとても多いです。「もののふの心」を感じて帰っていただければ幸いです(笑)

気が付くと、いつの間にか日が傾き、あたりは夕闇に包まれていました。。。
 難攻不落の城、熊本城。さすがは天下の名城です!
熊本城1

おかげ様でお天気には恵まれましたが、熊本はとても暑かったです。。。


             よみがえる熊本城本丸御殿 へつづく


 参考サイト 熊本城公式ホームページ


より大きな地図で 熊本城 を表示



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飫肥城(三)

 私は関東の人間ですので、正直九州地方の歴史というのにはうといのですが、資料を紐解くと、飫肥を治めていた伊東氏というのは薩摩の島津と同様、鎌倉時代くらいからの名家だったようですね。

 伊東氏は日向の都於郡を領有し、都城や飫肥を勢力下に置いていた島津氏としばしば対立していたそうです。
 元々、飫肥城には島津氏の一族である新納氏が城主としていたようですが、天文10年(1541)~永禄11年(1568年)までの28年間、伊東義祐という人が飫肥を攻略し、ついに城を奪って、次男の祐兵を城主として置きました。この頃から、飫肥城の城砦が整備されていったということです。

 ところが、元亀3年(1572年)に「木崎原の戦い」で島津軍に大敗した伊東氏は、大友宗麟を頼り豊後に落ち延びました。この後、伊東氏はさらに四国に渡りますが、流浪の民となってしまいます。
 こうして安住の地を失った元飫肥城主の伊東祐兵は縁あって豊臣秀吉に臣従し、その後秀吉の九州征伐に同行し案内役を務めた功績により、旧領である飫肥の地を与えられ、無事に復帰することがかなったのでした。石高は5万1千石です。
 以後、幕末まで一貫して伊東氏による統治が行われました。

 歴史博物館の裏手がさらに小高くなっており、階段を登っていくと、「松尾の丸」へと出ます。

松尾の丸

 ここには藩主の御殿があり、建物自体は昭和54年に綿密な時代考証の上、飫肥杉を使用して復元されました。江戸時代初期の様式で建築されたということです。
 中でも、京都の西本願寺にある飛雲閣のものを模した「湯殿」があり、こけら葺きの総檜造りとなっております。

飫肥城松尾丸「湯殿」


 当時のお風呂は、今でいえばサウナみたいな蒸し風呂になりますね。

 松尾の丸の復元御殿を見学した後はお城を出て、荷物を置きに駐車場へ戻りました。
 すると、駐車場の入り口付近に古い二階建ての建物(昔、飫肥藩の役所の建物だったそう)があり、飫肥名物「おび天」のお店になっていました。

おび天「蔵」

おび天蔵

 「おび天」というのは平たく言うならさつま揚げみたいな物らしいです。魚のすり身と豆腐、それに黒砂糖と味噌を付き合わせたものを油で揚げてあります。ちょうどお腹も空いてきましたので、3種類くらい買い食いしてみました。それなりに美味しかったです。
(ただし、ここのお店は先述した「食べあるき・町あるきMAP」の対象外となっています。)
 なお支店が宮崎空港にもあり、帰りにお土産で買って帰りました。
 

 続いて、城下町のほうを散策してみることにします。

                     つづく

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飫肥城(二)

 飫肥城本丸へ行ってもこれといった遺構もないので、今来た道を戻ることにし、城内にある飫肥城歴史資料館へ向いました。ここで100名城スタンプラリーの飫肥城スタンプをもらわなければなりません。

飫肥城歴史資料館
 
 受付の方に「100名城のスタンプをお借りできますか?」とお願いし、とりあえず押印。スタンプの絵柄は、先日ご紹介した復元の大手門になっています。
飫肥城スタンプ

 すると、事務室の中から50歳代くらいの男性が出てきました。
 「あなた方、何処から来られました?」とか「スタンプ一杯集めてるんですね」などと話しかけてくるその方は、観光所のおじさんっぽい感じの、気さくそうな方でした。
 「カメラのシャッター押しましょうか?」などと言ってくださり、ご好意に甘えて撮影していただきました。

 で、その後もその方から色々話しを聞いていますと、なんとその方は資料館の館長様でした!(気がつかず、スミマセン!)

 館長様がおっしゃるには、「最近映画のロケがここであったんですよ」とのこと。榎木孝明さん主演の薩摩の士・桐野利秋を主人公にした「半次郎」という映画のロケで飫肥城が使われ、町をあげて大わらわだったということです。
 また、復元された大手門は、樹齢100年以上の飫肥杉を使用して造られたということです。
 本丸にもたくさん生えていたあの杉は、実は飫肥の名産のもので、貴重な森林資源だったんですね。
 
 しばし世間話などをした後、館長様は「あなた達、この後城下を回るなら、おトクなクーポンがあるんですよ」と言い、
「飫肥城下町 食べあるき・町あるきMAP」を勧めました。
 飫肥食べあるき町あるきMAP

 このMAPは、由緒施設の入館料と指定された商店の内5箇所まで食べ物やお土産を引き換えることのできるクーポンがついて一枚1000円(大・高校生は900円 中学生以下800円)ということです。
 半ば強引に買わされましたが(笑)、コレが後で意外にも威力を発揮することに・・・(後述)
 ぜひ寄っていくと良いお店をいろいろと教えていただきました。

 さて、資料館の中ですが、江戸時代飫肥を治めていた伊東氏に関する史料(甲冑や古文書等)が展示してありました。伊東氏の子孫の方から寄贈された物だということです。
 そちらを見学し、館長様にお礼を言って、資料館を出ました。

 なお、館長様はなかなか仕事熱心な方で、「飫肥城館長ブログ」(←コチラをクリック)で日々飫肥の情報を発信しています。
 この日も、来館者に対しては率先して声かけを行い、いろいろ説明していらっしゃいました。(話好きな方なようです)
 
 なお、歴史資料館の方は空調設備工事により、現在6月末まで閉館(←詳細リンクへ飛びます)しているそうなので、現地へ行かれる方はご注意ください。

                つづく

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飫肥城 (85/100)

 九州の宮崎県で家畜の伝染病「口蹄疫」が猛威を振るっている、というニュースを見ました。数万頭の牛や豚さんたちが焼殺処分にせざるをえない、ということで、地元の畜産業の方々は大打撃を受けておられるとのことです。本当にお気の毒としか言いようがありません。
 考えてみますと、昨年は人間相手に新型インフルエンザが流行し、国内、世界中も大混乱でした。それが収まったかと思いきや、今度は家畜の伝染病の流行です。
 一日も早い事態の終息をひたすら祈るばかりです。

 非力ながら、「ガンバレ 宮崎県!」の激励の意味を込めて、その宮崎県の名城のご紹介です。
 訪城は昨年の秋で、少々情報が古くなりますのでご了承ください。

 宮崎空港

 宮崎へ行ったのはこれが生まれて初めて、でした。100名城がなかったら、たぶんなかなか行く機会もなかっただろう、と思います。(それまで、全く関心がありませんでした)
 宮崎空港に到着したときは、上の写真のように抜けるような青空でしたので、ドライブすることですし、これからの旅路を期待していたのですが・・・。
 海沿いを走っているうちに、みるみる空があやしくなってきました。

飫肥城大手門

 飫肥(おび)城に着きました。この大手門は昭和53年(1978年)に復元されたということです。
 資料によると、飫肥城自体は廃藩置県の折にすべて取り壊されてしまい、残存している建物等はなかったそうです。
 この日、週末に開かれるお祭りの準備が行われていたようで、城門前にもワゴン車が数台止まっていて、資材なども置かれており、あまり良い写真が撮れませんでした。(提灯がぶらさがっているのが見えますでしょうか)
 
 大手門をくぐり、そのまましばらく歩き、本丸の方へ行ってみました。
飫肥城本丸1
飫肥城本丸2

 ご覧のように、石垣こそ残っているものの、ただひたすら大きな杉の木が何本も生えているという情景でした。これではもし早春に来たら、花粉症の方はひとたまりもありませんね(笑)
 誰ひとりそこにはいませんでしたので、ただただ深閑のうちにたまに鳥の鳴き声だけが聴こえていました。

 正直、見るべきものはあまりないように思われました。

                    つづく

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A☆六文銭

Author:A☆六文銭
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日本100名城完全制覇と有名人の墓めぐり(掃苔)
日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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