【都知事選】みんなに都政を取り戻す
7月28日(木)
東急田園都市線 三軒茶屋駅
うちの母は、戦時中、この町で生まれました。母の父である私の祖父は、このキャロットタワーのすぐ近くで商店を営んでいましたが、昭和20年3月の空襲により、店と自宅 および全財産を失いました。
そして、戦後土地のトラブルに遭い、母の一家は泣く泣く隣区へ移転せざるをえなくなりました。
自分が住んでいたわけではないですが、母の思い出話の中に、何度となく“三茶”の話が出てくるので、私にとってもなつかしく感じる町です。

先日、鳥越さんが三軒茶屋で街頭演説をするという情報を聞き、家からは遠かったのですが、聞きに来てみました。
私鉄沿線の街にしては、本当に多くの聴衆がつめかけ、報道によると2500人くらい来ていたそうです。
人々が公道にはみ出てしまい、警察官の注意を受ける始末。
この界隈の人々のリベラルな気風は、自分にも大いに共感するところがあります。
鳥越さん「自分の胸に問いました。お前はどういう気持ちで立候補するのか。私の中で答える声がありました。76年生きてきて、権力者や強い人に一度もおもねたことがない。弱い人たちのため、困った人たちのために51年間、報道の現場で走り続けてきました。これだけは皆さんの前でハッキリと言えます」
「今回、都知事選挙に立候補するにあたって葛藤もあったが、私は一貫して弱い立場の人、困っている人、悩みを抱えている人の立場で仕事をしてきた。たとえ都知事になっても、権力にもっておごり高ぶることは絶対にない。常に弱い人のために働きたい」
力強く宣言した彼のこの言葉は、グッと胸に迫るものがありました。

「公共事業や箱モノばかりをつくり、命をはぐくむことにあまりお金をつくってこなかった過去に終止符を打ち、モノから人にお金をかける。発想を変えましょう」
この日、かねてから鳥越さんと親交のある作家の瀬戸内寂聴尼から届いたという
「あの“厚化粧”の人には都知事になんかなってほしくないです」というメッセージを澤地久枝さん(作家)が代読すると、聴衆からひときわ大きな歓声がわきあがりました。

鳥越さん、忙しいさ中、三軒茶屋に来てくださって、本当に有難うございました。母に上の写真を見せると、とても喜んでくれました。
鳥越さんは、 「住んでよし 働いてよし 環境によし 学んでよし」のスローガンを元に、
「3つのゼロ すなわち 待機児童ゼロ、待機高齢者ゼロ、原発ゼロ」を公約に掲げました。
公示直後、巣鴨での1分演説!の時は一体どうなることやら、ハラハラさせられましたが、やはり約2週間でここまでまとめあげてきた底力はすごいです。卓越したセンスが感じられます。
悪質な選挙妨害にも遭い、厳しい戦いを強いられている鳥越さん。
「非核都市宣言」をあえて公約に掲げたため、連合東京の組織的支援を受けられなかった鳥越さん。
その男気には、心から声援を送りたいです。
選挙権を得て、24年たちますが、自発的に街頭演説を聞きに行ったのは初めてです。
これまでは、テレビの政見放送を見て、軽く選挙公報を眺めて、今思えば安直な投票をしていました。
ネット等の情報は便利ですが、悪質なデマなども多いので、やはり実際の演説会などにも足を運んだほうがよさそうです。
鳥越さんという魅力ある候補のおかげで、自分もこれまでの「傍観者」から一歩前へ進んだ気がします。
候補を降りた宇都宮弁護士や古賀茂明さんはたしかに見識のある方ですが、一般の人がここまで心動かされるところまではいかなかったでしょう。
17日間、本当にお疲れ様でした。
最初に書きましたが、石原さん以来の猪瀬、舛添といった保守系都知事にはもうウンザリなのです。
都民が将来的に良い選択をしていただけるよう、願っています。
東急田園都市線 三軒茶屋駅
うちの母は、戦時中、この町で生まれました。母の父である私の祖父は、このキャロットタワーのすぐ近くで商店を営んでいましたが、昭和20年3月の空襲により、店と自宅 および全財産を失いました。
そして、戦後土地のトラブルに遭い、母の一家は泣く泣く隣区へ移転せざるをえなくなりました。
自分が住んでいたわけではないですが、母の思い出話の中に、何度となく“三茶”の話が出てくるので、私にとってもなつかしく感じる町です。

先日、鳥越さんが三軒茶屋で街頭演説をするという情報を聞き、家からは遠かったのですが、聞きに来てみました。
私鉄沿線の街にしては、本当に多くの聴衆がつめかけ、報道によると2500人くらい来ていたそうです。
人々が公道にはみ出てしまい、警察官の注意を受ける始末。
この界隈の人々のリベラルな気風は、自分にも大いに共感するところがあります。
鳥越さん「自分の胸に問いました。お前はどういう気持ちで立候補するのか。私の中で答える声がありました。76年生きてきて、権力者や強い人に一度もおもねたことがない。弱い人たちのため、困った人たちのために51年間、報道の現場で走り続けてきました。これだけは皆さんの前でハッキリと言えます」
「今回、都知事選挙に立候補するにあたって葛藤もあったが、私は一貫して弱い立場の人、困っている人、悩みを抱えている人の立場で仕事をしてきた。たとえ都知事になっても、権力にもっておごり高ぶることは絶対にない。常に弱い人のために働きたい」
力強く宣言した彼のこの言葉は、グッと胸に迫るものがありました。

「公共事業や箱モノばかりをつくり、命をはぐくむことにあまりお金をつくってこなかった過去に終止符を打ち、モノから人にお金をかける。発想を変えましょう」
この日、かねてから鳥越さんと親交のある作家の瀬戸内寂聴尼から届いたという
「あの“厚化粧”の人には都知事になんかなってほしくないです」というメッセージを澤地久枝さん(作家)が代読すると、聴衆からひときわ大きな歓声がわきあがりました。

鳥越さん、忙しいさ中、三軒茶屋に来てくださって、本当に有難うございました。母に上の写真を見せると、とても喜んでくれました。
鳥越さんは、 「住んでよし 働いてよし 環境によし 学んでよし」のスローガンを元に、
「3つのゼロ すなわち 待機児童ゼロ、待機高齢者ゼロ、原発ゼロ」を公約に掲げました。
公示直後、巣鴨での1分演説!の時は一体どうなることやら、ハラハラさせられましたが、やはり約2週間でここまでまとめあげてきた底力はすごいです。卓越したセンスが感じられます。
悪質な選挙妨害にも遭い、厳しい戦いを強いられている鳥越さん。
「非核都市宣言」をあえて公約に掲げたため、連合東京の組織的支援を受けられなかった鳥越さん。
その男気には、心から声援を送りたいです。
選挙権を得て、24年たちますが、自発的に街頭演説を聞きに行ったのは初めてです。
これまでは、テレビの政見放送を見て、軽く選挙公報を眺めて、今思えば安直な投票をしていました。
ネット等の情報は便利ですが、悪質なデマなども多いので、やはり実際の演説会などにも足を運んだほうがよさそうです。
鳥越さんという魅力ある候補のおかげで、自分もこれまでの「傍観者」から一歩前へ進んだ気がします。
候補を降りた宇都宮弁護士や古賀茂明さんはたしかに見識のある方ですが、一般の人がここまで心動かされるところまではいかなかったでしょう。
17日間、本当にお疲れ様でした。
最初に書きましたが、石原さん以来の猪瀬、舛添といった保守系都知事にはもうウンザリなのです。
都民が将来的に良い選択をしていただけるよう、願っています。
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【都知事選】やっと、岡田さん(民進党代表)がやって来た!
7月27日(火) JR新宿駅 甲州街道口前
この日は、ようやく民進党の岡田克也代表が応援でやってきました。
何をかくそう、この方の鶴の一声で、鳥越さんが候補になったのです。ただ、自分はあまり前に出ない方がよいと、遠慮されていた?らしいのですが。
「これまでの流れを断ち切れるかどうか、それができるのは鳥越さんだけだ」と力説されました。

この日の鳥越さん。
オーディエンスの中にいた「学童保育の問題も考えて」とプラカードをかかげている男性に話しかけたりして、話の掴みどころが上手くなってきました。
また、原発再稼働については、250KM圏内は再稼働しない、と明言されました。

演説が終わると、女性を中心に鳥越さんに殺到。握手攻めにあう。
鳥越さんと握手したい人があまりに多くて、結局私は握手しそびれてしまいました(泣)せっかく、至近距離にいたのになあ。

一方、民進党支持者らしき人から声をかけられる岡田さん。以前、三重県の桑名市内で一度お見かけしたことがあります。
もう少し、愛想よくすればいいのに。失礼ながら、昔よくあったロボットアニメの超合金みたいな顔にみえて仕方ありません。
ま、悪い方ではなさそうですが。

党内事情はイロイロあろうかと思いますが、やはり野党統一路線は正解。でないと、衆議院の小選挙区制では勝てません。
この路線は維持していただけると良いと思います。
また、この日も早くから来ていたマックさん。今回は、茶々なども入れず、大人しくサイリウムを振っておられた。

この日の演説内容はこちら↓
この日は、ようやく民進党の岡田克也代表が応援でやってきました。
何をかくそう、この方の鶴の一声で、鳥越さんが候補になったのです。ただ、自分はあまり前に出ない方がよいと、遠慮されていた?らしいのですが。
「これまでの流れを断ち切れるかどうか、それができるのは鳥越さんだけだ」と力説されました。

この日の鳥越さん。
オーディエンスの中にいた「学童保育の問題も考えて」とプラカードをかかげている男性に話しかけたりして、話の掴みどころが上手くなってきました。
また、原発再稼働については、250KM圏内は再稼働しない、と明言されました。

演説が終わると、女性を中心に鳥越さんに殺到。握手攻めにあう。
鳥越さんと握手したい人があまりに多くて、結局私は握手しそびれてしまいました(泣)せっかく、至近距離にいたのになあ。

一方、民進党支持者らしき人から声をかけられる岡田さん。以前、三重県の桑名市内で一度お見かけしたことがあります。
もう少し、愛想よくすればいいのに。失礼ながら、昔よくあったロボットアニメの超合金みたいな顔にみえて仕方ありません。
ま、悪い方ではなさそうですが。

党内事情はイロイロあろうかと思いますが、やはり野党統一路線は正解。でないと、衆議院の小選挙区制では勝てません。
この路線は維持していただけると良いと思います。
また、この日も早くから来ていたマックさん。今回は、茶々なども入れず、大人しくサイリウムを振っておられた。

この日の演説内容はこちら↓
【都知事選】野党幹部揃い踏み 附マック赤坂乱入
7月22日(金) 有楽町イトシア前
この日鳥越さんの街宣には、野党の大物たちが駆けつけました。
民進党・枝野幹事長 共産党・志位委員長、社民党・又吉幹事長、生活の党と山本太郎となかまたち・小沢代表、東京生活者ネットワーク・西崎氏の皆さん。
ニュース番組等ではよく拝見しますが、生演説を聞くのは初めて。やはり党首クラスということで、皆さん演説がお上手で、思わず聞き入ってしまいます。特に、志位さんと小沢さんには風格を感じました。
枝野氏の応援演説の後、鳥越さん登場。下の写真のように、和やかな雰囲気の中、演説が始まりました。

この日、特に鳥越さんは、ご自身の亡父について言いたかったようで、
「父は赴任先で陰湿なイジメに遭い、長く神経症を患っていて、自分が生まれた時、九州大の精神科に入院していた。一生、精神の病は治ることがなかった。
そんな弱い父親が大嫌いで、生前ほとんど話をしたことがなかったが、父が73歳で亡くなり、葬儀の時、障害者5名が弔問に来て、その時母に聞いて初めて、父が晩年、障害者のための作業施設の運営に力を注いでいたことを知った」
お父様が弱者のために、一身をなげうって生きてきたことを悟った鳥越さん。その父の血が自分にも流れていると。
だから、弱者に手を差し伸べて、その人たちの声を聴き、応えるのだと、力強く語りました。
人にやさしく、寄り添う政治を目指していることがひしひしと伝わってくる、そんな演説内容でした。
最後に手に手をとりあい、聴衆の歓声に応える弁士の皆さん。
先の参議院選からの、野党共闘の流れはぜひ維持していただきたいと思いました。

ところで。。。
鳥越さんの演説が始まる直前、突然、脇のほうでファンファーレ?みたいな音楽が聞こえ、
「マック赤坂」氏が乱入してきました。

鳥越さんに何か呼びかけていましたが、鳥越さんは演説が終わると、すぐにいなくなってしまい、
この方だけが残されました。私もしばらくそこにいたのですが、何を言いたいのか、よくわからなかったため、途中で帰路に着きました。

後でこの方のご経歴を見ると、京都大学卒だそうで、鳥越さんの後輩ということらしいですね。
当日の演説内容はこちら↓
この日鳥越さんの街宣には、野党の大物たちが駆けつけました。
民進党・枝野幹事長 共産党・志位委員長、社民党・又吉幹事長、生活の党と山本太郎となかまたち・小沢代表、東京生活者ネットワーク・西崎氏の皆さん。
ニュース番組等ではよく拝見しますが、生演説を聞くのは初めて。やはり党首クラスということで、皆さん演説がお上手で、思わず聞き入ってしまいます。特に、志位さんと小沢さんには風格を感じました。
枝野氏の応援演説の後、鳥越さん登場。下の写真のように、和やかな雰囲気の中、演説が始まりました。

この日、特に鳥越さんは、ご自身の亡父について言いたかったようで、
「父は赴任先で陰湿なイジメに遭い、長く神経症を患っていて、自分が生まれた時、九州大の精神科に入院していた。一生、精神の病は治ることがなかった。
そんな弱い父親が大嫌いで、生前ほとんど話をしたことがなかったが、父が73歳で亡くなり、葬儀の時、障害者5名が弔問に来て、その時母に聞いて初めて、父が晩年、障害者のための作業施設の運営に力を注いでいたことを知った」
お父様が弱者のために、一身をなげうって生きてきたことを悟った鳥越さん。その父の血が自分にも流れていると。
だから、弱者に手を差し伸べて、その人たちの声を聴き、応えるのだと、力強く語りました。
人にやさしく、寄り添う政治を目指していることがひしひしと伝わってくる、そんな演説内容でした。
最後に手に手をとりあい、聴衆の歓声に応える弁士の皆さん。
先の参議院選からの、野党共闘の流れはぜひ維持していただきたいと思いました。

ところで。。。
鳥越さんの演説が始まる直前、突然、脇のほうでファンファーレ?みたいな音楽が聞こえ、
「マック赤坂」氏が乱入してきました。

鳥越さんに何か呼びかけていましたが、鳥越さんは演説が終わると、すぐにいなくなってしまい、
この方だけが残されました。私もしばらくそこにいたのですが、何を言いたいのか、よくわからなかったため、途中で帰路に着きました。

後でこの方のご経歴を見ると、京都大学卒だそうで、鳥越さんの後輩ということらしいですね。
当日の演説内容はこちら↓